写真・監修:岡 泰行/城郭カメラマン

【監修者プロフィール】 岡 泰行 | 城郭カメラマン [プロフィール]
1996年よりWebサイト「お城めぐりFAN」を運営し、日本の城郭をめぐる旅をライフワークとする。長年にわたる豊富な経験と、城郭写真家としての専門的な視点から、当サイトの記事を監修。その写真と知見は、数々の書籍やメディアでも高く評価されている。

志苔館:城ファンたちの記憶

実際に志苔館を訪れた城ファンの皆さまが綴る、印象に残った景色、人との出会い、歴史メモ、旅のハプニングなど、心に残る旅の記憶を共有しています(全3件)。

  • avatar

    郭の中は建物跡等が平面復元されており、井戸跡もあります。また館主小林氏の頌徳碑も建てられています。また郭内遺構・郭外遺構についての説明板もあります。土塁の外側には堀跡もありますが、西側の虎口付近の堀跡に比べると浅いので、土で埋もれているのかもしれません。いずれにしても16世紀初頭に廃された館跡が、よくこれだけきれいに保存されていたなあと感心しました。

    KUBO)

  • avatar

    四稜郭のようにきれいに整形された土塁ではありませんが、東西70〜80m、南北50〜65mの不整形な四角形をしており、土塁の高さは場所によって違いますが、一番高いところでは10mほどもあります。また幅も10m〜15mくらいはありそうです。西側だけは土塁が2列に並び、その中間に深さ2mの二重空堀が南北に延びています。そちら側に虎口があり、そこから郭内に入るようになっています。この虎口付近は二重の壕があり、高さも10mほどもありそうな土塁がそびえており、一番の見所です。

    KUBO)

  • avatar

    ここは以前から是非訪れてみたいと思っていたところです。よくこの志苔館の航空写真を見ましたが、その土塁がきれいに残っているのに感心したものです。それで実際に自分の目で見てみましたが、本当にきれいな土塁でした。ここも四稜郭とともに土塁好きの方にはおすすめです。この志苔館は、いわゆる「道南十二館」の一つで、長禄元年(1457)のコシャマインの戦いの際は、小林良景が館主でしたが、アイヌの攻撃で落城しました。その後再築され良景の子弥太郎良定が館主となりました。しかし、永正9年 (1512)のアイヌの攻撃で再び落城し、良定は戦死し、志苔館は廃館となったようです。

    KUBO)

城の情報

心に残る志苔館の思い出は?