鷺山城は、長良川北岸の独立丘陵に築かれた城で、美濃守護土岐頼芸や「斎藤道三」の隠居所として知られる戦国時代の重要拠点。山頂の要塞と東山麓の格式高い居館から構成され、近年の発掘調査では石垣を備えた大規模な堀や土橋が発見された。このページでは、道三最期の舞台となった鷺山城の歴史を写真とともに解説する。

写真:岡 泰行(城郭カメラマン)

鷺山城の歴史と見どころ

鷺山城は、長良川北岸の鷺山(標高68m・比高約50m)に築かれた城である。古くは文治年間(1185〜1190)頃、佐竹常陸介秀義が居住したと近世地誌『美濃明細記』に記される。秀義は新羅三郎義光の流れをくむ佐竹氏の一族で、美濃国山田郷の地頭職を与えられていた人物と伝えられている。

その後の状況ははっきりしないが、戦国時代に入ると鷺山は美濃守護土岐氏に関係する拠点となった。文亀・永正年間(1501〜1521)頃には、守護代・斎藤利国(妙純)らが拠ったとされ、守護所が革手から福光へ移された時期に、鷺山の南東麓に館が築かれた可能性が高い。

享禄3年(1530)、鷺山城に拠った土岐頼芸は家臣長井新左衛門尉(のちの斎藤道三の父、または道三本人説あり)らの助言を受け、兄の守護・土岐政頼(頼武)を越前へ追放し、実質的な美濃守護の地位を得た。しかし、実権は次第に斎藤道三へと移っていく。

その後、頼芸は斎藤氏との抗争の末、天文11年(1542)頃に大桑城へ追われ、最終的には天文19年(1550)に美濃を追放された。これにより美濃の実権は完全に斎藤氏の手に渡る。

天文23年(1554)、斎藤道三は家督を子の義龍に譲り、自らは鷺山に退いて隠居した。しかし義龍との関係はやがて悪化し、父子は対立。弘治2年(1556)、長良川を挟んで行われた合戦(長良川の戦い)で道三は敗れ、討死した。この戦いののち、鷺山城は廃されたと伝えられている。

鷺山城の特徴と構造

鷺山城は、長良川を挟んで稲葉山城(岐阜城)と向かい合う位置にある。周囲に高地の少ない平地の中で際立つ独立丘陵であり、地形を利用した要衝であった。鷺山の山頂には、堀切があり、南側の主郭部と北側の曲輪郡を隔てており、西側に畝状竪堀がある。

鷺山城の堀切
鷺山城の堀切。尾根を断ち切るように設けられた防御施設で、この堀切を堺に南北に曲輪群が分かれる。
鷺山城の主郭(山頂)
標高約68mの山頂に位置する主郭部。
鷺山城から見る稲葉山城
鷺山城から望む稲葉山城(岐阜城)の眺望。往時の城の位置関係が実感できる。

城は、鷺山と南東麓の方形館で構成されており、居館は東西約150m、南北約200mの規模と推定されている。近年の調査では居館を取り囲む堀や土塁の一部が確認されている。また、斎藤道三の隠居所がこの東山麓に置かれ、長良川の水を引いた庭園があったと伝えられるが、現在の地表からはその痕跡を判別することは難しい。

鷺山城の発掘調査成果

2026年3月、岐阜市教育委員会による鷺山城の発掘調査によって、東山麓の館跡の実態が明らかになりつつある。

調査では、館の東側にあたる場所で幅約16m、深さ約1.4mに及ぶ大規模な堀と、その入口施設である土橋が確認された。土橋は幅約7mで、両側を石垣で護岸しており、最大3段、高さ約1.6mの石積みが良好な状態で残存していた。

土橋の造成土からは16世紀前半の土師器皿(かわらけ)が出土しており、16世紀中頃に隠居した斎藤道三よりも前の、土岐氏時代から拠点の整備が始まっていた可能性を示唆している。また、瀬戸美濃産天目茶碗や中国産磁器碗、銭貨などの遺物も確認され、ここが極めて格式の高い拠点であったことを裏付けている。

参考文献:

  • 『日本城郭大系9』(新人物往来社)
  • 岐阜市Webサイト「令和7年度鷺山市場遺跡発掘調査について」

鷺山城とあわせて訪ねたい史跡

道三塚

道三塚弘治2年(1556)、長良川の戦いにおいて斎藤道三は嫡子・義龍と対決し、敗れて命を落とした。道三の遺骸は当初、崇福寺の西南に葬られたが、長良川の度重なる洪水により流失したと伝わり、天保8年(1837)に現在地へ移された。岐阜市に残る道三塚は、下剋上の世を象徴する戦国大名の最期を今に伝える史跡といえる。

鷺山城の観光情報とアクセス

所在地

住所:岐阜県岐阜市鷺山150 [MAP] 県別一覧[岐阜県]

アクセス

鉄道利用

JR東海道本線、岐阜駅から、バス市内ループ線(約20分)「鷺山玉川町」降車、西へ徒歩8分で鷺山公園(居館跡)。

マイカー利用

東海環状自動車道、岐阜ICから南へ7分(3.8km)。鷺山城の東側、鷺山公園(居館跡)に駐車スペースがある。

鷺山城:城ファンの知見と記録

鷺山城を訪ねた人たちが残してきた記録です。現地での発見や知見が寄せられ、城歩きの文化の中で育まれてきた経験がここに蓄積されています(全3件)。

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    鷺山は麓に段曲輪、山頂付近は堀切を境に、南側の曲輪(山頂)と北側の曲輪群に分かれる。西側には畝状竪堀が多少見られる。現地を歩くと、その城の規模から、攻められればひとたまりもなかったであろう。麓に居館があったに違いなく、その規模が大きかったのではないかと推測される。

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    斉藤道三、隠居の城。鷺山公民館の前から道があったのですが藪ですすめず、東麓の北野神社から登りました。こちらの道は整備されていて山全体が鷺山公園となっています。遺構はなんとなく縦掘やなんとなく堀切が。前方にそびえる山頂に岐阜城のシルエットがはっきり確認できます。この立地じゃ、いくら道三とて義龍にかなうわけがないと思われますが。

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    岐阜城から西北を眺めると、ちっちゃな半分はげた山があります。道三が、岐阜城を義息子に譲ったあと、隠居した城、鷺山城です。帰蝶もここにいたといいます。これが、斉藤道三の隠居城のあった鷺山です。いまや、鷺山の周囲は住宅地となり、ほとんど旧状を確認するものはありません。山頂には削平地があり石碑が立つのみです。

城の情報

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