写真:岡 泰行

安土城の歴史と見どころ

織田信長が近江に築いた革新的な城、安土城。城跡には石垣や多数の曲輪があり、城内を堅牢な虎口で仕切る主要部の中央には本丸御殿跡と天主台が残る。その名は平安楽土から。天正4年(1576)、信長は丹羽長秀を奉行とし、安土城築城にとりかかった。ときに信長43才。越後の上杉謙信の侵攻、石山本願寺(大坂城の前身)の攻撃の拠点であり、京にも近く中山道の要所である近江蒲生。六角氏の居城だった観音寺城の尾根つづきの安土山を縄張りし、これまでにない新しい城郭を構えた。

安土城大手道
安土城址の八角平方面の虎口
安土城は直線的な大手道で防御があまり考えられていないように感じるが主要部は、南は黒金門跡、北にも堅牢な虎口を設け、主要部を守っていた(非公開エリア・岡 泰行 撮影)。

安土城天主台
八角形の天主台で礎石が見られる。

安土城の中心部から台所跡へと続く登城路
安土城の中心部から八角平や台所跡へと続く登城路。石垣に囲われ地下道だった可能性があるらしい(非公開エリア・岡 泰行 撮影)。

外観5層の天主は、日本の建築史上、初めての高層天主らしい。現存する石垣から推定されるその大きさは、後の豊臣大坂城天守をもしのいだ。建設は尾張熱田の岡部又右衛門、内部の障壁画は日本画の巨匠、狩野永徳・光信、瓦は中国の最新技術を用い奈良で焼かれた。この時代の最先端の技術・芸術が用いられた城だったのだ。

石垣も安土山の城郭部全体を石垣で覆い、より高さのある石垣を実現しているのも城郭史上この頃からである。一説には比叡山寺院や京都の寺社の石垣を手がけた穴太衆が安土城の石垣を積み上げたとする説があるが、穴太衆が携わったことが書かれている史料が無く、確定はされていない。ただ、後の豊臣大坂城石垣山城などには、穴太衆が携わった史料があること、豊臣大坂城の石垣出隅部の積み方が安土城天守台の一部に酷似していることから、その可能性は否定できないとする考え方もある(安土城天守台は秀吉とその配下も築造に加わった記録がある)。

西の湖から見る安土城
西の湖から見る安土城。

天正7年(1579)、信長は安土城天主に入る。この当時二の丸御殿、三の丸御殿は完成しており、その他の建物の完成は、天正9年(1581)までかかった。ちょうどこの翌年が本能寺の変である。その数日後の天正10年6月15日、城は何者かによって焼かれた。城下町も八幡山城(近江八幡城)に移され、昭和15年の発掘時まで埋没することになる。昭和44年、旧加賀藩の池上家から「天主指図」が発見され、現存する不等辺八角形の天主台石垣と、その指図が不等辺八角形の天主を描いていることから調査が進められ、安土城のものと推定。平成元年から特別史跡安土城跡調査整備事業など発掘整備がスタートし、大手道周辺、本丸周辺などで次々と新たな安土城の姿が解明されている。何十年か後にはさらに信長に近づいているに違いない。

2019年、滋賀県は「幻の安土城」復元プロジェクトを始動、天主台東側周辺の発掘調査「令和の大調査」が始まり、2024年1月に、本能寺の変直後に炎上したが、天主台は自然倒壊ではなく、破城された可能性が高いことが分かった。

大手道から八角平まで

八角平方面の虎口安土城の主郭を守る虎口は、黒金門と八角平方面の虎口の2ヶ所だ。八角平方面の虎口にもその堅牢さで魅力があり、通行可能だった17年前頃の写真でご紹介(現在は立入禁止)。

安土城を築城した宮大工を描いた映画『火天の城』

火天の城・西田敏行映画『火天の城』(東映)は安土城を築城した宮大工を描かれている。築城は「普請(土木)」と「作事(建築)」といわれるが、映画ではこの作事を掌る岡部又右衛門が主役。普請では文字通り縄を張って城のエリアを決めていく縄張りシーンや、近江の石工集団の穴太衆が登場し、安土城でそのありかは謎とされる蛇石を引き上げるシーンが描かれるなど、安土城に関わるエピソードも登場するから見逃せない。

天下布武印章のレプリカ安土城の関連グッズなら安土城天主信長の館へどうぞ。過去には「天下布武」印章のレプリカも。結構な大きさで初期の楕円枠モノで縦7.5cm(マルチ工芸・鉄銅製)。JR安土駅前の城郭資料館でも。

安土城の撮影方法

繖山から望む安土城城内では大手道や門跡の多くは南向きだから、さほど撮影時間を気にする必要はない。整備された城ゆえに、季節感もそう気にすることはないが、冬はまれに近江八幡や安土以北で雪が積もることがある。4月の桜は、それはもう美しいのだが、桜は安土山の麓にあり城跡にある訳ではない。

西の湖から見る安土城安土城の全景が撮りたい場合は、2箇所、おすすめの場所がある。ひとつ目は、安土山のとなり、観音寺城のある繖山の三角点付近から見下ろすように安土山を捉えることができる。もうひとつは、安土城の西に広がる西の湖の対岸にサイクリングロード「ヨシ笛ロード」があり、そこから望むと安土山の特徴ある山容を捉えることができる。

安土城の写真集

城郭カメラマン撮影の写真で探る安土城の魅力と見どころ「お城めぐりFAN LIBRARY」はこちらから。

安土城の関連史跡

安土歴史観光マップ

安土城と関連史跡をめぐるルートは
安土城址安土城址 → 安土城考古博物館安土城考古博物館 → 信長の館信長の館 → 安土町城郭資料館安土町城郭資料館という順序が理解が深められて良い。時間が無い場合は、安土城址と安土城天主信長の館の2カ所をどうぞ。

安土城天主信長の館

安土城天主信長の館安土めぐりに絶対に見逃せないのが城跡すぐ近くの「信長の館」。スペイン・セルビア万博に出展された安土城天守5・6階部分を内藤昌氏の案で原寸大に復元された精工な天主が納められている。

滋賀県立安土城考古博物館

常設展示にて安土城について詳しく紹介。営業時間、料金は下記サイトで確認を。信長の館との共通券有り。

安土町城郭資料館

JR安土駅の南(安土城とは反対側)にある資料館で、内藤昌氏の案の20分の1天主の模型がある。営業時間、料金は下記サイトで確認を。

近郊の城

すぐとなりの山が近江六角氏の本拠、観音寺城。また、JR安土駅のとなりの近江八幡には、秀次の八幡山城址がある。そのほか、安土町には近江源氏佐々木氏の氏神、沙沙貴神社などの歴史スポットも。

安土城のおすすめ旅グルメ

安土城址近くとなると、安土城考古博物館の近辺にレストラン「コチナピコ」か、安土城考古学博物館の茶店となり、残念ながら旨いご当地グルメは期待できない。おすすめはやはり近江牛。JR安土駅のとなり、羽柴秀次の八幡山城があるJR近江八幡駅付近の近江牛の店へ。

安土城の史跡めぐりにこだわる最適なホテル

安土町にはビジネスホテルは無く、八幡山城とセットでということで、近江八幡近郊へどうぞ。

安土城のアクセス・所在地

所在地

住所:滋賀県近江八幡市安土町下豊浦 [MAP] 県別一覧[滋賀県]

電話:0748-46-6594(安土山保勝会)

開館時間

安土城址の入山時間は、8時30分〜17時(入城16時まで)季節により変動あり、有料(2006年9月から有料化)。営業時間、料金は下記Webサイトで確認を。

アクセス

鉄道利用

JR東海道本線(JR琵琶湖線)安土駅から徒歩25分。安土駅前のレンタルサイクル使用で約7分。

マイカー利用

彦根IC(約35分)、八日市IC(約25分)、名神竜王IC(約20分)、国道8号線から安土城址を目指す。登山口である大手道の前に駐車場有り。

安土城のセミナー

城ファンの気になるところ (21)

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    JR安土駅前に観光案内所がある。観光マップや資料をGET!

    ( 城の観光好き)

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    JR安土駅の横のトイレの外観はなぜかお城風。ここで済ますべし。そのほか、安土城址の大手道前、博物館、資料館にトイレ有り。

    ( 半兵衛)

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    春は桜がきれいだ。花見の場所として安土城址は地元で有名。秋は赤とんぼが多い。春に訪れると偶然にも地元で花見をされている方よりお酒をすすめられ、大手道を赤ら顔でふらふらになって登ったことがある。

    ( shirofan)

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    安土城考古博物館の城郭のコーナーは充実している。一部屋だが廻ると城郭というものを分かった気にさせてくれる。城の成り立ちなど模型を中心に分かりやすい構成だ。ここに織田軍団の3間半の槍のレプリカあり。長さを実感させてくれる。

    ( shirofan)

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    安土城考古博物館や信長の館で、内藤 昌監修の安土城天主ペーパークラフトが売られていた(平凡社ブッククラブ)。 これはよくできている。がしかし作るのは大変!余談だが安土城のペーパークラフトは2種類ある。
    ◎「安土城天主 美術模型」平凡社ブッククラブ(日本図書通信販売)
    ◎「宮上茂隆 復元模型 安土城」(草思社)
    余談ながら平凡社ブッククラブからは「江戸城天守」「首里城正殿」も。草思社からは「薬師寺東塔」、集文社からは「ペーパー建築模型 姫路城」も。

    ( shirofan)

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    ドーム型の資料館「信長の館」には、安土城天主5・6階部分(上2層分)を原寸大に復元したものが展示されている。これは圧巻!ちなみに1992年スペインセビリア市で開催されたセビリア万国博覧会の日本館に出展されたもの。

    ( 信秀)

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    堺屋太一監修の「幻の安土城天主復元」という本が過去に存在したらしい。内容は復元天主の復元風景など。しかし今はもう絶版。信長の館にも置いていない。古本屋にてGETか…。

    ( ささら)

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    あの天下布武印章の実物大レプリカ、これ欲しかったのよね。信長の館や城郭資料館でGET!

    ( ささら)

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    この2年の発掘で、伝羽柴邸跡と、大手道の発掘が行われ、伝羽柴邸跡の全貌と、安土城大手道の本来のルートが分かったそうです。石垣も、一旦、崩して積み直すようで、それはそれは気の遠くなるような作業のようですね。大手道の本来のルートは、現在の終点より、やや左にまがり、黒鉄門跡にたどりつくようです。秀吉または徳川時代に原因はわかりませんが、現在のものに修正されたようです。

    ( shirofan)

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    城のプラモデルに安土城がありますが、実はあれ、私が小学生の時に天主の復元図を書いてプラモ会社に頼んで作ってもらったものです。会社からお礼の手紙も貰いましたし、たぶんそうだと思います。

    ( 勝安房守)

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    安土町城郭資料館に安土城天主の内部を説明するビデオ、幻の城「安土城」再現を過去に販売していた。これも欲しくなる逸品だがすでに絶版していて、今は資料館内で流れているのみだ。

    幻の城「安土城」再現について
    発売元:カミユ文庫 プレジデント社
    出演:津本 陽、内藤 昌
    ナレーション:江守 徹
    演出:淡野 健
    撮影:愛甲明正
    構成:滝本 蕎
    シンボルマーク:安西水丸

    ( 大森 勉)

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    安土城址まではJR安土駅のすぐ前でレンタルサイクルを借りると良し。ただし、安土山は標高200m、その後の博物館移動を考えると、電動自転車レンタルが楽かも。体力に自信の無い人は駅前からタクシーで。

    ( 城の観光好き)

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    安土城の再現には、信長公記か安土日記かで二大論争が起こっていますが、やっぱりココに復元された信長公記の方が良きものだ。何と言っても第一層が、天主台と同じく変則八角形なのは比類がなく、第四層の朱塗八角堂と合わせてマーベラス!

    ( 平井丹波守)

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    城郭資料館には、何とローマ法王に献上されたまま行方不明の「安土城下&南蛮図」が推測再現されている!狩野永徳画のこの逸品、安土→京都→長崎→マカオ→リスボン→ローマと、天正少年使節がグレゴリオ13世に謁見するまでを、全36面に描ききった!スゴいよ。

    ( 平井丹波守)

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    毎年8月から11月にかけて毎週土日、祝日にはJR安土駅前からレトロバスが運行されていました。安土城、文芸の郷を経由して五個荘に行きます。一日乗り放題の料金です。詳しうは近江バスへお問い合わせを。

    ( 間野直記)

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    安土城址の二の丸跡入り口付近にある伝信長公足跡と呼ばれるものと非常によく似たものの作りかけのものが、黒金門跡を入り左に行ったところにある伝長谷川邸跡(織田信雄公墓所)へ続く石段付近にそれとなくおいてある。もしかしたら、足跡も後世の創作なのかも。

    ( かにまこと)

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    平成18年3月末まで、大手前広場発掘調査中。天主跡平樽4つのルートのうち、大手門あとからのルートを上ったのだが、階段のスケールにびっくり、荒削りと言ったらいいのか、豪毅な作りと言ったらいいのか、段差がすごく大きくとってある。日常の登城下城のことは考えられていないのではとも思われる作りを感じました。

    ( 渡邉)

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    平成元年から20年計画で始まった『特別史跡安土城趾調査整備事業』が終盤になり、大手道などもキレイに整備され、観光客が増えたことに対応してか、少し観光地色が出て来たようです。安土城前の駐車場が有料となっていると看板が出ており、入り口のプレハブ事務所に2人係員さんがいました。大手道入り口には観光客用に杖なども置いてくれてありました。これらは、全て事実上の廃城となった1585年以降、安土城趾を守り管理してきたそう見寺さんの意向によるもののようです。そして2006年5月20日の午後2時頃、百々橋口が、そう見寺さんによって封鎖されました。そして大変残念なニュースですが、この秋から安土城趾に入山するのを有料化する方向で現在話が進んでいるとのことです。

    ( 長篠村の田吾作)

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    信長の館と博物館の共通券が、販売されています。(博物館 特別展期間中は料金が異なります。ご注意ください。)

    ( 文芸の郷「信長の館」・みゆ)

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    久しぶりに大阪、京都の友人たちに請われて安土山に登った。しかし、そこにある安土城址は昔と違いがっかりした。友人たちも同様にがっかりしていたのには滋賀県人としては恥ずかしかった。以下、気になった点を挙げたい。

    1.西口登山口
    そう見寺本道跡 → 安土山 → きぬがさ山 → 下山の予定で登ったが、石段の途中で金網で登校禁止であった。大手門口へ回れと指示あり。縦走ができないようになっていた。

    2.大手門に回ると有料だった。しかも子供たちまで。小学生たちは一番戦国時代や武将に興味を持つ年頃だが、これでは親も連れていきにくい。小学生だけでは到底こないだろう。

    3.頂上から、きぬがさ山へいく尾根道も金網で封鎖されていた。
    案内板ではここは民有地(たぶん、そう見寺所有か)なので、個人の山を保護するために封鎖したのか。それとも有料化のため他所から行くとか通過できないようにしたのかな。

    3.看板にガイド禁止とある。どうゆうことや。

    せっかくの織田信長の遺跡であり、全国に見様ある人は多いいが、これではせっかく来ても応対サービスがなってないような気がする。

    大手門前の草地の広さが我3面あるが、太陽がきつい夏場はここで昼食をすることもできない。せっかく広場があるのだかから、2、3の東屋と水場くらいあればいこえるのに。大きな木でもあればいいのだが、そんな木陰もなし。

    教育委員会、商工会、そう見寺で創案して、皆さんが来て楽しめる場所にしてほしい。地域の町おこしにもなるのに、もったいない。やはり安土町から近江八幡市になったのがいけないのだろうか。本当のもったいないことだ。

    ( 城好きの匿名希望)

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    安土城は城のライトアップ第一号で宗教行事に合わせてライトアップした。ちなみに鯱鉾を用いた城、第一号でもあるらしい。

    ( 半兵衛)

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