戦国期の大野地方は、一乗谷朝倉氏館の背後の防御上重要な地域で、一乗谷の逃げの城ともいうべき戌山城がある。朝倉義景は、信長に対抗するため近江へ出陣し、天正元年(1573)の戦いで大敗、一乗谷に撤退し最終的にこの地の六坊賢松寺に逃れ、従兄弟の朝倉景鏡にそむかれて自害している。六坊賢松寺の場所は定かになっておらず、今の墓は、寛永12年(1800)に、旧家臣の子孫によって、曹源寺境内に建立され文政5年(1822)に、現在の地に移設されたものだ。五輪塔のそばには義景の家族・家臣の墓石も並んでいる。
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