鉢形城の歴史・見どころ

荒川と深沢川が合流する段丘の上に築かれた鉢形城(はちがたじょう)は、河岸段丘の地形を巧みに利用した要害として知られる。築城は文明年間(1469〜1477)頃、長尾景春によるものとされる。景春は主家・山内上杉顕定に背き、文明9年(1477)五十子陣で勝利したのち、翌年、太田道灌らの攻撃を受けて敗退した。この際、顕定が鉢形城に入って再整備を行ったと考えられている。

その後、上杉氏の拠点として重視され、永正期には顕定の子・顕実が城を守った。やがて藤田康邦が城主となるが、北条氏の勢力拡大により氏康の三男・氏邦が養子として迎えられ、永禄3年(1560)頃に大改修を行った。以後、北条氏邦は上野・秩父方面を統括する大名として、鉢形城を拠点に勢力を広げた。

天正18年(1590)、豊臣秀吉の小田原征伐に際して、氏邦は三千の兵を率いて籠城。これに対し、前田利家・上杉景勝・本多忠勝・真田昌幸ら三万五千の軍勢が包囲した。激しい砲撃により城は大破し、六月十四日に落城。氏邦は前田利家に預けられるも慶長2年(1597)に利家は金沢で没した。なお、鉢形城はこの戦闘を最後として廃城となった。

現在、城跡は国指定史跡として保存され、寄居町によって鉢形城公園として整備されている。平成9〜13年度に第1期保存整備事業が実施され、平成16年度に公園が供用開始。平成29年度からは第2期保存整備が進められ、令和3年度(2021)には伝逸見曲輪の発掘調査が行われた。その後も保存整備の検討が続けられている。

鉢形城の特徴と構造

鉢形城は、荒川と深沢川に囲まれた河岸段丘上に築かれた平山城である。南北約650m、東西約400mにおよぶ広大な縄張りをもち、自然の断崖を防御線として取り込む構造が特徴的だ。主要部は本丸・二の丸・三の丸・外郭から成り、大手を南西、搦手を北東に配した。郭の間には深い堀と高い土塁が巡り、とくに北側は十数mの断崖となって荒川に面し、天然の要害を形成している。

大手からは諏訪郭、三の丸、二の丸を経て本丸に至る構造で、東の深沢川沿いには御殿郭・御殿下郭が配されていた。外郭には鉄砲小路・殿原小路などの街路が整備され、小規模ながら城下町も存在した。現在は三の曲輪の石積み土塁や四脚門が復元され、園路を歩けば堀と土塁が織りなす雄大な縄張りを体感できる。

参考文献:

  • 『日本城郭大系5』(新人物往来社)
  • 「鉢形城公園案内」寄居町Webサイト

鉢形城の撮影スポット・絶景ポイント

荒川の河原に降りて鉢形城の姿を捉えると、要害さが際立った写真を撮ることができる。

鉢形城の写真集

城郭カメラマンが撮影した「お城めぐりFAN LIBRARY」には、鉢形城の魅力を映す写真が並ぶ。事前に目にしておけば現地での発見が鮮やかになり、旅の余韻もいっそう深まる。

鉢形城周辺の観光スポット・史跡めぐり

対岸の寄居町後方の、正龍寺に北条氏邦夫妻と、北条氏以前のこの一帯の領主、藤田康邦夫妻の墓石があり(宮前敬司 98.04.07)。

鉢形城アクセス・駐車場・営業時間

所在地

住所:埼玉県大里郡寄居町鉢形 [地図を見る]

県別一覧:[埼玉県の城]

アクセス

鉄道利用

秩父鉄道線、寄居駅下車、徒歩30分。寄居町より荒川に架かる、正喜橋を渡り、搦手方面より入城。

マイカー利用

雁坂トンネルを山梨県側から出てすぐ。

地図

鉢形城周辺ホテル・宿泊情報

「割烹旅館 京亭(きょうてい)」に泊まると、鉢形城の北側を流れる荒川越しに、鉢形城の姿が見られるぞ。場所は荒川を渡ってすぐ(埼玉県大里郡寄居町寄居547)。

鉢形城をより深く学ぶ展示・資料館・学習スポット

『鉢形落城哀史』という本が詳しいです(秩父市立図書館に有り)。秩父路の古城跡も良い(中田正光著)(宮前敬司 98.04.07)。