写真:岡 泰行

八王子城の歴史と見どころ

八王子城は、北条氏康の三男である氏照が元亀2年(1571)頃より築城した。深沢山の山頂は要害地区で本丸や小宮曲輪など複数の曲輪、麓の居館地区には御主殿などがあった。天正18年(1590)、秀吉の軍勢に攻められ落城、この時、婦女子たちは自刃し、御主殿の滝に身を投げ滝は三日三晩、血に染まったと言い伝えられている。関東地方屈指の城で歴史ファンが訪れている。

御主殿は解説板が充実

八王子城の御主殿虎口御主殿跡は、解説板が各所で設置されていて、目に見えるものを中心に理解を深めることができる。特に訪問前の事前調査が必要ないといって良い。

四段石垣

八王子城、御主殿西側の四段石垣御主殿跡のさらに西に、四段石垣がある。発掘調査は入っておらず整備がなされていないエリアなのでくれぐれも慎重に。こちらは後述の縄張図がないとたどり着けないぞ。

要害地区(山頂)への登山道

要害地区(山頂)への登山口の鳥居管理棟付近から八王子城の要害地区(山頂)への登山口に鳥居があり、道が「新道」と「旧道」に分かれている。当時の登山道が旧道で、金子曲輪などを経て登るなら新道が良い。いずれも柵門跡(8合目)で合流するので、行き帰りで道を変えると良いだろう(登山口の場所は上記Googleマップでチェック)。

余談ながら、明治になって木曾御嶽講が流行り、東京の人がお詣りをする場所として要害地区の小宮曲輪を活用した(小宮曲輪から御嶽山が見える訳ではない)。この時、登りやすくするために作られたのが新道で、よく見ると、随所で雨水から登山道を守る石で組まれた斜め排水路や1合目〜9号目の石柱があるが、これらはこの時に設置された。8号目にあたる柵門跡で旧道と合流する。

柵門跡東側斜面に残る石垣一方、旧道は、金子曲輪東側の沢を柵門跡まで登るルート。金子曲輪や柵門跡付近東側の石垣(石積)は、これを防御するためのものとする説がある。柵門跡付近の石垣は、近年、斜面にある杉の大木が根こそぎ倒れたこともあって、旧道からかなり露出した状態で見ることができる(柵門跡のある曲輪東側の側面にあるため、柵門跡からは石垣は見えない)。道は関東ローム層の土がむき出しになっていたり、石がごろごろしていたりと、やや登りにくいが、歴史を感じるなら旧道が良いだろう。前述のように行き帰りで道を変えると良いかもしれない。

縄張図を八王子城跡ガイダンス施設でGET

八王子城跡ガイダンス施設御主殿跡西側の四段石垣や、山頂の要害地区へ登るなら、「八王子城跡ガイダンス施設」で詳細な縄張図をGETしておこう。
書籍では、2013年に発行された『東京都の中世城館(東京都教育委員会)』がおすすめ。八王子城が詳しく掲載されている。122Pに掲載されている縄張図をもとに加筆した、A4サイズ1枚の縄張図が、「八王子城跡ガイダンス施設」で手に入るので、GETしてから登ると良い。小さな曲輪まで解りやすい。 また、書籍では八王子城を愛する様々な人々によって構成された歴史を語り継ぐ『八王子城 みる・きく・あるく(揺籃社)』や『八王子城(八王子市郷土資料館)』も良い。

八王子城の関連史跡

御主殿の滝

御主殿の滝八王子城は、天正18年(1590)、豊臣秀吉の武将、前田利家、上杉景勝らの攻撃で落城する。この時、御主殿にいた女子供が、滝の上で自刃、滝に身を投じ、その血で城山川の水は三日三晩、赤く染まったと言い伝えが残る。御主殿を見た後にちらりと見ておこう。

 

北条氏照及び家臣墓

北条氏照の墓所北条氏第四代、氏政の弟、氏照の供養墓。早雲の孫にあたる。八王子城を築いた氏照は、小田原城開城後に秀吉の命令で、氏政とともに小田原城下で自害する。ここにある墓は、氏照の死後100年後に、氏照の家臣であった中山勘解由の孫、水戸藩家老中山信治が建てたもので、両脇には、勘解由と信治自身の墓がある(詳しい場所は上記Googleマップ参照)。

滝山城も合わせてめぐりたい

滝山城八王子城は、麓の御主殿エリア、山頂の要害エリア、北条氏照及び家臣墓をじっくり巡ると、下手すれば4〜5時間要するが、その近さから、滝山城も合わせてめぐりたい。

八王子城のアクセス・所在地

所在地

住所:東京都八王子市元八王子 [MAP] 県別一覧[東京都]

電話:042-620-7265(八王子市文化財課)

アクセス

鉄道利用

JR中央本線、高尾駅下車、北口1番乗り場より西東京バス「霊園前・八王子城跡入口」降車、徒歩約15分で登山口(土・日・祝のみバス「八王子城跡」行き運行)。バスは午前6時台〜午後7時までで1時間に約1本。帰りの時間のチェックも忘れずに。そこから御主殿へは徒歩約15分、山頂の要害地区へは徒歩約40分。

マイカー利用

首都圏中央連絡自動車道、八王子西ICから高尾方面へ約10分。または、中央道八王子IC、第2出口から、甲州街道を経由して約40分。無料駐車場(50台)有り。午前8時30分から午後5時まで。

城ファンの気になるところ (16)

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    八王子城は山城だったために非常に責めにくく、豊臣秀吉も北条氏への攻撃(すなわち、八王子城への侵攻)は非常に慎重になったということです。

    ( イッチー)さんより

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    まず、北条氏は本拠地が小田原で、氏照は北条氏康の次男にあたります。現在、同じ八王子市にあります滝山城の主に最初はなり、その後八王子城主になりました。周辺の武将との交流にたけていたため、秀吉にも恐れられていたということ です。城跡からは、茶道や香道の道具も出土し、芸能にもたけていたようです。
    小田原城攻めは天正18年(1590)で、この時小田原城が包囲されたため、氏照は主だった武将を連れて兄の氏政(4代当主)とその子氏直(5代当主)と共に小田原にいました。この隙を突かれてこの年の6月23日、城主を欠いたまま八王子城は1日にして落城したそうです。

    ( イッチー)さんより

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    女子供まで駆り出されて徹底抗戦したが、むなしく落城し、立てこもっていた者たちは八王子城の麓にある「御主殿の滝」に身を投げたそうです。滝が血に染まった期間は、七日七晩だったかもしれません。この滝は現在もあり、供養塔が建っています。そして、私が行った時には、新しいお供え物が添えられていました。ちなみに、その滝は、そういう伝説をかかえているため、幽霊が出るということでも有名です。

    ( イッチー)さんより

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    八王子城の激戦は有名な話ですが、そのあたりは、縄文時代の遺跡、遺物も大変多いそうです。で、そのあたりを発掘調査した人によりますと、未だに骨や、刀の破片などが見つかるみたいですよ。

    ( 太刀持ち)さんより

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    山頂に近い曲輪は結構残ってますよ。でも金子曲輪や山下曲輪等は、ほとんど曲輪の形も分からないです。なんでも、八王子城落城後に住み着いた農民に城の裾は開発されてしまったらしいのです。ただ、そこに住み着いた農民も地元の人だったので、山頂付近は手を付けず、江戸の時代になっても氏照を想い近くにお寺を作ったり、山頂に社を置いたりして現在に至っているようです。

    ( ゆがみん)さんより

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    山下曲輪には東京造形大学が建っていたので破壊が著しいですが、登ってしばらく行くといきなり段曲輪があったり、金子曲輪の上には3連の物見台があったり、江戸時代に御禁制地として立ち入りが制限されただけあって、非常に遺構の残存状態がいいです。さらに本丸からの眺めはすばらしい。さらにさらに、詰めの城まで行けば大きな石塁が残っていたり、大堀切があったり、「昔の人はこんな所を鎧着て走りまわってたの?」と一層感心のことうけ合いです。でも、私には小田原の海は見えませんでした。また行ってみたくなりました。

    ( イッチー)さんより

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    時期が悪いとクマンバチやマムシが恐いところですけど、確かに一度行くと病みつきになります。本城である山城とは違ったところに御主殿地区というところがありますが、あそこの石垣は発掘調査によって発掘された石垣をそのまま使って復元されているそうです。これも一見の価値あり(全部ではないです。冠木門や橋も、まったく根拠がないものだそうだし。でも、新しいものをできるだけ排除した姿勢は買いましょう)。

    ( イッチー)さんより

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    かなり分かり難いところにあるんですよ。氏照さんのお墓って。八王子城を下りて、旧造形大学の前の道をずっと駅の方に向かって下って行く途中の左側にちっちゃく看板が出てます「北条氏照公墓所入口」。その入り口は民家のすぐ脇の細い道なので、「ホントにこの道かぁ?」って不安になります。その入口を入れば後は一本道なので迷わずにお墓までたどり付けると思いますよ。でも入口を入ってからお墓までは5分ほど歩きます。行くと分かりますが、かなり荒れています。あまり人も訪れないようです。

    ( ゆがみん)さんより

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    八王子城は、城を建てた北条氏照の家臣が安土城へ信長に挨拶にいっており、その時の報告を基に安土城を意識して作られたという説があります。その安土城との共通点は以下の通り。
    1.当時関東では、数少ない石垣の城
    2.訪問者が圧倒されるような作り
    大手道が当時としては、広く、長い、広い石畳の道(6m程度)が数十メートル続いている。大手門より上方に天主が見える縄張り。所詮関東の城、安土城といろんな面で比較に成らないが、両城跡を歩いてみると共通するものを感じるのは、私だけであろうか。

    ( ブースカ)さんより

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    昨今 圏央道という高速道路が、城山の中を抜ける計画があります、発掘調査も完全でない現在、関東の安土城の正体がますますわからなくなってしまいます。既に、中央高速道路建設の際、一部大手門付近が失われているというのに、悲しい事です。狭い日本そんなに急いでどこ行くの?

    ( ブースカ)さんより

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    八王子城跡、手前に北条氏照の墓がありますが、そこに行く途中に個人の趣味でやっている、八王子城資料館があります(個人宅1室を使って展示入館料350円)。
    展示内容は、城山で拾った、鉄砲の鉛玉、青銅玉、矢尻等他骨董品です。個人で行っているので、展示物には、限界があると思います。しかし、そこのおじいちゃんの八王子城についての話は、城跡に住んでいないと聞けない話盛りだくさんで、楽しめます。私が行ったときは、コーヒーをだして貰いました。

    ( ブースカ)さんより

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    僕は八王子城址の近くに住んでいる者ですが、八王子城址のお話をさせていただきます。八王子城址は豊臣秀吉によって落とされたことはみなさんは知っているとおもいますが、その時にいた女子供などが多く圧倒的に兵力の差があり一日で落城しました。そして女子供は御守殿の滝に飛び込み死にました、城山川は三日三晩血に染まったといいます。今でも落城日の6月24日かな?(うろ覚えですみません)には必ず八王子城址には行っては行けないと伝えられています。橋などが復元されておりすばらしいです。八王子城址に向かう途中に北条氏照の墓がありますが、そこの近くに個人運営の資料館があります。そこもなかなかの場所です。

    ( 益)さんより

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    滝に女子供、家来などが身を投げたことは有名です。城攻めの際、秀吉の命で、容赦なく城にいた女・子供を切り殺しています。それで滝に身を投げた。どれだけ想像を絶することかおきたか想像だにできません。今の日本人と違い昔は、容赦ないですから。

    ( あいん)さんより

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    東京都の中でもTOPクラスの城郭!
    主殿跡の石垣の構えだけでも満足なのに、かなりの広さを持つ山城。複数の小さな曲輪を巡るのも面白かったし、やはり曲輪の置き方が滝山に似ていると感じた部分もあって面白いですね。中の曲輪からの街の眺めは最高です!富士見台からは木が生い茂っていて眺めが悪かったのは残念でしたが、そこからまた南側の尾根を歩いていくと、かなり大きな堀切がいくつも登場して楽しめました。所要時間4.5h。

    ( ゆ!)さんより

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    八王子城の麓、御主殿跡の1990年に復元された橋は、老朽化のため現在通行止め。2014年中に解体を行い、2016年3月の架け替え完了を目指すそうだ。

    ( 八王子なう)さんより

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    八王子城をググると、心霊現象などばかり記事が出るので心外ですね。八王子城は悲惨な歴史の場所でもあります。だから茶化す場所ではないです。八王子城とググれば幽霊だとか心霊現象だとかでてきますが、それはこんな場所を肝試しなんかと言って茶化すからです。

    ガイドさんに聞くと、そんな心霊現象などないということです、当たり前です。
    江戸時代に廃城になってからは徳川の直轄領となったのですが、ここに人が近づかないように当時幕府がそんな噂を流したのだと言われていました。それもどうかな?ですけど。

    この前行って来て私なりにまとめて発信しているのでよければご参考に。

    ( 八幡ココロ)さんより

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