写真:岡 泰行

沼田城の歴史と見どころ

沼田城は室町時代の天文元年(1532年)、沼田顕泰が利根川と薄根川の合流点に近い大地の先端部に、蔵内城として築いたとされる。沼他地域は上越国境に位置する要衝の地のため、この城をめぐって上杉、北条、武田(真田)などの諸大名の激しい攻防に巻き込まれ、沼田氏は滅ぼされた。豊臣秀吉の小田原征伐の後、沼田城の城主となった真田信之が慶長元年(1596年)から、城の大改修を行い、本丸北東隅には五重の天守閣、南東隅には三重櫓、北西隅には二重櫓などを建造した。しかし、天和2年(1682年)に城はすべて壊され、堀も埋められた。

公園内で見られる遺構は、発掘整備された沼田城西櫓台がメイン。西櫓台の石垣と石段が見られる。そのほか、東側のある野球場と公園の間にある本丸の堀跡に、真田時代の石垣が見られる。それぞれ詳細な解説板が設置されているぞ。なお、5層の天守がそびえていたとされる天守台は、公園内の利根英霊殿付近の起伏とされるが、その全体の規模は未だ明らかになっていない。

そのほか、沼田市のWebサイトで、発掘調査資料が閲覧できるので検索されたし。
(文:カンダタ)

沼田市教育委員会と市埋蔵文化財発掘調査団が発掘調査している沼田城址から、本丸西櫓東側の石垣及び石段、それに鬼瓦の破片が出土した。発掘調査は、沼田市公園長期整備構想に伴うもので、二重櫓南東地点を中心に数地点にトレンチ(試掘溝)を掘って進められた。見つかった石垣は高さ約1メートル。南北方向に約4メートル延びて西側に折れ、櫓台石垣の方向に約4メートルまで現存していた。現在の地表面より、約2メートル低い石垣手前からは、瓦の破片や陶磁器などが多く出土した。丸瓦や平瓦の破片に混じって鯱瓦(しゃちほこ)の一部や鬼瓦の破片もみつかった。沼田城は室町時代の天文元年(1532年)、沼田顕泰が利根川と薄根川の合流点に近い大地の先端部に、蔵内城として築いたとされる。沼他地域は上越国境に位置する要衝の地のため、この城をめぐって上杉、北条、武田(真田)などの諸大名の激しい攻防に巻き込まれ、沼田氏は滅ぼされた。豊臣秀吉の小田原征伐の後、沼田城の城主となった真田信之(之)が慶長元年(1596年)から、城の大改修を行い、本丸北東隅には五重の天守閣、南東隅には三重櫓、北西隅には二重櫓などを建造した。しかし、天和2年(1682年)に城はすべて壊され、堀も埋められた。
(文:Yellow)

2022年5月末に始まった発掘調査で8月、天守の礎石2基と付随する根固め石が見つかった。真田氏初代城主、真田信之と5代信利が造った天守の柱と考えられている。

沼田城の関連史跡

沼田城三の丸で楼に取り付けていた城鐘が現存しており、中央公民館で見ることができる。

または「旧生方家住宅」東日本で最も古い町家造りなのだとか。沼田城に隣接しているので、ちょっと寄り道を。

有名城では、岩櫃城、名胡桃城、箕輪城など。

沼田城のおすすめ旅グルメ

「和ダイニング柚庵」で、数々に日本酒を。お料理はチキン南蛮が一番人気。裏メニューでタルタルソースにワサビを添えても面白い。店主は神戸で修行した料理人で特に肉の目利きが良いらしく全国から仕入れをしている。出汁は関西風、美味しくいただけるぞ。

沼田城の史跡めぐりにこだわる最適なホテル

真田の前期ともいうべき沼田界隈をめぐるならこの地をベースキャンプにしても良し。「ホテル ベラヴィータ」、「HOTEL LIVE MAX 群馬沼田」、施設は古いが最もリーズナブルな「沼田パブリックホテル」など。

沼田城のアクセス・所在地

所在地

住所:群馬県沼田市西倉内町594沼田公園 [MAP] 県別一覧[群馬県]

鉄道利用

JR上越線、沼田駅下車、徒歩約20分。

マイカー利用

関越自動車道、沼田ICから、西へ8分(3.2km)。無料駐車場有り。

城ファンの気になるところ (1)

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    公園内の本丸跡とされるところに、真田信之・小松姫の石像があります。

    ( さるぼー)

城の情報

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