姫路城特別公開

ロの渡櫓 姫路城の特別公開の見どころ

ロの渡櫓は、東小天守と乾小天守を繋ぐ渡櫓で、創建時は「北の長や」と呼ばれた。二重二階地下一階、1階は一般公開エリアで、2階が特別公開エリアとして何度か公開されたことがある。1階と2階は同じ床面積でそれぞれ1室となっている。

姫路城天守群、ロの渡櫓の場所

ロの渡櫓2階(特別公開)

この渡櫓は、他の天守曲輪にある渡櫓と比較して最も長い。内部の東西の長さ(桁行)は、約28.7メートル、約84畳の広さがある。渡櫓や多聞櫓というのは、この長さになると実に壮観で、小天守よりこの渡櫓の風景を見るために足を運びたいほどだ。

姫路城ロの渡櫓

武者格子窓

窓に特徴がある。城外側(北側)の窓は5箇所あり格子窓に土戸が入った防御性の高いものとなっている。一方、城内側(南側)の窓は、木格子の窓を連結させて充分な採光を得ようとしている。こうした形で姫路城の窓は、場所に応じて多様なかたちとなっている。城内側はこれだけ窓が並ぶと、随分と開放的な印象を受ける。写真(下)はイの渡櫓から見たロの渡櫓。写真というのは面白いもので、軒を支える頬杖がこれだけ並ぶと、その連続性だけで面白い絵になる。

姫路城ロの渡櫓、城内側の武者格子窓
姫路城乾小天守2階から見るロの渡櫓
外側から武者格子窓を見ると、直線的なアクセントに見え、渡櫓がより長く見える。写真は乾小天守2階からロの渡櫓を見た風景。中央眼下の屋根は台所櫓。

戸袋

日本家屋で育った人ならピーンとくることだろう、写真(下)は戸袋で引戸を入れておくスペースだ。こうした細部の工夫も見ておきたい。

姫路城ロの渡櫓の戸袋
お分かりいただけるだろうか、戸には車輪が付いており、四角形の車輪の軸が見られる。また戸を引きずった跡が戸袋の床面にある。大天守の土戸もこういったかたちで車輪が付いている。

姫路城ロの渡櫓、戸に木製の車輪
写真(下)は、大天守1階から見るロの渡櫓。ロの渡櫓地階(石垣内)から2階まで、3階建の様子が写っている。写真右上の張出が戸袋だ。外への張出具合が半端ない。1階の戸袋は写真左手にあり、2階に比べて戸が少ないため、あまり張り出していない。

大天守から見るロの渡櫓

外へ出られる仕組み

ロの渡櫓2階から、外に出ることができる。城内側の木格子、西側の格子3本が外れるようになっている。特別に見せてもらった。屋根のメンテナンス用途で使用する出入口となる。大天守2階3階4階のように扉になっている訳ではなく、こうして格子が外れる仕組みというのは、宇和島城天守でも見られる。3本の木格子は、どうやら一番右側は外れなくなってしまっているらしい。
姫路城ロの渡櫓取り外し可能な木格子窓

古い床材

写真(下)はロの渡櫓2階内観。床材に注目してほしい。中央のみ、釿(ちょうな)痕が残る古い床であることが分かる。これは当時の材で、両サイドは修復時に新しい材に変えらていること多い(両側の板にもところどころ古材が使用されている)。
姫路城ロの渡櫓

過去の特別公開との違い

2019年の特別公開に、新たに障子を復した。また、大天守2階の武具棚にあった火縄銃などの展示をロの渡櫓2階へ移動した。武具棚に火縄銃や槍。この風景は十数年ぶり、懐かしく見た。
姫路城ロの渡櫓武具掛けに設置された火縄銃
ただ、1点不満がある。城内側に新たに設置された障子だ。この障子、紙ではなくビニールが貼られている。なんとも石油製品っぽさが馴染まない。姫路城の特別公開は、春と秋の2回から、毎年2月に変わった。その昔USJが用いた手法で、集客できる時に特別公開するのではなく、集客が苦しい月に公開して年間入場者数を増やそうとするものだ。

姫路城ロの渡櫓2019年公開時
写真は2019年特別公開時。城内側(左側)の武者格子窓からの光で内部が明るく見える。

2月は寒い。鳥の侵入を防ぎ、採光と寒さ防ぎにビニール障子は役に立つが、窓から外を見ようとすると、ビニール越しにゆがんだ風景しか見られない。厚めのサランラップ越しに外を見るようなものだ。姫路城でその迷路感が際立つ天守曲輪。内庭を満足に見ることができず非常に残念だった。渡櫓を歩きながら、視界に飛び込む風景の連続性は、感動を与える大きな要素。先人の工夫だとしたら自ら消してしまったようで、なんだかもったいない。きっとビニール障子があった方が管理が楽なのだろう(2022年8月の特別公開時は夏の暑さ対策でビニール障子は戸袋に入っており、光が綺麗なロの渡櫓2階内部や天守曲輪内庭を久々に見ることができた)。

ロの渡櫓2階から見る天守曲輪内庭

ロの渡櫓2階から見る大天守北面
ロの渡櫓2階から見る大天守北面。下の格子窓は地階で右手下には、流しの排水口が見られる。続いて1階、2階の格子窓が写真には写っている。右手の建物は台所櫓で内庭に出る扉が見えている。

大天守の流しの排水口
大天守の壁に見られる流しの排水口(写真左手)。内庭の排水溝に流れる。

ロの渡櫓2階北西の食い違い構造

姫路城ロの渡櫓2階・乾小天守の扉
写真(上)は、ロの渡櫓2階の西側、乾小天守の扉。右手の鉄格子窓は、外を見おろすと、水一門や油壁、ほの門が見られる(下写真)。最短登城ルートがここで180度折り返す様子がよく分かるのだが、つまりは、ロの渡櫓西面は、水一門を守る重要な射撃ポイントだ(1階も同様)。こういったロの渡櫓と乾小天守の食い違いの構造は、東小天守側には無い。

姫路城水一門とほの門

ロの渡櫓の梁

姫路城ロの渡櫓の梁
写真はロの渡櫓2階の梁。お解りいただけるだろうか。梁が1本新しく見える。昭和の大修理の際、ロの渡櫓の梁は新たに鉋がけが施され再利用されたが1本だけ新しい梁となった。

ロの渡櫓「昭和三六年修補」の焼印
後世に修復箇所が分かるようにと、新しく交換した梁には「昭和三六年修補」の焼印がなされている。この焼印は通常、隠すもので、こうして表に出ていることが珍しい。

ロの渡櫓の梁に見られる「五寸下水」という墨書
現存の梁に見られる「五寸下水」という墨書。数カ所で見られる。姫路城管理事務所のMさんによると、「水」というのは軒先のことで、この墨書は「軒から高さが五寸下がったところに」という意味があるそうだ。

ロの渡櫓の梁に残る墨書「尺下」
そのほか「尺下」という墨書もあり、こちらは一尺の下という意味ではないかとされるが、どこを基準になど詳しいことは分からないのだとか。梁の墨書に関しては姫路城管理事務所のMさんにご教示いただいた。記して御礼申し上げます。

ロの渡櫓1階(一般公開)

ロの渡櫓1階の風景も見ておこう。写真は西から東を見た風景。城内側(右側)の窓が閉め切られているので暗い。城外側(左側)の窓は、2階のように漆喰が塗られたまた格子窓ではなく、鉄格子窓となっている。櫓内は展示ケースが置かれているので、部屋のスケール感は体感にしくいが、その長さは充分に伝わってくる。展示ケースが置かれている最も左側の床板は古材の可能性がある。

姫路城ロの渡櫓1階
1階から2階に上る階段は、東側に1カ所のみだ。写真左手の通路は、東小天守の武者走り。先に触れた通り東小天守は1階から2階への階段が無いめ、その役割も兼ねている。

姫路城ロの渡櫓1階から2階への階段
北側の格子窓からは、非公開エリアの北腰曲輪にある、ニの渡櫓、ホの櫓が見られる(ニの渡櫓は、天守群の二の渡櫓と同名)。
姫路城北腰曲輪のニの渡櫓、ホの櫓
西寄りの城内側には台所櫓へ通じる扉がある。

姫路城ロの渡櫓1階の台所櫓扉

軒唐破風の出格子窓

ロの渡櫓を北側から見ると、そのちょうど中央付近に、大天守と同じ意匠の軒唐破風の出格子窓を設けている(幅は四間)。小学館の名城集成では、この出格子が天守群に一体感を持たせる重要な役割を果たしているとしている。なるほど納得、大天守にも同じ意匠があり、デザイン上、そういった目をひく要素を、他の場所にもちりばめていく。これは一体感やリズム感を出すために絵画などでも用いられる手法だ。

姫路城天守群を北側から望む
出格子窓の内部。蓋が設置されていて石落としと機能する。

姫路城ロの渡櫓、軒唐破風の出格子窓
ささ、次は乾小天守へ。

(文・写真=岡 泰行)

参考文献:
『姫路市史 第14巻 別編姫路城』(姫路市)
『日本名城集成 姫路城』(小学館)

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