猪崎城は天文年間(1532〜1555)頃、塩見氏によって築かれた平山城で、明智光秀の丹波攻略により落城した。福知山盆地東北部の丘陵に位置し、三方を急崖に守られ由良川流域を望む要害の地にある。現在も土塁や空堀が良好に残り、城山公園として整備され桜の名所として親しまれている。このページでは猪崎城の歴史や構造、現地に残る遺構を豊富な写真とともに紹介する。
写真:岡 泰行(城郭カメラマン)
猪崎城の歴史・見どころ
猪崎城(いざきじょう)は、天文年間(1532〜1555)頃に築かれたとみられ、丹波国曽我井荘に勢力を張った塩見氏の居城として知られる。初代城主は塩見利勝であり、横山城主塩見頼勝の三男にあたる。天文7年(1538)には丹波松山における赤井氏との戦いで功績を挙げ、細川道永から感状を受けたと伝わる。さらに永禄8年(1565)には大槻氏を討ち、雀部荘を押領した。
その後、利勝は天正7年(1579)の安土宗論に際して禅宗へと改宗し、大呂村の紫金山天軍寺を菩提寺とした。利勝が寄進したとされる十六羅漢図は、現在も重要文化財として伝えられている。
やがて織田信長の命を受けた明智光秀による丹波攻略が本格化する。天正3年(1575)以降、光秀は周辺の城を次々と攻め落とし、天正7年(1579)には黒井城の赤井氏が滅びた。これにより塩見一族の諸城も攻撃対象となり、横山城が落城すると、猪崎城も孤立することとなる。
城主塩見播磨守家利はこの情勢の中、自ら城に火を放って退去し、東にある川北の大砂利という場所まで落ち延びたが、敵方の氣半四郎に追い詰められ、大石を背にして奮戦の末に討たれたと伝わる。大砂利には桜の大木の下に高さ約50cmの無銘の墓が残り、古くから「イザキドン(猪崎殿)」の墓と呼ばれてきた。猪崎城はこうして戦国の争乱の中で落城し、以後は歴史の表舞台から姿を消した。
猪崎城の特徴と構造
猪崎城は、福知山盆地東北部、鬼ヶ城と烏ヶ岳の間から延びる台地の末端に築かれた平山城で、規模は約200m四方を測る。標高約65mの丘陵上に位置し、三方を急崖に囲まれ、背後のみが鞍部で台地と接続する要害の地となる。由良川流域を広く見渡す立地である。
主郭は山頂にあり、広く平坦で、北縁には土塁の遺構が残る。主郭の東から北にかけては、幅約56m・深さ約2〜3mの空堀が巡り、その外側には土塁状地形が形成されている。さらに南側には郭が展開し、西側には帯郭が設けられ、主郭との間にも平坦面が確認される。
これらの郭群は連続的に配置され、評定や武士の屯所、武器の保管などに用いられた。現在も土塁や空堀の形状が良好に残り、当地における中世山城として整った遺構を示している。




猪崎城の整備状況
猪崎城跡は近世以降、一部が削平されるなど改変を受けたが、主郭や空堀などの主要遺構は比較的良好に残されている。とくに主郭周辺の地形は往時の姿をよくとどめ、遺構の把握がしやすい状態にある。
近年では城山公園として整備され、散策路や案内板が設けられている。由良川対岸に位置する福知山城と対比しながら訪れることができる点も魅力の一つといえる。春には桜が咲き、地域の人々に親しまれる史跡となっている。
- 『日本城郭大系11』(新人物往来社)
猪崎城の撮影スポット・絶景ポイント
猪崎城の写真集
城郭カメラマンが撮影した「お城めぐりFAN LIBRARY」には、猪崎城の魅力を映す写真が並ぶ。事前に目にしておけば現地での発見が鮮やかになり、旅の余韻もいっそう深まる。猪崎城周辺の観光スポット・史跡めぐり
城址から望む由良川の平地、その中心に位置する福知山城とあわせて訪れておきたい。
猪崎城アクセス・駐車場・営業時間
猪崎城:城ファンの知見と記録
猪崎城を訪ねた人たちが残してきた記録です。現地での発見や知見が寄せられ、城歩きの文化の中で育まれてきた経験がここに蓄積されています(全3件)。
猪崎城での発見を記録に残しませんか?
岡 泰行 | 城郭カメラマン [プロフィール]
1996年より日本各地の城郭を訪ね歩き、取材と撮影を続けている。「先人たちの知恵とおしゃれ心」をテーマに、四半世紀にわたり城のたたずまいと土地の風土を記録してきた。撮影を通して城郭に宿る美意識を見つめ、遺構や城下町の風景に残る歴史の息づかいを伝えている。作品は書籍、テレビ、新聞など多くのメディアで紹介され、城の美しさと文化を広く発信している。








福知山城から、北に2キロほど行った所に、猪崎という地区があります。その地区に「城山」という山があるのですが、その名の通り中世の城が有った山です。その城は「猪崎城」と言いまして、かつて、福知山地域に幅を効かしていた「塩見氏」の本城だった城です。塩見氏は、この地域の有力者でしたが、明智光秀の丹波攻めで滅んでしまいました。城自体は、近年の公園整備で見学しやすくなっています。石垣とかはありませんので近世城郭好きの方は物足りないかも知りませんが、土塁や空掘、曲輪がよく残り、典型的な中世後期の城郭として見ごたえがあります。もし、福知山城へお越しの際には、訪ねられてはいかがですか? ちなみに、光秀の丹波攻めで地位を失い、帰農してしまった領主の子孫がいらっしゃいますが、現在でも御霊神社(光秀を祭っています)にはお参りしないとか…。
三段池公園のつづきにある。福知山城より由良川を挟んだ対岸にあり、塩貝利勝が籠もった。城祉は保存状態も良く、大きな空堀が随所に見える。説明版にはこの空堀、武者溜として使用したそうです。おすすめ城祉。
福知山城から車で15分のところにある三段池公園の近くに「猪崎城」という福知山で有数の中世城郭があります。残りも良く、公園になってますので見学には最適です。