福知山城は天正7年(1579)、明智光秀が丹波支配の拠点として築いた城。由良川に突き出す丘陵上に連郭式縄張りを展開し、近世城郭として整えられた。現在は再建天守や野面積石垣、転用石などの遺構が見どころとなっている。このページでは福知山城の歴史と構造、見どころを写真とともに紹介する。

写真:岡 泰行(城郭カメラマン)

福知山城の歴史・見どころ

福知山城(ふくちやまじょう)の前身は、朝暉ヶ丘丘陵に築かれた横山城にさかのぼる。小笠原長清の後裔とされる塩見氏(大膳亮頼勝)がこの地に城塞を構え、のちに頼勝の子横山頼氏が隠居して水内に住んだ頃まで、この丘陵は「横山」と呼ばれていた。天正年間(1573〜1590)には頼氏の子大膳大夫信房が在城したが、天正7年(1579)8月、丹波攻略を進めていた明智光秀の攻撃を受け、信房は敗れて自害した。

光秀はこの地を西国経略の拠点として重視し、藤木権兵衛や明智秀満(三宅弥平次)を城代に据えて城郭の近世化を進めた。天正8年(1580)には光秀が当地に立ち寄り、秀満の饗応を受けたことが記録に見える。やがて天正10年(1582)の本能寺の変後、山崎合戦に敗れた光秀勢は没落し、福知山城も豊臣方の支配下に入った。

その後は一時的に羽柴秀長が管理したのち、杉原家次、小野木重次(重勝)らが相次いで城主となり、慶長5年(1600)の関ヶ原合戦では重次が西軍に属して敗れ、城は攻め落とされた。戦後、有馬豊氏が入封し、城郭と城下町の整備を進め、福知山の近世城郭としての骨格はこの時期に整ったと考えられる。

以後、岡部長盛や稲葉紀通、松平忠房らが短期間で交替し、寛文9年(1669)に朽木稙昌が入部してからは、明治維新まで約二百年にわたり朽木氏が当地を治めた。歴代藩主による修築はあったものの、城の輪郭は有馬期の姿を大きく踏襲していたといえる。

やがて明治5年(1872)の廃藩置県により福知山城は廃城となり、建物の多くは取り壊された。二の丸には豊岡県福知山支庁舎が置かれ、対面所は裁判所として利用された時期もあったが、城郭建築は次第に姿を消していった。現在は銅門番所が城内に残り、城門は城下の寺院に移築されて伝えられている。

福知山城の特徴と構造

福知山城は福知山盆地中央に西南から突き出す細長い丘陵の末端に築かれた連郭式の平山城で、規模はおよそ東西300m・南北400mに及ぶ。東方には由良川と土師川が流れて外堀の役割を果たし、東・北・西の三方が断崖となる天然の要害である。

縄張りは内記丸(ないきまる)・伯耆丸(ほうきまる)・二の丸・本丸が連なる連郭式で、本丸は丘陵東端の最も高い位置に置かれた。本丸と二の丸の間には、かつて空堀と橋が設けられ、丘陵を南北に横断する通路が開かれていたと絵図に記される。

再建された天守

東から見た福知山城本丸
現在の天守は、昭和61年(1986)に再建された望楼型三層四階の建物で、大天守の北側に小天守を連ねる連立式の構成をとる。外観は下見板張を基調とし、白壁と格子窓を備えた姿は近世城郭の風格を感じさせる。本丸の高石垣上に建ち、福知山盆地を見渡す景観の要となっている。

石垣に見られる転用石

福知山城の転用石
福知山城の石垣は野面積だ。その石垣には五輪塔や宝篋印塔、石仏、石臼、灯籠など大量に転用石が確認されている。写真は天守台に見られる転用石。また、銅門番所横にも屋外展示されている。

銅門番所

銅門番所
銅門番所は、もとは二の丸の登城口にあった番所建物で、大正年間に天守台付近へ移築されたのち、天守再建に伴い現在の本丸付近へ再び移されている。福知山城で現存する数少ない建物遺構の一つだ。

本丸井戸「豊磐井」

福知山城の本丸井戸「豊磐井」
豊磐井(とよいわのい)は、本丸井戸。名称は福知山藩主朽木稙昌の父・稙綱の神号「豊磐稙綱彦命」に由来する。本丸内の井戸では日本一の深さ(約50m)といわれている。

釣鐘門

福知山城の釣鐘門
釣鐘門は本丸東端に位置する城門で絵図をもとに復元された。

明智藪

明智藪
明智藪(蛇ケ端御藪)は由良川沿い、音無瀬橋上流に残る雑木林で、丹波平定後に明智光秀が治水のため築いた堤の名残と伝わる。かつては約500mに及んだとされるが、現在は堤防改修により北端のみが残る。名称や築造の確証には諸説あるものの、市民に親しまれる光秀ゆかりの地として知られている。

福知山城の整備状況

明治6年(1873)の廃城令により建物の多くが取り払われ、堀や池も埋め立てられたが、天守台石垣や銅門番所などの遺構は残された。その後、市民の再建運動の高まりを受け、昭和61年(1986)に望楼型三層四階の大天守と二層の小天守が再建され、往時の城の姿がこの地に再び現れた。

近年の整備は、昭和48年(1973)の基本設計や地質調査に始まり、本格的な再建事業へと進んだ。再建資金の多くは昭和58年(1983)から展開された「瓦一枚運動」により集められ、約8500の個人・団体が寄附に参加した。こうした市民主体の取り組みによって天守再建が実現し、現在も福知山城は地域の歴史的象徴として保存活用が進められている。

参考文献:

  • 『日本城郭大系11』(新人物往来社)
  • 『福知山城』パンフレット(福知山市)
  • Webサイト「〈STORY 2〉昭和-再建-」(福知山市)

福知山城の撮影スポット・絶景ポイント

伯耆丸跡から望む福知山城天守郡福知山城を代表するカットは、本丸西側から天守群を捉える構図がよい。24mm前後の広角レンズ(35mm換算)を用いれば、連立する天守と高石垣の広がりを印象的に収められる。また、本丸の真西に位置する伯耆丸からは、天守を引き寄せた美しい遠景が得られ、こちらは100mm前後のレンズが適している。この丘は現在、伯耆丸公園として整備され、市民ボランティアによって維持管理が行われている。いずれも午後の時間帯が順光となり撮影に向く。そのほか音無瀬橋周辺では、明智藪と福知山城を組み合わせた構図も楽しめる。

福知山城の写真集

城郭カメラマンが撮影した「お城めぐりFAN LIBRARY」には、福知山城の魅力を映す写真が並ぶ。事前に目にしておけば現地での発見が鮮やかになり、旅の余韻もいっそう深まる。

福知山城周辺の観光スポット・史跡めぐり

移築城門と能舞台

福知山城にはかつて48の城門があったという。そのうち、城下に移築現存している城門が5基、朽木家に関係する能舞台が1棟ある。

照仙寺山門

照仙寺山門(福知山城の移築城門)長屋門形式の移築城門。太鼓門とする説、藩主級の屋敷門とする説がある。

正眼寺山門

正眼寺山門(福知山城の移築城門)福知山城の二の丸登城口に、銅門番所とともに建てられていた銅御門。市役所横にあったものを明治31年(1898)に正眼寺山門として移築された。

法鷲寺山門

法鷲寺山門(福知山城の移築城門)鬼瓦と肘木より下は現存で、あとの部材は新しい部材で修理を受けている。

明覚寺山門

明覚寺山門(福知山城の移築城門)扉上部に格子を設けた透門で、鬼瓦は四ツ目の朽木家紋、各所に赤い塗料の痕跡がある。

一宮神社能舞台

一宮神社能舞台安政4年(1857)に現在の東岡地区にあった朝暉神社境内にあった能舞台で、廃藩置県の際に、一宮神社に払い下げられ移築された。朝暉神社は朽木種綱を御祭神とした神社で、現在は福知山城の本丸にある。

このほか、瑞林寺の山門が福知山城の移築城門となっている。

御霊神社

御霊神社は、福知山城を築いた明智光秀を祀る社として知られ、境内の各所に桔梗紋を見ることができる。事前に予約すれば、ご神職から直接由緒や歴史の話を伺える機会もある。

福知山城から広がる城めぐり

近郊の城

福知山城の東およそ車で15分の三段池公園近くには、中世城郭として知られる猪崎城がある。土塁や曲輪などの遺構が比較的良好に残り、現在は公園として整備されているため、散策や見学にも適した場所だ。

丹波の名城

丹波の名城をたどると、山々に築かれた城と城下町に地域の歴史の重なりが見えてくる。

豊臣秀長ゆかりの城

秀吉の実弟・豊臣秀長が城主・城代を務めた足跡をたどる城めぐり。

京都府の名城

京都府に残る多彩な名城からは、地域の歴史の広がりが見えてくる。

福知山城周辺グルメ・名物料理

福知山で有名店も押さえておきたい。旅の気分や時間帯にあわせて選べる店が揃う。

「鳥名子(とりなご)福知山本店」は、名物の鴨すきで全国的に知られる一軒。たっぷりのネギとともに味わう鴨鍋は、滋味深く印象に残る味わいだ。

「柳町」は、明治時代の町家を活かした落ち着いた空間が魅力。親子丼や鴨料理を楽しめ、夜はBarとしても利用できる。

「出石皿そば 五萬石(ごまんごく)福知山店」では、兵庫県出石名物の皿そばを味わえる。出石城を訪れた際に必ず口にしたい名物だ。打ち立て、茹でたての蕎麦を小皿で重ねていただく独特の食べ方も楽しみの一つ。

「和楽」は福知山駅前にある和食店で、昼は定食、夜は居酒屋として気軽に利用できる。福知山アークホテル内。

福知山城アクセス・駐車場・営業時間

所在地

住所:京都府福知山市内記5 [MAP] 県別一覧[京都府]

電話0773-23-9564(福知山城天守閣)

開館情報

福知山城公園は散策自由。福知山城天守閣は9時〜17時(入館16時30分まで)。毎週火曜(祝日の場合は翌日) ・12月28日~31日・1月4日~6日休館。

アクセス

鉄道利用

JR山陰本線・福知山線、京都丹後鉄道宮福線「福知山駅」下車、東へ徒歩15分。

マイカー利用

舞鶴若狭自動車道(舞若道)、福知山ICから、西へ6分(4.8km)。福知山城公園観光駐車場(無料・70台)有り。

福知山城周辺ホテル・宿泊情報

福知山城近郊にはホテルはなく、JR福知山駅近郊に集中している。「ホテルサンルート福知山」「福知山アークホテル」あたりが良い。安く済ますなら「ニコニコカプセルホテル」。

福知山城をより深く学ぶ展示・資料館・学習スポット

『福知山市史第二編』や郷土資料館図録『福知山城の歴史』など。

福知山城:城ファンの知見と記録

福知山城を訪ねた人たちが残してきた記録です。現地での発見や知見が寄せられ、城歩きの文化の中で育まれてきた経験がここに蓄積されています(全8件)。

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    今一番欲しているモノは福知山城だけに関する専門書と福知山城のプラモデルです。時間があれば本屋・古本屋に行きます。一方のプラモデルの方はまだパソコンで検索するに止まっています。どなたか福知山城だけに関する専門書と福知山城のプラモデルが売ってある所をご存知の方はいませんか?

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    復元天守群内は郷土資料館になっていますが、あまり「観光地です!」という印象が浸透していないためか少し物足りなさを感じました。それでも福知山城は絶対に美しい!名城でもなければ規模も小さい。しかし小生はそんな、ある意味での「この城の奥ゆかしさ」に心を奪われました。天守群を眺めながら煙草も吸える場所もあるし、個人的には大満足!今までのお城めぐりで「衝撃的!」だったのは福知山城が初めてですね。

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    福知山城の見所は、個人的には「全て」と言いたいところですが、敢えて言うなら復元ではありますが、天守群と地下50mもある豊磐井。また、社寺から転用された石材、五輪塔、石仏、墓石等の多さでしょうか。こんな石垣で構成されているのは大和郡山城ぐらいではないでしょうか。

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    福知山城は、天守台の石垣に「転用石」(既存の石仏などの石材)が用いられているところが見所です。天守台の西面に多くの転用石が見られます。

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    小生は京都府民ではありませんが、もし夢が叶ったら、福知山市民になりたいほどです。今から老後のことを考えるのは年齢的にもおかしな話ですが、老後は福知山市民になり、福知山城の一望できる所に住み、毎日福知山城を眺めながら、優雅な老後を過ごしたいなんて思ってしまいます。福知山市は「北近畿の都」ですので、大都市ではないにしても、モノにこまることはないでしょう。とにかく美しいお城です。

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    小生も幼き頃からお城のファンで、旅行や日帰り旅等で色々なお城をよく訪ねます。その中で出色なのは「福知山城」です!遺構とされている銅門、番所、井戸、石垣、堀等もさることながら、復元された天守群の美しいこと…思わずため息が出るほどでした。

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    天正7年(1579)、明智光秀により既存の古城を利用して築城。その後、杉原家次・小野木重勝らによって遂次増改築が行われ有馬豊氏の時代に城郭部、城下町とともに完成したと考えられる。さらに、寛文九年朽木稙昌が城主についてからは、明治維新まで代々朽木氏が城主を勤めることになる。

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    昭和62年に大天守、小天守、続櫓が再建。郷土資料館になってます。見所は、石垣の石材に用いられた多数の転用石。天守台の石垣に見える増築のラインなどです。地下50メートルも掘りぬいた井戸も見所。城の建物としては、唯一、銅門番所が残ってます。

城の情報

福知山城での発見を記録に残しませんか?