秋山氏の菩提寺で「秋山城主之碑」や「秋山家4代の墓宝塔」がある。天正13年(1585)、豊臣秀長が大和郡山城に入り、筒井順慶らと大和勢力の追放を行い、この時、秋山城を退去している。その後、秋山城は破却され、織田信雄の代に山の麓に秋山陣屋が築かれることとなる。
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