写真・監修:岡 泰行/城郭カメラマン

新府城の歴史と見どころ

甲斐国の北西、七里岩台上の小丘陵に新府城が築かれたのは天正9年(1581)だ。武田勝頼は長篠敗戦後、防衛態勢を強めるべく「新府中」構想を掲げ、府中機能の移転を視野に普請を断行した。普請奉行は真田昌幸とされ、十軒に一人の割で三十日の夫役を課す触書が出されるなど、領内総力の突貫で進んだと伝わる。9月頃に主要工事がまとまり、同年12月24日に勝頼は入城した。

新府は、躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)に象徴される甲府の古府中に代わる、新たな政治・軍事の中心として計画された。武田家の本拠を北西へ移す戦略的意味をもっていた。周囲には家臣団屋敷や寺社の移転も構想されたが、築城が防衛態勢の構築を急ぐ突貫工事であったため、城下町の形成は途上に終わる。

翌天正10年(1582)、織田・徳川の圧迫が迫るなか評定が重ねられ、3月2日夜に城へ自ら火を放ち、3日未明に甲斐落去の途へ。勝頼は岩殿入城を小山田信茂の変心で阻まれ、11日、天目山の麓・田野で自刃し、武田宗家は滅びを迎えた。

時は流れ、本能寺の変後の天正壬午の戦いでは、徳川家康が新府城に本陣を据え、若神子方面の北条軍と対峙した。新府は短命の居城でありながら、台地一丘をまるごと要塞化する意図が明確な、晩期武田氏の集大成といえる。近年は発掘成果にもとづく整備が進み、丸馬出や三日月堀、桝形など武田流の技法が遺構から読み解ける状況にある。

新府城の特徴と構造

新府城の立地は標高522m、比高約72mの七里岩台上に載る平山城で、規模はおよそ400m×700m。城域は本丸・二の丸・三の丸と大手・搦手の虎口群、これらを取り巻く帯郭と空堀・土塁で骨格を成す。

本丸は長方形で周囲に土塁、二の丸は一段下がって西の急崖に続く。大手側には馬出と桝形、前面に三日月堀を配し、搦手側にも桝形・横矢構えを置く。外周は西・中・東の堀と首洗池をともなう帯郭がめぐり、北方には能見城や長城と呼ばれる外郭線が展開する。石垣使用は限定的で、切盛と土塁・堀の組合せが主技法だ。

参考文献:

  • 『日本城郭大系8』(新人物往来者)
  • 「新府城跡」韮崎市Webサイト

新府城の撮影スポット

新府城は東側からアクセスするが、西側は天然の断崖となっている。その西側の顔を撮っておきたい。また、城内では、本丸に加え、大手門跡とその一角を成す三日月堀跡を撮影しておきたい。

新府城の写真集

城郭カメラマンが撮影した「お城めぐりFAN LIBRARY」には、新府城の魅力を映す写真が並ぶ。事前に目にしておけば現地での発見が鮮やかになり、旅の余韻もいっそう深まる。

新府城の周辺史跡を訪ねて

韮崎民俗資料館へどうぞ。新府城の模型が設置されていて規模が理解できる。

新府城の観光情報・アクセス

所在地

住所:山梨県韮崎市中田町中条字城山 [MAP] 県別一覧[山梨県]

電話0551-22-1111(韮崎市商工観光課)

  • 公式サイト:「新府城跡」(韮崎市役所文化財担当)

アクセス

鉄道利用

JR中央本線、新府駅(韮崎の一つ先)下車、徒歩10分で登山口。上りホーム入り口前に簡単な地図あり。でも1本道なので、歩き出す方向さえ間違えなければ迷いません。途中お稲荷さんの鳥居をくぐると近道ですが、そのまま進むと堀端に桜があるのでそれも一興。

マイカー利用

中央自動車道、韮崎ICから5.6km(約9分)。県道27号線を西へ、県道17号線を北へ。駐車場約20台。

新府城:城ファンたちの記憶

実際に新府城を訪れた城ファンの皆さまが綴る、印象に残った景色、人との出会い、歴史メモ、旅のハプニングなど、心に残る旅の記憶を共有しています(全7件)。

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    新府城の本丸の門を支えたとみられる等間隔に並んだ5つの礎石が発見された。礎石から門の大きさが推測できるそうです。

    北のまほろば)

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    夢の跡といった風情のある所です。駅から畑を突っ切るようにして進み、ひたすら階段を登ると到着します。ホントに何もないです。あと、どうやら甲府付近の学生にとっては心霊スポットでもあるようです。

    ふくちん)

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    本丸にトイレあり。桜も大きい樹ばかりで花見には最高。でも駅から城まで、お店はおろか自販機の1つもありませんので、事前に用意しておくことが必要。

    よーすけ)

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    甲府まで行って躑躅崎館(現武田神社)を見なくてはなりますまい。宿泊処は、10km単位で移動すれば温泉だろうがリゾートだろうがあります。

    よーすけ)

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    周囲は桃畑。私の行った4月中旬は桃の花が満開で、「これぞ桃源郷」というすばらしい景色でした。行くならこの時期をおすすめします。

    よーすけ)

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    周囲は人家もあまりないところですので、城跡の保存状態は良好です。もともと土塁だけで石垣のなかった城ですが、堀はもちろん、城全体の形がほぼ完全に残っているのではないかと思います。城内に一応、解説のたて看板があった記憶が。くまなく回ろうと思うと草むらも多いので、服装にはやや注意が必要かもしれません。

    よーすけ)

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    武田勝頼が真田昌幸に築かせたが、織田軍の侵入でわずか3ヶ月で放棄、天目山に武田家は滅んだという短命な城。

    よーすけ)

城の情報

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