写真:林田公範・岡 泰行
臼杵城の撮影スポット
臼杵城の写真集
城郭カメラマンが撮影した「お城めぐりFAN LIBRARY」には、臼杵城の魅力を映す写真が並ぶ。事前に目にしておけば現地での発見が鮮やかになり、旅の余韻もいっそう深まる。臼杵城の周辺史跡を訪ねて
稲葉家下屋敷は漆喰の土蔵や土塀、まさに上級武士の屋敷。また、「二王座歴史の道」と呼ばれる地区がおすすめ。石畳の坂道、旧武家屋敷、町家など当時の面影を色濃く残す町。ちなみにその坂道の石畳はこの地方産出の臼杵石を使用している。
臼杵城の周辺おすすめ名物料理
黄飯。その名のとおり黄色いご飯。江戸後期、藩主の稲葉氏が財政難から、小豆の代わりにクチナシの実を使ったのが始まり。一説には南蛮のパエリヤを模したとも言われている。大根、にんじん、ゴボウ、ネギ、豆腐など魚を煮込んだかやくを乗せて食す臼杵独自のご飯だ。旧稲葉藩主の屋敷を一般公開している「稲葉家下屋敷」では黄飯の郷土料理も味わえる(郷土料理は要予約・2日前・10名以上)。その他、臼杵と言えば、ブリやハマチの醤油漬けをおからと混ぜ合わせた「きらすまめし」、一年中味わえるフグも有名。
臼杵城観光のおすすめホテル
JR臼杵駅前の「ビジネスホテルあわづ」など。安くいくなら3,000円台からシングルがある「ニューホテル玉屋」。
臼杵城の観光情報・アクセス
岡 泰行 | 城郭カメラマン [プロフィール]
1996年よりWebサイト「お城めぐりFAN」を運営し、日本各地の城郭を訪ね歩いて取材・撮影を続けている。四半世紀にわたる現地経験をもとに、城のたたずまいと風土を記録してきた。撮影を通して美意識を見つめ、遺構や城下町の風景に宿る歴史の息づかいを伝えている。その作品は、書籍・テレビ・新聞など多くのメディアで紹介され、多くの人に城の美しさと文化を伝えている。
臼杵城:城ファンたちの記憶
実際に臼杵城を訪れた城ファンの皆さまが綴る、印象に残った景色、人との出会い、歴史メモ、旅のハプニングなど、心に残る旅の記憶を共有しています(全7件)。




ここはわしの城じゃ
天然の要害であり、海も山も見えるぞい
毛利から守るためにあった城で、朝の景色が最高じゃ
さすがじゃろ
( 大友宗麟)
日名子実三作の大友宗麟のレリーフが2つあり、1つは最盛期、1つは晩年のもの。見比べて見るのも良いですよ。
( あ〜じょ)
二の丸跡の護国神社(別名稲葉神社)、池がある所ですが、(稲葉家と臼杵勤皇隊を祀っています)その辺りに石造りの大きな金葛籠があります。元々天守閣にあったお金を入れていたものですがもしかしたら財宝が!!…あるといいなぁ…(泣)
( あ〜じょ)
城の奥(手前を大門櫓(町の方)とする)。「亀の首」からは、海が見え、臼杵七島の一つであるおにぎり型の「月見島」(現在は「つくみしま」と呼ばれる)が見える。
( あ〜じょ)
大友宗麟によって築城され、福原、太田、稲葉と廃藩置県によって壊されるまで続きました。そもそも大友宗麟がここに城を築いたのは 毛利が怖かったから。府内(大分市)より臼杵の方が遠かった事と周りが全部海に囲まれていたので毛利が攻めてきたときに見つけやすかったから。当時は大きな港としての機能があり、南蛮貿易がしやすかった、という理由が挙げられる。元々3件の漁師が住んであったのを城を造る為に丁重に立ち退いてもらったとのことらしい。
( あ〜じょ)
臼杵城は周囲4kmの丹生島(臼杵七島の一つ)に築かれた海城で、その姿から巨亀城、金亀城、亀城などの別名がある。永禄5年(1562)、大友宗麟により着工。天正4年(1576)には三層四階の天守と31の櫓があったらしい。明治維新で櫓の2つを除きほとんどが取り壊された。現在は臼杵公園となっている。
( あ〜じょ・半兵衛)
1997年4月に堀の復元と古橋周辺の修復作業が行われた。
( 半兵衛)