写真・監修:岡 泰行/城郭カメラマン
権現台場の歴史と見どころ
蝦夷が徐々に幕末の動乱に巻き込まれていく中、五稜郭が完成した元治元年(1864)年頃、鬼門を守る守護神社として、幕府の箱館奉行小出大和守によって、旧東照宮(のちの北海道東照宮)が上山村(現・函館市神山)に創建された。
やがて、明治元年(1868)年、旧幕府脱走軍が五稜郭を拠点に抗戦するなかで、同社の所在する地が防衛線の一環として砲座・土塁を備えた台場となり「権現台場」と称された。その名は権現山に名に由来する。
しかし、明治2年(1869)年の官軍の攻勢により社殿は焼失し、その後、社地・社殿は市内を転々と移設され、最終的に平成3年(1991)年に北海道東照宮に名を変え、函館市陣川町に落ち着いた。現在、その跡地には、神山稲荷神社が祀られている。
権現台場の特徴と構造
この地は五稜郭の北東(鬼門)にあたり、丘陵上の標高を利用した防衛拠点として選ばれている。現在も、社殿跡に残る大鳥居(元治2年/1865年建立)には戦火の弾痕が残り、背後の土塁は台場としての性格をよく伝えている。構造的には、神社敷地を囲むかたちで土塁・砲座が配置され、四稜郭とともに、出城・堡塁としての機能があった。
参考文献:
- 「旧東照宮と権現台場跡 観光説明板」函館市
- 「史跡四稜郭」函館市公式サイト
権現台場の散策コース
現在は神山稲荷神社となっているが、拝観時間等の制約は特にない。大鳥居と神社裏手の土塁を見忘れるなかれ。
権現台場の周辺史跡を訪ねて
権現台場の観光情報・アクセス
岡 泰行 | 城郭カメラマン [プロフィール]
1996年よりWebサイト「お城めぐりFAN」を運営し、日本の城郭をめぐる旅をライフワークとする。長年にわたる豊富な経験と、城郭写真家としての専門的な視点から、当サイトの記事を監修。その写真と知見は、数々の書籍やメディアでも高く評価されている。
権現台場:城ファンたちの記憶
実際に権現台場を訪れた城ファンの皆さまが綴る、印象に残った景色、人との出会い、歴史メモ、旅のハプニングなど、心に残る旅の記憶を共有しています(全3件)。




新政府軍の攻撃を受け東照宮の社殿も焼失してしまったが、大鳥居は、五稜郭や弁天台場の石垣造りを手掛けた井上喜三郎作で現存している。鳥居には当時の弾痕が残るらしい。
( 安国寺AK)
現在は神山稲荷神社となっているが、拝観時間等の制約は特になく散策自由。大鳥居と神社裏手の土塁を見忘れるなかれ。
( shirofan)
箱館戦争時、五稜郭を占拠した旧幕府軍が、明治2年に五稜郭の北を守る意味あいで、四陵郭を築城、その間にある函館東照宮に、砲台を設けたことから権現台場と呼ばれた。
( shirofan)