写真・監修:岡 泰行/城郭カメラマン

松前藩戸切地陣屋の歴史と見どころ

松前藩戸切地陣屋は、安政2年(1855)に築かれた陣屋で、箱館防衛の要衝として設けられた。前年の神奈川条約によって箱館が開港すると、幕府は蝦夷地を直轄地とし、松前家には知内から江差までの地を与えて防備を命じた。松前藩は箱館湾西口を守る矢不来台場を支援するため、上磯町野崎(現・北斗市)の向陽原に陣屋を築くことを決定したのである。

17代松前藩主、松前崇広の命により、家臣の藤原主馬が設計を担ったとされる。藤原は佐久間象山に学んだ砲術・築城法の知識を活かし、洋式堡塁を取り入れた設計を行った。工事は地元の名主・種田徳左衛門が人夫や資材を統率し、松前城築城の副工頭橋詰彦右衛門が建築を担当、同年六月に着工、わずか五か月で完成した。陣屋の完成検査は家老藤倉右近らによって行われ、11月には竹田作郎・副備頭豊田庫之進・目件吉井前らが初代備頭として赴任した。

戸切地陣屋にはおよそ120人の藩士が六ヶ月交代で詰め、鉄砲59挺、大砲37門を備えた。文久元年(1861)には屯田制が試みられ、藩士が開墾に従事したこともある。だが、明治元年(1868)戊辰戦争の際、徳川脱走軍が渡島に上陸。大鳥圭介率いる旧幕軍の攻撃を受けた松前藩兵は、官軍と合流するため陣屋に火を放ち退却した。これにより、14年にわたる陣屋の歴史は幕を閉じた。

今日では土塁や空堀、馬隠しなどが良好に残り、国指定史跡として保存されている。春には桜の名所として多くの人が訪れている。

松前藩戸切地陣屋の特徴と構造

戸切地陣屋は、洋式の平地堡塁を基調とした四稜形の構造で、郭の中央と裏口に門を配し、南東隅には六門の砲台を備えていた。周囲には高さ約2.1mの土塁と幅約3mの空堀をめぐらせ、内部には物見台や馬隠し土塁を設けた。主要施設として、御備頭・目付の詰所、足軽長屋、鉄砲庫、米蔵、文庫、厩、炭倉などが整然と配置され、郭外には火薬庫が設けられた。

敷地面積は約1万1200坪(約3.6ha)に及び、さらに屋敷地計約5万坪の広さがあった。陣屋の兵力は120名余りで、砲・鉄砲を装備し、屋内外での調練や兵学講義が行われた。現地では土塁線が明瞭に残り、近世末期の洋式軍事施設として高い史料的価値をもつ。

  • 『日本城郭大系1』 新人物往来社
  • 『北門史綱』 松前藩編纂(江戸末期)
  • 「松前藩戸切地陣屋跡」北斗市Webサイト

松前藩戸切地陣屋の観光情報・アクセス

所在地

住所:北海道北斗市野崎 [MAP] 県別一覧[北海道]

電話0138-77-5011(一般社団法人 北斗市観光協会)

アクセス

鉄道利用

JR函館本線、新函館北斗駅からタクシーで約12分。または、バス富川会館前行き「清川陣屋」降車、徒歩約12分。

マイカー利用

函館江差自動車道、北斗中央ICから約5分(2.8km)、無料駐車場有り(300台)。

松前藩戸切地陣屋:城ファンたちの記憶

実際に松前藩戸切地陣屋を訪れた城ファンの皆さまが綴る、印象に残った景色、人との出会い、歴史メモ、旅のハプニングなど、心に残る旅の記憶を共有しています(全3件)。

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    松前藩戸切地陣屋は、四稜郭タイプの城で、東南角が台場になっている。また、裏門から林道を北に進むと左手に、発掘整備された火薬庫跡がある。

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    松前藩が幕末に西洋式築城法で建てたもので、五稜郭四稜郭と似たような星形の土塁がとてもきれいな城です。今回は資料収集に行った時に、裏門の奥の方に火薬庫跡があるという情報を得ましたので、それを確認したいと思っていました。壕の外側をぐるっと歩き、裏門の方へ行くとなんと「ヒグマ注意」という看板が…。火薬庫方面に進むのを一瞬躊躇してしまいましたが、気を取り直して西の方に進みました。

    200mほど進むと左手の方に火薬庫跡の土塁が見えてきました。高さ50〜60cmほどの土塁が四角く囲み、その周りを排水用と思われる堀(溝?)が囲んでいます。中央部は若干高くなっており、火薬庫の建物跡が平面復元されていますが、ほんとにこれだけの広さしかなかったのか?と思えるほど小さなものでした。白老町にある仙台藩陣屋にも火薬庫跡の土塁があるのですが、こちらの方が遥かに大きく高く、それと同じようなイメージを持っていたのでちょっと拍子抜けしてしまいました(白老陣屋の方は土塁が丸くなっていますけど)。とはいうものの、この火薬庫跡の土塁もなかなかきれいに整備されていて、戸切地陣屋においでになった時にはこちらも見ておいて損はないと思います。

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    2年ぶりの訪城となる松前藩戸切地陣屋です。前回は丁度桜が満開の頃で、陣屋付近まで続く「桜のトンネル」、そして屈曲のある雄大な土塁に感心したという記憶がありますが、やはり戸切地陣屋は見応えのあるところでした。

    午前中断続的に降り続いた雨も、この頃には上がっていたのですが、陣屋内の草むらは湿っていて、そのせいで靴の中をぬらしながらの訪城となりました。まず目に付いたのは大手門です。2年前に来た時にはなかったのですが、ピカピカの大手門&搦手門が立っていました。また各所に立っている遺構等の説明板も前回にはなかったもので、史跡としてきちんと整備しようという気持ちが感じられ好感が持てました。

    前回きちんと見なかった東側の隅にある砲台部分を見てみましたが、切れ込みが6ヶ所あり、そこが砲座になるようで、その丁度真ん中には6門の大砲を入れていたという「大砲入跡」が平面復元されています。その他にも多数の建物跡が平面復元されています。

    また土塁の高さ・堀の深さも10mくらいはあり、この陣屋の堅固さを象徴しているかのようです。また土塁の内側には段が作られており、犬走りのように兵士が移動したり、そこから射撃したのでしょう。とにかく、この陣屋は必見です。車がないとちょっと不便ですが、この土塁と堀をみれば満足していただけると思います。正直言って四稜郭なんて目じゃないです。でもやっぱり四稜郭の方が知られてるもんなあ…。

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城の情報

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