脇本城は、中世に築かれ、戦国時代には安東愛季によって大規模に改修された山城。日本海を望む丘陵上に広大な曲輪群が展開し、土塁や空堀などが残る。城跡から広がる日本海の眺望も大きな魅力。このページでは脇本城の歴史と構造、遺構や撮影スポットを豊富な写真とともに紹介する。
写真:岡 泰行(城郭カメラマン)
脇本城の歴史・見どころ
脇本城の歴史
脇本城(わきもとじょう)は、男鹿半島南東部、日本海を望む標高約100mの丘陵上に築かれた山城。築城の時期や当初の姿は明らかではないが、『日本城郭大系』では安東氏が居城する以前から城として使用されていたとする。戦国時代には秋田県中央部から北部へ勢力を広げた安東氏の重要拠点となり、檜山城と湊城の間に位置する城として機能した。
脇本城を大規模に整備したのは安東愛季とされる。愛季は元亀元年(1570)頃までに秋田郡・檜山・豊島郡へ勢力を広げ、天正5年(1577)に脇本城を大規模に改修して居城としたと考えられている。船越方面から脇本集落を通り、城内を経て船川・北浦方面へ通じる主要道「天下道」が通っていた。周辺の港とあわせて陸上交通と日本海の海上交通を押さえることができ、日本海沿岸を拠点として勢力を伸ばした安東氏にとって重要な場所だったことがうかがえる。
愛季は天正8年(1580)に脇本城下へ法蔵寺を建立し、天正10年(1582)には織田信長へ鷹を献上するなど、中央との政治的な関係も築いた。『日本城郭大系』によれば、愛季は天正15年(1587)に小野寺氏・戸沢氏との唐松山合戦に出陣し、同年に脇本城で病没した。その後は安東実季が跡を継いだ。
やがて安東氏内部の対立から「湊合戦」が起こる。『日本城郭大系』では、脇本城にいた安東修季が湊城の高季を扇動して反乱を起こし、苦境に陥った実季が由利勢の援軍を得て反撃、脇本城と湊城を掌握したとする。修季は戦死し、城の東側にある菩提寺・曹洞宗桂源寺に葬られたという。
天正18年(1590)、豊臣秀吉による奥州仕置が行われた。男鹿市の現地案内板では、このとき実季も脇本城の廃城を申し渡されたと推定している。一方、城域南端に鎮座する菅原神社は安東氏との関わりを伝え、社伝では天正19年(1591)に安東実季が再建したとされる。さらに社伝には、それ以前に安東太郎が脇本に城を築いた際、同社を男鹿鎮護の総社とし、神領160石を寄進して氏神として祀ったことが伝えられている。
『日本城郭大系』では、その後、生鼻崎は承応2年(1653)や文化7年(1810)の地震によって大半が海に没し、形態を失ったと伝える。現在も丘陵上には広大な曲輪群や土塁、空堀、井戸跡などが残り、発掘調査によって、かつて考えられていた以上に巨大な戦国山城だったことが明らかになっている。
脇本城の特徴と構造
脇本城は、日本海に面した標高約100mの丘陵地に築かれ、東西約1.8km、南北約2.0km、総面積約150haに及ぶ東北最大級の山城。船越方面から脇本集落を通り、城内を経て船川・北浦方面へ通じる主要道「天下道」があった。周辺の港とあわせて陸路と海路を押さえる立地に大きな特徴がある。
城域には内館、馬乗り場・古館、兜ヶ崎、打ヶ崎、お念堂など複数の曲輪群が展開し、内館と馬乗り場・古館が主要部とされる。天下道から内館へ入ると、曲輪、土塁、空堀、井戸跡などを確認でき、発掘調査では掘立柱建物、塀・柵、溝も検出された。主郭部では高さ約6mの大規模な土塁が曲輪を区画し、西側には南北約250mに及ぶ土塁が築かれている。
曲輪には斜面へ盛土して平坦面を広げた場所もあり、自然地形を利用しながら大規模な造成が行われていたことがわかる。眼下の脇本本郷には短冊形の地割やカギ型の道路も残る。城内を通る天下道、丘陵上に展開する曲輪群、城下町、日本海を一体として見ることで、陸路と海路を掌握した安東氏の大規模な拠点としての姿を読み取ることができる。
脇本城の整備状況
脇本城跡は平成16年(2004)9月30日に国史跡に指定され、令和4年(2022)11月10日には追加指定を受けた。現在の指定面積は1,289,760㎡。内館地区を中心に発掘調査が行われ、掘立柱建物跡、塀・柵跡、溝などの遺構のほか、陶磁器、木製品、金属製品、火縄銃の弾丸や骨製のさいころなども確認されている。
城内では曲輪、土塁、井戸跡などを歩いて見学でき、主要地点には発掘成果や復元想像図を盛り込んだ案内板が設置されている。令和5年(2023)には脇本城跡案内所の内装・展示が改修されたほか、天下道の分断部分には古道階段「中世へのかけはし」が整備された。現在も史跡の保存整備が続けられており、遺構や散策路の維持管理などが行われている。
参考文献:
- 『日本城郭大系2』(新人物往来社)
- 史跡脇本城跡現地案内板(男鹿市・男鹿市教育委員会)
- Webサイト「脇本城跡」(男鹿市)
- Webサイト「菅原神社」(秋田県神社庁)
脇本城をより深く学ぶ展示・資料館・学習スポット
脇本城跡案内所
脇本城の登城途中にある案内施設。脇本城に関する解説資料やパンフレットなどが用意され、続日本100名城スタンプも設置されている。令和5年(2023)に内装と展示が改修された。ここから天下道を経て主要地区の内館へ向かうことができるため、広大な城域や遺構の概要を確認してから城内を巡るとわかりやすい。入場無料、24時間利用可能。
脇本城の撮影スポット・絶景ポイント
脇本城を撮るなら、下草がまだ伸びきらない新緑の季節がおすすめ。曲輪や土塁の起伏がわかりやすく、緑に包まれた広大な城跡を撮影できる。城内には視界が大きく開ける場所が多く、撮影ポイントにはそれほど迷わない。
とくに内館周辺からは、弓なりの日本海沿岸を見渡す絶景を望むことができる。こうした遠景を撮るなら、空気の澄んだ日を選びたい。脇本城は遺構だけを切り取るより、曲輪や土塁と、その先に広がる海や空を一緒に画面へ入れることで、この城の規模と立地が伝わる写真になる。
脇本城アクセス・駐車場・営業時間
所在地
住所:秋田県男鹿市脇本脇本七沢外 [地図を見る]
県別一覧:[秋田県の城]
電話:0185-24-9103(男鹿市文化スポーツ課 文化ジオパーク推進班)
開館情報
脇本城跡は散策自由。
※脇本城跡周辺ではクマの目撃情報があります。登城前に男鹿市公式ページで最新の情報をご確認ください。
アクセス
鉄道利用
JR男鹿線「脇本駅」下車、徒歩約30分。
マイカー利用
国道101号沿いに無料駐車場有り(6台)。駐車場脇の登城口から脇本城跡案内所まで約5分。
地図
掲載写真・記事は、現地調査・撮影・記録をもとに作成しています。
脇本城:城ファンの知見と記録
脇本城を訪ねた人たちが残してきた記録です。現地での発見や知見が寄せられ、城歩きの文化の中で育まれてきた経験がここに蓄積されています(全4件)。
脇本城でのひとときを、そっと記録に残す







麓の案内板に従って車で登ると城跡に着く。城跡はちょうどトンネルの上にあり、途中菅原神社のところまで竪堀と思えるものが登山道と並んでいます。城跡入り口に案内所があり、人はいませんがパンフレットが置いてありました。城跡はきれいに手入れされており保存が良好でした。
記録:なべ 2005
ちょっとマイナーなところでは、秋田の男鹿半島を海岸沿いにまわって脇本城、館山城、染川城めぐりなんてどうでしょうか。これらを見て行くと男鹿半島が一周できます。入道崎だったと思いますが、名物がウニで、生ウニ丼なんてのが食べられます。男鹿半島は、晴れていれば景色は最高でいうことなしです。私が行った時は、脇本城は、整備中でしたがここの景色は、ばつぐんでした。
記録:たぐち 1999
脇本城は、男鹿市にあります。土崎湊城に移る前の安東氏の居城。200年くらい前の地震で城があった岬が崩れたらしいですが、本丸跡やその他の曲輪は残っているようです。
記録:くま 1999
脇本城は、天正5年(1577)安東愛季が大規模に修築し居城とした城です。愛季はもと檜山城主で、元亀元年(1570)秋田湊城を統合して、小鹿島をも直轄地とし、「ひのもと(蝦夷)将軍」として蝦夷管轄をも担いました。
記録:たぐち 1998