岡崎城の歴史・見どころ

岡崎城(おかざきじょう)は、享徳元年(1452)から康正元年(1455)にかけ、西郷弾正左衛門頼嗣(稠頼)が矢作川と菅生川の合流点に近い龍頭山の半島状段丘上に築いた砦を起源とする。当時は現在の明大寺地点に西郷氏の居館(元岡崎城)があり、龍頭山の城は北方に対する砦であった。享禄4年(1531)に松平清康が明大寺から本拠を移して城域を拡大し、寺院の配置などを進めて本格的な城郭として整えた。

天文11年(1542)には徳川家康がこの城(二の丸、後の御誕生曲輪)で誕生し、永禄3年(1560)の桶狭間合戦後に自立すると岡崎城を拠点として三河統一を進め、領国支配の中心として機能させた。

元亀元年(1570)に家康が浜松へ本拠を移した後も岡崎城は徳川領三河を統括する本城の役割を担い、嫡男信康が城主を務めた。信康自刃後は石川数正や本多重次らが城代となったが、石川数正の出奔後には機密漏洩を防ぐため急ぎ城郭改修が行われ、防御強化が進められた。天正18年(1590)の関東移封後は豊臣家臣田中吉政が入城し、城郭の大規模な整備拡張と文禄元年(1592)の総構えの造成、城下町の建設を推進した。

関ヶ原合戦後、江戸幕府が成立すると岡崎城には譜代大名が相次いで配置され、本多氏・水野氏・松平氏らが城主となった。本多康重は東海道の整備や東馬出しの築造を行い、本多康紀は元和3年(1617)に三層三階地下一階の望楼型複合式天守を再建して城内の大改修を進めた。本多忠利は菅生川の流路を南へ寄せる築堤や石垣整備など治水と防備を兼ねた工事を実施し、その後に入封した水野忠善が総門の設置や枡形の増設を行ったことで、近世城郭としての姿が完成した。

近世後期には洪水や石垣修理など維持の負担を抱えつつも城は存続したが、明治4年(1871)の廃藩置県後に額田県庁が置かれ、明治6年(1873)の廃城令によって建物は取り壊された。その後旧藩士らの保存運動により本丸・二の丸跡は公園として整備され、昭和34年(1959)には写真資料をもとに天守が復興され、現在に至っている。

岡崎城の特徴と構造

岡崎城は矢作川と菅生川の合流点を望む標高約24mの龍頭山の半島状段丘先端に築かれた平山城で、矢作川と菅生川(乙川)が天然の堀として機能する要地に立地する。原地形を巧みに利用した縄張りが特徴で、段丘上に本丸・二の丸・三の丸などの曲輪を配し、低地部にも菅生曲輪や白山曲輪などを展開して城域を拡張した。

中世以来の遺構として、本丸北側に残る清海堀は幅が狭く湾曲する空堀で、持仏堂曲輪の帯曲輪や重ね馬出しと組み合わされた厳重な防御構造を今に伝える。近世には田中吉政による総構えが築かれ、さらに本多氏・水野氏の時代に枡形門や総門、石垣整備が進められて近世城郭として完成した。各曲輪は堀や切通し(南・北切通し)によって区画され、街道や城下町との関係を踏まえた防御体系が構築されている点も大きな特色となっている。

坂谷門跡(伊賀川)から岡崎城天守
伊賀川越しに望む岡崎城天守。城の立地と周囲の地形関係がよく分かる撮影ポイントのひとつ。
清海堀
本丸北側に残る中世以来の空堀で、幅が狭く湾曲する独特の形状が岡崎城の古い防御構造を今に伝えている。
家康しかみ像
三方ヶ原の戦いでの敗走後の表情を写したと伝わる「しかみ像」をもとに造られた徳川家康像。
岡崎城の東隅櫓と南切通
菅生曲輪から二の丸へと通じる南切通には、東隅櫓が横矢を掛ける構造。
岡崎城の菅生川端石垣の横矢枡形
乙川(菅生川)に面して築かれた石垣と枡形構造。川沿いからの侵入に備えた防御の工夫が見て取れる。

岡崎城の整備状況

明治初年の廃城後、本丸・二の丸跡は城址公園として保存され、公園整備や施設設置が段階的に進められた。大正期には図書館や運動場が整備され、昭和期には国道1号開通や戦災復興を経て市街地化が進行した。昭和34年(1959)には鉄筋コンクリート造三層五階の天守と井戸櫓・附櫓が復興され、岡崎城跡は昭和37年(1962)に市史跡に指定された。その後、平成28年(2016)には史跡の追加指定が行われている。現在は岡崎公園として整備され、日本都市公園100選や日本さくら名所100選に選定されるなど、市民の憩いの場となっている。

近年は岡崎城跡の価値を構成する重要要素として石垣の保存修理が進められており、「岡崎城跡整備基本計画」や石垣保存修理基本計画に基づき、史跡指定範囲にとどまらず城下町を含めた総構え全体の一体的整備が検討されている。平成22年(2010)には東隅櫓が木造で復興されるなど、発掘調査や景観整備を通じて、城郭遺構と歴史的風致を将来へ継承する取り組みが続けられている。

参考文献:

  • 『日本城郭大系9』(新人物往来社)
  • Webサイト「岡崎城公園」(一般社団法人岡崎パブリックサービス)
  • Webサイト「岡崎城跡石垣保存修理基本計画」(岡崎市教育委員会)

岡崎城の撮影スポット・絶景ポイント

岡崎城は天守周辺をはじめ、岡崎公園内の樹木の背丈が高く、公園の中から天守の全景をすっきり望むのはなかなか難しい。整備当初は景観を整える役割を果たしていた植栽も、成長によって視界を遮る存在になっている。

このため撮影は周囲の高い建物からの眺望に期待したい。城東側に近い「岡崎ニューグランドホテル」の9階レストランからは、天守を適度な高さで正面にとらえることができる。昼食がてら足を運ぶのもよいだろう。ただし最上階では視点が高くなりすぎ、城の背後に並ぶビル群まで写り込みやすい点には注意したい。これを避ける方法は下記「宿泊」の項を参照してほしい。

また城の西側にある「オークホテル」のスカイレストランからも天守を望めるが、見えるのは上層部が中心となる。なお岡崎城天守のライトアップは日暮れから午後9時45分まで行われている。

岡崎城の写真集

城郭カメラマンが撮影した「お城めぐりFAN LIBRARY」には、岡崎城の魅力を映す写真が並ぶ。事前に目にしておけば現地での発見が鮮やかになり、旅の余韻もいっそう深まる。

岡崎城周辺の観光スポット・史跡めぐり

岡崎公園内にある家康館は必見だ。本多忠勝の甲冑をはじめ、さまざまな資料が展示されている。天守か家康館のいずれかには、名槍・蜻蛉切のレプリカも置かれている。なお、蜻蛉切の実物は沼津在住の個人が所蔵しているという。

また、徳川家ゆかりの寺社として「大樹寺」「六所神社」「滝山東照宮」「伊勢八幡宮」がある。なかでも大樹寺には徳川歴代将軍の等身大の位牌が安置されている。岡崎城と大樹寺は互いに見通せるよう配置されており、両者の関係を今に伝えている。

岡崎城から広がる城めぐり

徳川家の本拠城

徳川家の歩みを城でたどるなら、岡崎から江戸へ続く拠点が見えてくる。

岡崎城周辺グルメ・名物料理

岡崎といえば味噌田楽の本拠。そして八丁味噌誕生の地。8丁味噌は岡崎城から西へ八丁離れた八丁村で豆味噌造り(約870m)をしていたことかがその名の由来。今も城から西へ八丁はなれた岡崎市八帖町の「カクキュー八丁味噌の郷」などで直販されている。長期保存が売りなので三河武士の兵糧として珍重されたとか。

岡崎城アクセス・駐車場・営業時間

所在地

住所:愛知県岡崎市康生町561番地 [地図を見る]

県別一覧:[愛知県の城]

電話:0564-24-2204(岡崎公園)

開館時間

岡崎城天守:AM9:00~PM5:00(入城はPM4:30まで)、12月29日~1月1日休館

アクセス

鉄道利用

JR東海道本線、岡崎駅下車、愛知環状鉄道乗り換え、中岡崎駅下車、徒歩10分。または、名鉄名古屋本線、岡崎公園前駅下車、徒歩10分。または東岡崎駅下車、徒歩15分。バスの場合はJR、名鉄共に「康生町」降車。

マイカー利用

東名高速道路、岡崎ICから国道1号線。有料駐車場(387台)有り。

地図

岡崎城周辺ホテル・宿泊情報

岡崎ニューグランドホテルずばり、城の東側すぐの「岡崎ニューグランドホテル」が良い。9Fが眺望の良いレストランとなっており、宿泊しない場合でもここで昼食をとるのがおすすめ。客室は7、8階が良いが中でも716~719号室が、天守にバックに見えるビル群が木々でやや隠れちょうど良い眺望となる(8階はツインルーム)。

岡崎城のライトアップ部屋は窓がほんの少し開くので写真を撮るにも好都合だ。城の東に隣接するということは、撮影に適した時間は、午前中となる。さらに余談だが、同ホテルには9Fに展望風呂があり、ここからの眺めも良い。男湯のみ城側にあり、女性の団体客が多いときなどは、これが入れ替わる。ライトアップを眺めながらは贅沢なひとときとなる。

または「岡崎オーワホテル」。城の西、徒歩15分の距離にあり、上階からは岡崎城が見られる。このホテルは15階建で、その15階がレストランで朝食をとるがこの時に城が見られる。部屋で見られるのは、各階2号室・3号室の2部屋。13階・14階はツインルームで、10階・11階・12階は、バスタブがないシャワーブースタイプでリニューアルされた綺麗な部屋だ。