浜松城の歴史・見どころ

浜松城の歴史

浜松城の歴史は、徳川家康が遠江の引間城(曳馬城)へ本拠を移したことから大きく動き始める。元亀元年(1570)、家康は岡崎城から引間城に入り、この城を取り込みながら西側の高台へ城域を大きく広げ、浜松城と改称した。以後、天正14年(1586)に駿府城へ移るまで、浜松城は家康の本拠となった。

築城は一度に完成したわけではない。天正6年(1578)頃から大規模な工事が行われ、翌天正7年(1579)、天正9年(1581)にも修築が続いた。現在の調査成果では、家康在城期にはまだ高い石垣や天守はなく、土塁で囲まれた曲輪に板葺きの建物が建つ「土づくり」の城だったと想定されている。

天正18年(1590)、家康が関東へ移ると、浜松城には堀尾吉晴が入った。ここで城の姿は大きく変わる。吉晴は高い石垣を築き、瓦葺きの櫓や城門、天守を建築した。現在残る石垣や発掘調査の成果から、浜松城が石垣を備えた近世城郭へと姿を変えたのは、堀尾氏の時代とみられている。

慶長5年(1600)の関ヶ原の戦い後、浜松城には徳川譜代の大名が配置され、浜松藩の拠点として三の丸の拡張や既存施設の整理・改修が行われた。天守や天守曲輪の櫓は江戸時代の早い段階に失われたと推定されるが、天守門や本丸の鉄門、多門櫓、菱櫓、富士見櫓などは維持された。歴代城主には在城中やその後に幕閣へ進んだ者が多く、浜松城は「出世城」と呼ばれるようになった。

こうして江戸時代を通じて浜松藩の拠点となった浜松城も、明治維新を迎えて城としての役割を終える。明治5年(1872)から明治6年(1873)に建物や土地の払い下げが行われ、城内の建造物はすべて失われた。

浜松城の特徴と構造

浜松城は三方原台地の東南端、台地から天竜川の沖積平野へ移る場所に築かれた平山城で、城域は東西約600m、南北約650mに及ぶ。南には東海道が通り、大手門が開かれていた。城内は台地端の地形を利用し、東から西へ三の丸、二の丸、本丸、天守曲輪を配置。西へ進むにつれて高さを増す構造となっていた。さらに西端城曲輪、清水曲輪、作左曲輪、出丸などを配し、中世の引間城も城域に取り込んだ。

現在、城郭遺構として特に目を引くのが天守曲輪周辺の石垣で、自然石を加工せず積み上げる野面積を主体とする。横方向の目地を通す布積、隅部の算木積なども確認でき、石垣の各所には築造時の工夫が残る。

発掘調査では、かつて天守曲輪内部の地面が現在より低く、周囲の石塁が高さ約3.2mに達していたことや、南東隅には瓦葺きの櫓が存在した可能性が指摘されている。天守台には現在、昭和33年(1958)建築の復興天守が建つが、その規模は本来の天守台のおよそ3分の2にとどまる。天守曲輪東側には天守門が位置し、発掘調査では礎石や瓦などが確認された。

浜松城天守と天守門
天守曲輪に建つ模擬天守と復元天守門。野面積の石垣とともに、現在の浜松城を象徴する中心部の景観を形づくる。天守は昭和33年(1958)に復興、天守門は発掘調査で確認された礎石や絵図などをもとに、平成26年(2014)に復元された。
浜松城天守門石垣の鏡石
天守門の両側隅部に据えられた鏡石。虎口の正面を構成する石垣に、ひときわ大きな石材が用いられている。
浜松城天守台の登城路
天守台へ至る登城路。折れを重ねた虎口と野面積の石垣が織りなす風景に、鏡石もアクセントを添える。
浜松城天守曲輪石垣
天守曲輪を囲む野面積の石垣。石垣は直線ではなく屈曲する屏風折れとなり、横矢を意識した城郭構造を今に伝える。
浜松城2014年発見の石垣
平成26年(2014)の発掘調査で確認された本丸南側の石垣。土塁の裾部に築かれ、あわせて空堀跡も確認された。

浜松城の整備状況

浜松城跡は、本丸と天守曲輪を中心とする主要部分が昭和34年(1959)に浜松市史跡に指定され、浜松城公園として保存・活用されている。昭和33年(1958)には天守台上に鉄筋コンクリート造の復興天守が建築された。平成21年(2009)に「浜松城公園歴史ゾーン整備基本構想」が示されると、歴史的景観を重視した整備が本格化し、発掘調査や樹木の伐採が進められた。

天守曲輪では平成21年(2009)から平成22年(2010)に天守門跡を発掘調査し、その成果と絵図などをもとに平成26年(2014)に天守門を復元した。復元工事では地下遺構を保護する工法が採用され、発見された礎石を避けて基礎が施工されている。

参考文献:

  • 『日本城郭大系9』(新人物往来社)
  • 『浜松城 天守門』『浜松城の石垣』『天守門の建築』(浜松市都市整備部公園課)
  • Webサイト「浜松城の変遷」(浜松市)
  • Webサイト「浜松城における整備のあゆみと観光事業」(NPO法人文化遺産の世界)

浜松城のおすすめ散策コース(順路)

浜松城の城域と城下を歩く

浜松城を訪れたら、天守曲輪や本丸だけでなく、かつての城域から城下へ足を延ばしてみたい。浜松城から出城跡、大手門跡、二之丸跡をたどり、最後に浜松城の前身となった引間城跡へ向かう散策コースがおすすめとなる。

浜松城 →(4分・270m)出城跡 →(5分・280m)大手門跡 →(5分・300m)二之丸跡 →(4分・290m)引間城跡

浜松城出城跡出城跡は浜松城から南へ徒歩約4分、現在の浜松市立中央図書館付近にあたり、階段脇に出城跡を示す石碑が建つ。遺構はほとんど確認できないが、城の南側へ張り出した地形を現地で確かめることができる。

そこから徒歩約5分、大手通へ向かうと、連尺交差点の北西に浜松城大手門跡の石碑がある。浜松城は南を通る東海道に向けて大手門を開いており、ここまで歩くと天守曲輪や本丸だけでは分かりにくい城の広がりが見えてくる。

さらに大手通を北上すると、市役所駐車場付近の大手通沿いに二之丸跡の石碑がある。二之丸は本丸の東側に位置し、江戸時代には城主の居館や政庁が置かれ、浜松藩の政治の中心となった場所。現在の市街地を歩きながら、かつての城内の広がりをたどることができる。

最後は、二之丸跡から東へ約290mの引間城跡へ。現在は元城町東照宮となり、境内には城跡を示す石碑が建つ。浜松城の城域と城下を歩いたあと、その前身となった引間城跡までたどることで、現在の市街地に重なる二つの城の位置関係を実感できる。

浜松城をより深く学ぶ展示・資料館・学習スポット

浜松城跡の発掘調査資料

令和3年7月19日に浜松市文化財課からパンフレット『浜松市の文化財4 市指定史跡浜松城跡』が刊行。A3カラーでCGや現在の町並みとの重ね合わせ図などが盛り込まれている。下記サイトでPDFにてダンロードができる。

浜松城と城下をめぐる

浜松部会記念誌浜松部会記念誌『浜松城と城下をめぐる』(400円・浜松市市民部文化財課編集・2015年3月25日発行)が、ずばり良い。Allカラーで浜松城の見どころが発掘風景や縄張図、絵図、城下町の形成過程、新しく復元された天守門の図面など、とても400円と思えないレベルで見事に一冊にまとまっている。天守内で購入できる。

家康の散歩道

家康の散歩道浜松城近郊の歴史スポット散策なら、リーフレット『家康の散歩道』(無料)が良い。最近になって、浜松城のリーフレットにもその抜粋版が掲載されているが、もとの『家康の散歩道』の方が詳しい。たとえば、徳川秀忠公誕生の井戸、鎧掛松、大手門跡など、浜松の史跡が掲載されている。全てを巡るとちょっと体力勝負だがレンタルサイクルで巡るのもいいかも。

浜松城の撮影スポット・絶景ポイント

浜松城の東側に隣接する浜松市役所の屋上は無料開放されており、浜松城天守を見渡せる撮影スポットとなる。ネット越しの撮影となるものの、城と周辺を一望できる眺望が魅力だ。

浜松城天守閣は令和4年(2022)12月に改修工事を終え、外壁のひび割れ補修や塗り直しが行われたほか、高欄に設置されていた鳥避けネットも撤去された。城内では復元された天守門も撮影したい。天守門は東向きのため、正面から狙うなら光が回る午前中がおすすめとなる。

遠景を撮るなら、浜松城北側に建つ「ホテルコンコルド浜松」の最上階18階レストランからも望める。ただし周囲の市街地やビルも画面に入るため、城郭だけを切り取るというより、現在の浜松市街に建つ浜松城を写す撮影場所として考えたい。

浜松城の写真(城写真ARCHIVE)

城郭カメラマン 岡 泰行が30年にわたり撮影・記録してきた「城写真ARCHIVE」では、浜松城の魅力を写した写真を公開している。訪問前の見どころ探しや、旅の余韻を振り返る際にも役立つ。

浜松城周辺の観光スポット・史跡めぐり

犀ヶ崖古戦場と犀ヶ崖資料館

勝軍地蔵三方ヶ原の戦いで敗走した徳川軍を追った武田軍に対し、徳川家康が夜襲をかけたと伝わる場所。さらに、崖に白い布を張って橋が架かっているように見せかけ、驚いた武田勢が谷底へ落ちたという伝承も残り、現在も「布橋」の地名が伝わっている。犀ヶ崖には現在も深さ13mを計る崖の一部が残るが、当時は深さ約40m、幅50m、長さは約2km余りあった。現地には三方ヶ原の戦いで討死した本多忠真や夏目吉信の碑や、ねずみ小僧次郎吉の墓もある。犀ヶ崖資料館では三方ヶ原の戦いに関する資料を見学できる。写真は、犀ヶ崖資料館で展示されている徳川家康の兜前立勝軍地蔵尊。

太刀洗の池跡と西来院

太刀洗の池徳川家康の正室・築山御前にゆかりのある二つの史跡。浜松城から西へ約1kmの西来院には築山御前の墓所があり、さらに西へ進んだ佐鳴台には、築山御前を斬った太刀を洗ったと伝わる「太刀洗の池」の跡を示す石碑があり、その場所を伝えている。

徳川秀忠公誕生の井戸

徳川秀忠公誕生の井戸徳川家康の三男で、のちに江戸幕府第2代将軍となる徳川秀忠の誕生にまつわる井戸跡。家康の側室・西郷の局が秀忠を出産した際、産湯に使ったと伝わる。実際の井戸は現在の場所から西へ約50mの地点にあり、明治時代頃まで残っていたとされる。現在は井戸をかたどった史跡が整備され、浜松に残る秀忠ゆかりの地として訪ねることができる。

お田鶴の方の石碑と椿姫観音

椿姫観音引間城主・飯尾連龍(今川家重臣)の妻、お田鶴の方にゆかりのある場所。引間城を守るお田鶴の方は、永禄11年(1568年)12月、家康に攻め込まれ、城兵や侍女18人と共に打って出て全員討死する。この辺り一帯が戦場となった。家康はお田鶴の方と侍女を手厚く葬り祠を建て、築山御前が椿を植え、以後「椿姫塚」「椿姫」と呼ばれるようになっていく。祠は、椿姫観音堂から5m西北にあった小さな台地にあったと伝わっている。近年、御堂に観音像を祭り、椿姫観音堂には元浜松町の人たちによって大切に守られている。観音堂前には、「元曳馬城主、飯尾豊前守乗竜 奥方 お田鶴の方」と書かれた石碑がある。

日本で唯一現存する関所建物、新居関所

新居関所浜名湖の西岸、東海道の今切渡しに置かれた新居関所は、正式名称を今切関所という。徳川家康が慶長5年(1600)に、元今川氏の家臣、江馬与右衛門を奉行とした。関所は、「女改め」や「入り鉄砲に出女」で知られるように、女と鉄砲の出入りは、特に厳重に取り調べられた。現在残る面番所は江戸時代末期に再建されたもので、江戸時代の関所建物として全国で唯一現存する。国の特別史跡に指定され、隣接する新居関所史料館では関所や東海道に関する資料も見学できる。

舞坂宿脇本陣と中村家住宅

浜松から新居関所へ旧東海道をたどる道すがら、あわせて訪ねたいのが舞坂宿脇本陣と中村家住宅。舞坂宿脇本陣には天保9年(1838)に建てられた旧脇本陣「茗荷屋」の書院棟が残り、旧東海道では唯一の脇本陣遺構として保存されている。中村家住宅は国指定重要文化財で、徳川家康の側室・お万の方が天正2年(1574)、家康の第二子・於義丸、のちの結城秀康を出産した屋敷として知られる。浜松城から新居関所へ向かうなら、東海道と家康ゆかりの歴史をたどりながら巡りたい。

浜松城周辺グルメ・名物料理

浜松のうなぎ

浜松の鰻浜松といえば、まず味わいたいのがうなぎ。浜名湖周辺には数多くのうなぎ料理店があり、『浜名湖うなぎ味処MAP』を片手に店を探すのも楽しい。有名どころでは「八百徳」「うなぎ藤田」など。ふっくらと蒸してから焼き上げる関東風は、やわらかな身と豊かな味わいが魅力となる。もっとも、うなぎは店によって焼き方はもちろん、タレやご飯とのバランスまで驚くほど違う。名店の看板だけを頼りにせず、自分好みの一軒を探すのも浜松の旅の楽しみだ。

浜松餃子

うなぎと並ぶ浜松の名物が浜松餃子。たっぷりのキャベツを使った餡を特徴とし、円形に並べて焼いた餃子の中央に、茹でもやしを添えるスタイルで知られる。市内には専門店や老舗が数多く、店ごとに皮の食感や餡、焼き加減もさまざま。うなぎより気軽に味わえるので、浜松城を巡ったあとの昼食や夕食にも取り入れやすいご当地グルメだ。

浜松城周辺ホテル・宿泊情報

浜松城を望むホテル

ホテルコンコルド浜松浜松城公園に隣接する「ホテルコンコルド浜松」は、城めぐりの宿として立地のよいホテル。10~16階には浜松城を望むキャッスルビュールームがあり、客室から城を眺めながら過ごせる。最上階18階のレストランからも浜松城を望むことができ、宿泊とあわせて城景を楽しみたい人におすすめ。

浜名湖を望む温泉旅館「山水館欣龍」

浜名湖・舘山寺温泉にある「山水館欣龍」は、大正8年(1919)創業の老舗温泉旅館。全室から浜名湖を望み、湖の景色とともに地元の食材を生かした料理や温泉を楽しめる。浜松城を訪ねたあと、浜名湖まで足を延ばしてゆっくり泊まりたい人におすすめの宿。

浜松城アクセス・駐車場・営業時間

所在地

住所:静岡県浜松市中央区元城町100-2 [地図を見る]

県別一覧:[静岡県の城]

電話053-453-3872(浜松城天守閣事務所)

開館情報

浜松城天守閣・天守門は8:30〜16:30(最終入場16:20)。休館日は12月29日・30日・31日。入場料は高校生以上200円、中学生以下・70歳以上無料。

アクセス

鉄道利用

JR東海道本線「浜松駅」下車、徒歩約20分。または浜松駅バスターミナル13番のりばから遠鉄バス「浜松城公園入口」降車、徒歩6分。

マイカー利用

東名高速道路「浜松IC」から22分(約9km)。浜松城公園駐車場:約220台(8:00~21:30 最終入庫16:30まで・最初の90分無料、以後30分100円。土・日曜、祝日は上限520円)。

地図