三方ヶ原の合戦で敗走した徳川軍を追った武田軍が野営した場所で、徳川軍の夜襲にあい多くの兵が崖に転落したそうな。その崖が見られるほか、三方ケ原の戦いで討死した武将、本多肥後守忠真の碑や夏目次郎左衛門吉信の碑、資料館がある。資料館には、徳川家康の兜前立勝軍地蔵尊が見られるほか、なぜか、ねずみ小僧次郎吉の墓もある(詳しい場所はGoogleマップ参照)。
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