写真・監修:岡 泰行/城郭カメラマン
諏訪原城の周辺史跡を訪ねて
東海道五十三次の復元石畳があります(疲れます)。石畳はJR金谷駅より徒歩5分。
[TAKATSUKI (1999.11.22)]
諏訪原城のアクセス・所在地
【監修者プロフィール】
岡 泰行 | 城郭カメラマン [プロフィール]
1996年よりWebサイト「お城めぐりFAN」を運営し、日本の城郭をめぐる旅をライフワークとする。長年にわたる豊富な経験と、城郭写真家としての専門的な視点から、当サイトの記事を監修。その写真と知見は、数々の書籍やメディアでも高く評価されている。
1996年よりWebサイト「お城めぐりFAN」を運営し、日本の城郭をめぐる旅をライフワークとする。長年にわたる豊富な経験と、城郭写真家としての専門的な視点から、当サイトの記事を監修。その写真と知見は、数々の書籍やメディアでも高く評価されている。
諏訪原城:城ファンたちの記憶
実際に諏訪原城を訪れた城ファンの皆さまが綴る、印象に残った景色、人との出会い、歴史メモ、旅のハプニングなど、心に残る旅の記憶を共有しています(全5件)。

2017年3月28日、諏訪原城にて二の曲輪北馬出の城門が木造復元された。復元された城門は、薬医門で高さ約3.5m、事業費は約2,100万円とのこと。
( 家康)
平成25年より史跡整備事業が始まりました。
二の曲輪中馬出から外堀周辺の立ち木が伐採され丸馬出がとても見やすくなりました。
武田氏から徳川氏にかけての見ごたえのある土の城です。
平成27年秋からは、二の曲輪東馬出の発掘調査が始まります。
平日に行くと発掘調査の様子が見られます。冬の晴れた日は、本曲輪から富士山がきれいに見れます。
今後は発掘調査を元に二の曲輪北馬出の薬医門や土塁の復元計画があります。また、見学用の駐車場とトイレが整備されました。
( 城好きの匿名希望)
5つの三日月掘りの内側に出丸が5つ確認できる。二の丸外の出丸の北側にさらに出丸があり、その外郭に並べられた石が多数ある。ここが、家臣の屋敷あとか。とにかく三日月掘りの深さに驚きました。私は、全てを見るのに3周し、2時間半かかりました。最初の三日月掘で、多数の蚊に歓迎されましたが、持参した殺虫剤が役にたちました。
( 田村 靖典)
設計(縄張り)は、馬場美濃守。元亀4年(1573)、高天神城の抑えとして築城され、天正2年(1574)、高天神城落城(徳川→武田)しかし、高天神城を最奪還するために、天正3年(1575)、徳川家康にて落城。ちなみに天正9年(1581)、高天神城落城(武田→徳川)。天正4年(1576)、新府城落城(新府城跡は、ほんと何もない。さすがにプロでもきつい)。
( TAKATSUKI)
自称、城跡散策のプロであれば、1度は見るべき城跡です。山城で空掘りしか残っていないのですが、大小さまざまな三日月空堀が現存しており、十分堪能できます。しかし、天守閣は何も残っていませんので初心者には勧められません(小谷城見て感激した人でないとだめでしょう)。城跡のレベルですが「国指定」です。あと、城跡の中に茶畑あるので茶畑の中をあるきながら散策します。駐車場とか無いにひとしく、こんな所だからこそ、現存していたと思います。一回り30分ほど歩きます。
( TAKATSUKI)