竹中氏陣屋は、美濃国不破郡岩手に築かれた旗本竹中氏の陣屋で、豊臣秀吉の軍師として知られる竹中半兵衛重治の子・重門が文禄年間から慶長年間(1592〜1615)頃に整えたとされる。関ヶ原に近い要地に築かれ、櫓門や堀、石垣などが往時の姿を伝える。このページでは竹中陣屋の歴史や構造、現在の城跡の様子を写真をもとに紹介する。

写真:岡 泰行(城郭カメラマン)

竹中氏陣屋の歴史と見どころ

美濃国西部、不破の関を越えて関ヶ原へ向かう道筋は、古くから近江と東国を結ぶ交通の要衝だった。竹中陣屋が置かれた岩手の地は、美濃国府のあった府中から西北約2km、伊吹山系の菩提山山麓に位置し、国府から関ヶ原へ向かう道を見下ろす場所にある。

この地に勢力を築いたのは竹中氏である。竹中遠江守重元は岩手信久を追い、不破郡内六千貫の地を支配すると、菩提山に菩提山城を築き、その麓に居館を構えたと伝わる。

重元の子が竹中半兵衛重治である。重治は幼少で家督を継ぎ、菩提山城を本拠とした。永禄7年(1564)、わずか十九歳で十六人の家臣とともに稲葉山城(のちの岐阜城)を奪取し、まもなく旧主斎藤龍興へ返還した逸話は広く知られている。のち重治は織田信長に仕え、さらに豊臣秀吉の与力として知略を発揮したが、天正7年(1579)、播磨三木の陣中で病没した。

重治の跡を継いだのが嫡男の竹中重門である。重門は天正16年(1588)頃に岩手へ戻ったのち、祖父重元の築いた山麓の邸宅を現在地に移し、堀や石垣、土塁を備えた居館として整備した。これが竹中陣屋の始まりとされ、築造の時期は文禄年間から慶長年間(1592〜1615)頃と考えられている。

慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いでは、重門は徳川家康に味方し、その功により不破郡岩手・府中・関ヶ原など五千石を安堵され旗本となった。以後、竹中氏は江戸幕府の旗本としてこの地を本拠とし、陣屋はその支配の拠点として機能した。

竹中陣屋の特徴と構造

竹中陣屋は、伊吹山系の菩提山山麓に築かれた平地の居館形式の陣屋だ。南の国府から関ヶ原へ向かう道筋を望む位置にあり、交通の要地を見守るような立地をとる。

遺構は櫓門、堀、石垣、土塁などが残る。櫓門の南側には幅約5m、長さ約20mの堀が残り、門の北約50mの場所には勝手口出入門が設けられていた。櫓門は南側約6m、北側約2mの石垣と、その南面に残る袖石垣の上に建てられており、間口6間、奥行3間の規模をもつ木造白壁塗りの建物である。

この櫓門は、重門が家臣杉山某の屋敷門を移して正門としたものと伝えられ、竹中氏の陣屋の象徴的な遺構となっている。これらの構造は旗本屋敷としての陣屋の姿をよく伝えている。

竹中陣屋の整備状況

現在、竹中陣屋跡の敷地の大半は岩手小学校となっており、屋敷建物の多くは失われている。しかし、象徴的な櫓門や門扉をはじめ、堀(濠)や石垣、土塁などの貴重な遺構は、幾度かの修復を経て現存しており、往時の陣屋の姿を今によく伝えている。小学校の入口付近には竹中半兵衛重治の銅像が建てられ、地域の歴史を伝える史跡として親しまれている。なお、竹中氏陣屋跡は岐阜県の県指定史跡に指定されている。

参考文献:

  • 『日本城郭大系9』(新人物往来社)
  • 岐阜県Webサイト「竹中氏陣屋跡」
  • 垂井町教育委員会Webサイト「竹中氏陣屋跡」

竹中氏陣屋の撮影スポットと絶景

竹中氏陣屋の写真集

城郭カメラマンが撮影した「お城めぐりFAN LIBRARY」には、竹中氏陣屋の魅力を映す写真が並ぶ。事前に目にしておけば現地での発見が鮮やかになり、旅の余韻もいっそう深まる。

竹中氏陣屋とあわせて訪ねたい史跡

菁莪記念館

竹中陣屋のすぐ南側に「菁莪(せいが)記念館」がある。天保年間に旗本竹中氏が建てた道場で、陣屋の復元予想模型や竹中家の史料(約100点)が展示されている。入場料無料だがすぐ北側にある岩手公民館の主事さんが鍵を所有しているから、事前に予約が無難。電話予約(TEL:0584-22-1007)は、月・火以外の午後2時以降のみ受付している。

禅幢寺の竹中半兵衛重治の墓

竹中半兵衛重治の墓がある禅幢寺竹中陣屋の前の道(府道257号線)を北へ約400mいくと左手に禅幢寺(ぜんとうじ)という寺がある。竹中氏の菩提寺で竹中半兵衛の墓や、関ヶ原の戦いで負将となった小西行長の墓がある。

余談だが、竹中半兵衛の墓は全国に4ヶ所ほどある。ここ禅幢寺と、播州三木城攻略中に病死したその本陣のあった平井山の尾根続きにある観光ぶどう園内栄運寺(三木市志染町)、浄土寺(滋賀県能登川町)など。

近郊の城

山城好きはする北側の山、菩提山城、そのほか、関ヶ原や大垣城が近い。

竹中氏陣屋の観光情報とアクセス

所在地

住所:岐阜県不破郡垂井町岩手 [MAP] 県別一覧[岐阜県]

電話058-272-1111(岐阜県文化伝承課)

アクセス

鉄道利用

JR東海道本線、垂井駅下車、西広場で黄色い巡回バス「健やか号」で45分「岩手公民館前」降車、徒歩1分。1日に数本しか出ておらず駅からの距離を考えるとタクシー利用(約10分)が良い。ちなみにバスは町中を巡回するので時間がかかる。

マイカー利用

名神高速、関ヶ原ICから国道21号線を東へ、「一ツ軒」交差点を左へ、関ヶ原バイパスに入り「野上北」交差点で府道53号線へ、「長畑」交差点で府道257号線を北上すぐ。無料駐車場有り。関ヶ原ICから約6kmで岩手幼稚園を目指すと良い。

竹中氏陣屋:城ファンの知見と記録

竹中氏陣屋を訪ねた人たちが残してきた記録です。現地での発見や知見が寄せられ、城歩きの文化の中で育まれてきた経験がここに蓄積されています(全5件)。

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    竹中半兵衛重治の銅像が、竹中陣屋の前にあるが、これとは別に、2014年9月にJR垂井駅に、建立されるそうだ。6月現在、協賛金を募っている。

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    陣屋門をくぐると幼稚園。大手門がある幼稚園、なんて豪華なっ!と思ってしまったが幼稚園と岩手小学校。それを取り巻く土塁も敷地の北側にあるのだとか。

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    秀吉の軍師で有名な竹中半兵衛。その子の竹中重門が築いた陣屋。水堀と大手門、北側に石垣などが残る。古くからの竹中氏の居城は、すぐ北側にある山城の菩提山城。不便なことからこれを廃城にし、その麓に陣屋を築いたのだとか。

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    すぐ北にある菩提山城は、ハイキングコース(全長2.7km)があり簡単に登れちゃいます。近所なんでよく登りました。竪堀や堀切があって、てっぺんに双眼鏡があるが普通なら50円のところなんと無料。垂井、大垣が一望できます。

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    立派な門が残っています。昨今の復興模擬天主などと比較したら充分な風格を持っています。今から26〜28年程前にドライブの途中に見つけ、思わず感激しました。豊臣秀吉のブレーンとして名を残した人は竹中半兵衛と言います。その陣屋です。

城の情報

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