菩提山城の歴史・見どころ

菩提山城は、美濃国不破郡岩手の菩提山山頂に築かれた山城だ。関ヶ原から東へ約4km、伊吹山を背にして濃尾平野を見渡す位置にあり、近江方面から美濃へ通じる要路を監視する要害の地に築かれていた。

史料上の初見は、天文13年(1544)に美濃守護の土岐頼芸が岩手四郎に宛てた書状で、菩提山城を守り近江の浅井氏・六角氏の侵入に備えるよう命じた記録が残る。このことから、この頃にはすでに城が存在していたことが知られる。当初は岩手氏の居城と考えられ、山麓の字漆原に居館を構え、菩提山城を詰城としていたとみられる。

永禄元年(1558)、この地に勢力をもっていた岩手弾正忠信冬を、竹中半兵衛の父竹中重元が追放した。翌永禄2年(1559)には菩提山城を再構築し、竹中氏の拠点となった。重元は築城の翌年に没し、若くして家督を継いだ竹中半兵衛重治が城主となる。重治は西福村の居館とこの城を拠点として活動し、のちに稲葉山城(のちの岐阜城)の奪取などで名を知られる戦国期屈指の知将として活躍した。

しかし天正7年(1579)、重治は播磨三木城攻めの陣中で病没する。嫡男重門は幼少であったため、従弟の竹中重利が城代として菩提山城を守り、のちに重門へと引き継がれた。

関ヶ原合戦後、戦国の世が終わりを迎えると、山上の城は生活に不便であったため、慶長13年(1608)に廃城となる。重門は山麓の岩手に居館を構え、これが後に竹中氏陣屋として整えられた。こうして菩提山城はその役割を終えた。

菩提山城の特徴と構造

菩提山城は標高402mの山頂部に築かれた山城で、山頂一帯は南北約350m、東西約150mにわたる城域を持つ。西側を除いた三方が急崖に囲まれた天然の要害である。

城の中核部は、東から順に本曲輪(東の丸)・二の曲輪(中の丸)・三の曲輪(西の丸)と台所曲輪によって構成される。最高所の本曲輪は南北に長い削平地で、東側に腰曲輪、出入口には三日月堀を伴う馬出状の施設が確認される。二の曲輪は西側に土塁を築いて虎口とし、桝形状の防御構造を持つ。三の曲輪は二の曲輪より約10m低い位置にあり、台所曲輪の土塁によって通路を遮断できることから、馬出的な性格を持っていたと推定されている。

また、城内には2つの大規模な堀切や多数の竪堀・横堀が設けられている。石垣を用いず、すべて土塁によって構成されていることが最大の特徴で、「土塁による城郭の完成型」とも評される。さらに斜面には三条の畝状竪堀が確認されており、山城特有の防御施設が極めて良好に残る城跡として知られている。

菩提山城の整備状況

菩提山城跡は垂井町の指定史跡となっており、山城としての遺構が比較的よく残る城跡として保存されている。山頂の曲輪群や堀切、竪堀などの遺構を確認しながら歩くことができる。

近年は垂井町教育委員会による測量調査が実施され、城郭構造の詳細な把握が進められている。城跡へは山麓から複数の登城道が整備されており、山頂まで約1.3〜2kmのハイキングコースとして利用されている。登山道の整備や案内板の設置により、戦国期の山城構造を体感できる城跡として訪れる人に親しまれている。

参考文献:

  • 『日本城郭大系9』(新人物往来社)
  • 『菩提山城遺跡 測量調査報告書』(垂井町教育委員会)
  • 『垂井町指定史跡 菩提山城遺跡 測量調査報告書』(1978提山城測量調查委員会)

菩提山城周辺の観光スポット・史跡めぐり

竹中陣屋と禅幢寺。竹中陣屋から北へ約400mに竹中家の菩提寺である禅幢寺(ぜんどうじ)があります。竹中半兵衛をはじめ竹中家歴代の当主が眠っています。また、関ヶ原の戦いで負将となった小西行長の墓も。菩提山城を見た後に行ってみてはどうですか?また、不破の滝も良い。伝説(居酒屋じゃないぞ!)で有名な養老の滝と並び称される(竹中善左衛門・伊之井清孝 1998.07.13)。

菩提山城周辺グルメ・名物料理

「たいしんけん」 お好み焼きと焼きそば屋。JR垂井駅前の通りにある。駅から徒歩2分。

菩提山城アクセス・駐車場・営業時間

所在地

住所:岐阜県不破郡垂井町岩手 [地図を見る]

県別一覧:[岐阜県の城]

アクセス

鉄道利用

JR東海道本線、重井駅下車、バス「岩手郵便局前」降車、徒歩。垂井駅から北西約7kmほどの登山口から菩提山を登ることになる。登山口は白神神社。

地図

菩提山城周辺ホテル・宿泊情報

隣の大垣市内(JR大垣駅前)のホテルで泊ると良い。大垣城見物もできる。

菩提山城をより深く学ぶ展示・資料館・学習スポット

JR垂井駅から徒歩10分ほどの所に垂井ピアセンターと呼ばれる建物があり、その中で竹中家の紹介を行っている。より詳しいことを知りたければ『不破郡史』という郷土史資料を参照されることを強く勧める。同資料は関ヶ原合戦に興味がある方にはぜひご覧いただきたい(伊之井清孝 1998.07.13)。