指月伏見城の記憶を今に伝える、西教寺客殿特別公開
この坂本の地は、元亀2年(1571)の織田信長による比叡山焼き討ちの後、明智光秀が治めた土地として知られています。光秀は琵琶湖畔に坂本城を築き、西教寺もまた、その時代の空気を今に伝える場所のひとつです。
慶長伏見地震で倒壊した、豊臣秀吉の指月伏見城御殿の一部が西教寺に客殿として移築されています。襖絵は(伝)狩野永徳。
この西教寺客殿の初の特別公開が2026年に行われました。その主要な空間を写真にて紹介します。写真は現場で感じた暗さに近い状態に仕上げています。このほか明智光秀の肖像画が見られます。これは驚くほど繊細な筆運びでした。

客殿の「鶴の間」から見た「猿猴の間」と「賢人の間」。この奥はL字型に曲がるかたちで上段の間が配されている(御殿のパターンな)。襖絵には老木や岩に遊ぶ猿が描かれている。書院造の特徴のひとつ、蟻壁(ありかべ)が、連なる部屋の遠近感と広さを増しているのが分かる(天井すぐ下の横に細長く塗られた白い壁のこと、建築の視覚効果やで)。

「花鳥の間」。老松に鶴は長寿、牡丹は富貴(財産が多く社会的地位が高いこと)を表す。奥に見えるのは上段の間。そこに座る秀吉を左右の襖絵で飾るように、鶴が配されているように見える。

「花鳥の間」の襖絵。(松)竹梅と水辺の錦鶏鳥(キジ)は、めでたさを表す。木々や動物の質感がそれぞれタッチだけで表現されているのがいい。

「帝鑑の間」。客殿の主室で上座の間。障壁画は帝鑑図。良き政治を勧め、悪き政治を戒める道徳的な教訓画で、この頃、狩野派がよく描いたらしい。ゆえにこの場所が秀吉の御座とされている。秀吉が目の前にいるようで、この時代の空気に驚く。ただし部屋の向きは、移築の関係かと思われるが、天子南面スではなく東に向いている。ほんでな、実は、右側の燭台があからさまに傾いていたので垂直に画像補正している。

客殿(重要文化財)の南面は入母屋造だが

その北面は切妻造と珍しいかたち。

通り雨直後のため、人がいない西教寺境内。緑が美しい。本殿横の土産などの奥に境内の墓マップが壁に貼られていて、これがじっと眺めたくなる地図感があって興味深かった。
【西教寺】
客殿 内部初公開
明智光秀 肖像画実物公開
2026年4月25日(土)~5月10日(日)
2026年11月7日(土)~12月6日(日)
URL:http://saikyoji.org/






