写真:岡 泰行

【城郭カメラマン撮影】

坂本城の見どころと歴史

坂本城の痕跡、現地で訪れる場所

坂本を訪れるなら、「坂本城址公園」「坂本城址石碑二ノ丸跡」「西教寺」は、訪れておきたい。

本丸跡は、坂本城址公園の北にあるキーエンス社の保養所(※)の沖で坂本城址公園は城外にあたるのだが、明智光秀の石像、説明板があり、琵琶湖に面した風景が見られる。その本丸跡は湖底に石垣が沈んでおり、普段は水面下のため見られない。過去に琵琶湖の水位が下がり見られた時期があったが、今は琵琶湖の水位が管理調整されており、再びその規模で見られることはないのだが、水位がマイナス50cmほどになると、多少の石列が見られる(詳しくは、撮影アドバイスの項目を参照)。
※2021年11月に再訪するとキーエンス社の表札が無く現在の土地所有者は分からない。

大津市歴史博物館で坂本城出土瓦など展示

大津市歴史博物館で、坂本城の発掘調査で出土した鬼瓦や鯱瓦、湖中の石垣位置や江戸時代の坂本などの展示がされており理解を深めることができるぞ。同博物館で『明智光秀と戦国時代の大津』などの図録もGETできる。

坂本城の撮影方法

坂本城坂本城址公園は実は城外と推定されていて、本丸跡は150m北にある。キーエンス社の保養所の沖に桟橋があり、その付近の湖底に石垣がある。平成6年(1994)、平成12年(2000)の琵琶湖渇水時に本丸石垣の根石部分や舟入跡が、琵琶湖から現れた。それ以降、琵琶湖の水位が管理調整されており、再びその時の規模で見られることはないのだが、琵琶湖の水位、マイナス50cm前後で、本丸石垣の多少の石列(根石)が写真のように水面に顔を出すことがまれにある(琵琶湖の水位のマイナス情報は滋賀県の文さんから、水位のコントロールは辻本さんから、ご教示いただいた)。

石列を見ようとすると、琵琶湖の水位情報をチェックしてから行くと良い。2019度の琵琶湖水位曲線を見ると、12月のみマイナス50cmとなっていたが、毎年12月にこうなるという訳ではない。なお、マイナス40cmだと一応は石列がちらりと見える程度なので、できるだけマイナス50cm以上を狙いたい。写真撮影はもしチャンスがあれば、坂本城の歴史をちらっと頭に描いて、夕暮れ時に撮るとどこか悲しげで歴史を感じる絵になるかもしれないぞ。

2021年11月、琵琶湖の水位が低下している。雨不足によるもので14年ぶりの危機的な状況。水位は11月9日現在でマイナス61cm、11月19日現在でマイナス66cmとなっている。11月14日に再訪するとマイナス62cmでコの字型に石垣の根石が見られる状態となっていた。また、根石下には胴木(どうぎ)が見られた。

坂本城本丸のコの字型に並ぶ石垣の根石

  • 坂本城の本丸石垣の根石と胴木

    根石と胴木

  • 坂本城の本丸石垣の根石の石列

    桟橋下の根石の石列(舟入跡)

坂本城の周辺関連史跡

西教寺の見どころ

西教寺客殿・伏見城遺構坂本の町外れにある西教寺という大きなお寺は、光秀ゆかりで、書状など様々な関連文書類があります。命日には寺に事務局がある光秀公顕彰会によって法要が営まれています。
(投稿者:辻本)

明智光秀とその一族の墓・西教寺西教寺には、坂本城の移築城門、伏見城遺構と伝わる客殿、明智光秀とその一族の墓、細川ガラシャの母、煕子の墓がある。そのほか、境内には、前田利家の六女、前田菊子の墓や、伏見城旧殿を西教寺に移築した山中山城守橘長後の墓もある。ちなみに墓関連では、国道161号線沿い下坂本3丁目の個人宅に、明智塚(明智一族の墓ともいわれている)がある。坂本城の移築城門は来迎寺に、盛安寺には陣太鼓がある(詳しくは上記Googleマップ参照)。

穴太衆石垣の道

穴太積み石垣・坂本比叡山の街並み坂本には「穴太町」という地名が残っている。そう、ここ坂本があの穴太衆の本拠だったところだ。坂本城跡には、若干の石垣が残るのみだが、日吉大社の方に行けば、あるわあるわ石垣。石垣がきれいな町として知られているのがうなずける。坂本城跡で(遺構が何もなく)ストレスを感じたら日吉大社の方へ。JR比叡山坂本駅から山手に登る日吉大社まで続く穴太衆石垣の道が実に風情があって良い。大小を組み合わせた石と白土壁の調和が美しい。ちょうどその道ぞい、京阪石山坂本駅近くに観光案内所があり、ここで坂本の観光地図をGETできる。坂本城の移築城門や光秀の墓、秀吉寄進の石橋の場所などもここで。「そんなことより、そこの湧き水のんでいきなはれ」と言われ、東本宮の向かって左の湧き水を飲む、おいしい。

比叡山延暦寺もすぐ

比叡山延暦寺また、ここまで来れば比叡山延暦寺。また、日吉大社に足をのばせば日吉三橋(天正年間、秀吉の寄進による国内最古の石橋)がある。京阪石山坂本駅近くの観光案内所でマップをGET。比叡山延暦寺へはケーブルカーで。
余談ながら、延暦寺の発掘調査で、信長の焼き討ちを示す焼土は極めて少なく、本当に焼き討ちがあったかどうか疑問らしい。

また、日光東照宮は「見ざる、言わざる、聞かざる」で有名だが、比叡山延暦寺では「見ざる、聞かざる、言わざる、思わざる」といった具合に最後に「思わざる」が付く。本堂(秀吉が再建)に安置されている猿の像で「見ず聞かず言わざる三つのさるよりも、思わざるこそまさるなりけれ」という意味の4匹目。2016年は年内公開されている。

余談ながら、比叡山延暦寺の根本中堂に、1200年間、灯りが保たれている法灯がある。この灯りを絶やさないよう、毎日、油が注ぎ足されている。これが一説には「油断大敵」の語源とされている(織田信長による比叡山焼き討ちの時、この灯りがそれ以前に立石寺(山形県)に分燈されており、断火を逃れている)。

付近の城

城では、穴太町に壷笠山城跡がある。元亀元年(1570)に浅井・朝倉連合軍が信長軍を相手にたてこもった山城。石垣の遺構あり(京阪石坂線穴太駅下車、山手へ湖の美が丘経由、徒歩40分)。そのほか、有名な城では、大津城膳所城へどうぞ。

明智光秀の首塚や胴塚は京都に

明智薮石碑明智光秀関連でいえば、山崎合戦のとき、光秀は勝竜寺城から逃走することになる。勝竜寺城とここ坂本城をむすぶと、ざっくり中間地点あたりに命を落としたと伝わる「明智薮」がある。さらに詳しく記すと、京都市東山区梅宮町に、「明智祠」と「首塚」、京都市山科区勧修寺御所内町に「胴塚」、京都市伏見区小栗栖小阪町に「明智薮」があるので、光秀ファンは見ておきたい(詳しい場所は上記Googleマップ参照)。

坂本城のおすすめ旅グルメ

手打ち蕎麦 本家鶴喜そば付近でおすすめといえば「手打ち蕎麦 本家鶴喜そば」。建物も古く風情がある。遠くから足を運ぶお客さんもいるとか。日吉大社の前あたり。坂本城址近辺にはマクドナルド1件のみ。

坂本城のアクセスと観光情報

所在地

住所:滋賀県大津市坂本 [MAP] 県別一覧[滋賀県]

電話:077-578-6565(坂本観光案内所)

アクセス

鉄道利用

京阪石山坂本線、浜大津駅下車、江若バス監田方面行き15分「石川町」降車、湖岸を徒歩10分。または、JR湖西線、比叡山坂本駅下車、徒歩30分。タクシーあり。

マイカー利用

名神高速道路、京都東ICから国道161号線(西大津バイパス)を北上、約20分。坂本城址公園に10台ほどの無料駐車場がある。明智塚など点在するポイントへは公園駐車場に駐めて徒歩散策が良い。

坂本城の旅のチェックリスト (16)

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    下坂本3丁目には、明智塚(明智一族の墓ともいわれている)がある。坂本城の城内に位置するらしい。余談ですが、皆さん高野山の明智光秀の墓をご覧になったことは、あるでしょうか?小さな五輪の塔なのですが、なんとその中央部にビシッとヒビが入ってます。おそろしや〜おそろしや〜…高野山に行ったときにはお探しを。

    ( 半兵衛)

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    穴太衆は、古くから南坂本を本拠にした石工集団。比叡山の発達とともに繁栄。戦国時代に入り、織田信長の安土城にはじめて用いられ、その後は城郭をメインにする。江戸時代になると穴太頭として幕府に任えることになり最盛期には9人の穴太頭に下に300人をこえ、諸大名のおかかえになる者もいたらしい。現在では大津市の無形文化財技術保持者のある方が、坂本で穴太積みの技術を継承し、全国の城などの石垣修理を手がけているとのこと。

    ( 半兵衛)

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    穴太衆石垣の道と呼ばれる道には、穴太積みに関しての看板がある。
    看板によると、「穴太積みは、自然の石を○○せずに積み上げるものです。」とある。なるほど。さて、○○には何が入る!?

    ( 半兵衛)

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    織田政権の安土城長浜城坂本城大溝城の4城ネットワークのひとつ!
    4城ネットワーク

    ( 半兵衛)

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    この地は古くから北陸と京都を結ぶ最短距離であり、湖と山は平野くぎり街道を遮断していることから戦略上の要所であることがわかる。

    ( 明智光秀)

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    坂本は、中世には人口2万人を超えたと言われて、京・堺に次ぐ大きな町だったらしい。比叡山の表参道の現在は、石垣をめぐらした里坊がつづく静かな町並み。

    ( shirofan)

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    坂本は、比叡山、穴太積みの石垣、日吉大社と有名だが、地元の人にとって明智光秀はさほどのウエイトをしめていないのだろうか。城をメインに取り扱ったチラシすらない。

    ( 明智光秀)

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    最近になって坂本城跡を公園にしたようだ。きれいでかわいい光秀が立っている。せまいスペースだが、像と石碑、石垣の遺構がある。駐車場も。

    ( 明智光秀)

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    公園の前の琵琶湖の湖底に石垣が残っており、1994年の大渇水で水位が1メートル以上下がったときに姿を現しました。普段は見えないと思います。

    ( 辻本)

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    碑はいくつかあるようです。まず、湖岸の石碑のそばには光秀の像があります。また、この石碑から200メートルほど北の湖岸が、大渇水時に湖中から石垣が見つかった場所です。さらに300メートルほど北に行くと、東南寺というお寺があり、その前にも「坂本城跡」の碑が建っています。昔、このあたりで城の遺構が発掘されています。本堂東側には明智一族と家来の首塚があり、少し来たには光秀秘蔵の名刀を埋めたという明智塚というのもあるそうです。

    ( 辻本)

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    坂本城が1582(天正10)年に落城した際、天守閣から明智軍武将らが城内にあった金や財宝を琵琶湖へ投棄したという伝説がある。琵琶湖には明智の軍資金が今でも湖底深くに沈んでいる可能性が高い!?

    ( imex trades co)

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    坂本龍馬をご存じですか?彼の先祖は明智の落ち武者だったらしいです。山崎の戦いで負けた先祖は、高知県まで落ち延びたそうです。一つの見方としては、龍馬の家紋は“升に桔梗”ですが、これは明智の家紋に由来しているそうです。そして、もちろん龍馬の名字である“坂本”は、この坂本城を文字ってつけたということです。

    ( 左近)

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    坂本城は完全な水城で、中心の本丸跡は公園のところではなく、公園の北約100m、キーエンス保養所沖7mにあります。琵琶湖水位が62cmで一列ですが石積みが確認できます。発掘調査は昭和56年に行われ、5階層からなる遺跡だったそうです。光秀以前、光秀時代、丹羽長秀時代、杉原家次時代、浅野長政時代の遺物が発掘されています。現存する公園地は、日吉山王祭で湖上へ御輿を船積みする七本柳という舟入跡です、国道161号線建設で後から作られた船止めで公園北の東南寺川が外堀と言われていますが、当時は城内であったと思われます。

    ( こうたろう)

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    大津城坂本城瀬田城とともに「琵琶湖の浮城」と呼ばれているらしい。ちなみに日本三大湖城は、松江城膳所城高島城

    ( 光秀)

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    現在、滋賀県大津市の大津市埋蔵文化財調査センターで、坂本城跡・大津城跡・膳所城跡の出土遺物が展示されています。

    ( kinsan)

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    坂本城本丸跡にあたるキーエンス社の保養所の駐車場が、2020年3月8日から2021年2月7日まで開放、一般公開された時期があった。つまり、坂本城本丸跡から琵琶湖を望むことができる。琵琶湖の水位次第で、坂本城の石列を、水面上から見ることができるかもしれない。キーエンス社の敷地(駐車場)に入ることができるのは、土日祝のみ。時間は9時〜17時。

    ( shirofan)

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