写真:岡 泰行
瀬田城の関連史跡
歴史の表舞台に何度も登場する「瀬田の唐橋」は見ておきたい。といっても現存とかではなく現代の橋だが。現存系では、東海道線で上り方面のJR草津駅近郊まで行けば、東海道で3つしか現存していない本陣のうちの一つを有する、「草津宿本陣」がある。その規模たるや圧巻。余談だが、草津宿本陣は、膳所城藩主別邸瓦ヶ浜御殿の一部だとする伝わっていた。享保3年(1718)の草津宿大火の後に、膳所城藩主別邸瓦ヶ浜御殿の一部を拝領し、再建したと伝わっていたが、平成元年度以降の保存修理によってその建物でないことが判明している。
また、城では、下り方面に行けば、同じ京阪の沿い電車で10数分の距離に膳所城跡がある。その膳所城の移築城門として、瀬田城のもっとも近くにあるのが、御霊神社(大津市鳥居川町)にある本丸黒門。御霊神社は京阪唐橋前駅の西側。膳所城のマップに移築城門はつぶさにプロットしているので瀬田城に行く際は合わせてご参照を。
瀬田城の史跡めぐりにこだわる最適なホテル
「旅亭臨湖庵」城の規模やその他の城への行程を考えると、この地にとどまることは想定しにくいが、思い切って城跡に建つ高級料亭に泊まってみてはいかが? んがしかし、近年、マンションとなった。県道29号線沿いに石碑がある。
石碑は2ヶ所。臨湖庵前と琵琶湖に面した県道に。臨湖庵の門の前と門の裏に「臨湖庵」が立てたちょっとした瀬田城の説明板がある。
( 又兵衛)さんより
この城は、すぐ側の琵琶湖を横切る「瀬田の唐橋」を守るのが主な目的だったそうな。戦乱の度に焼失したり、天災によって崩壊を幾度となく繰り返したらしい。膳所藩時代でさえ10数回のかけ直しが行われているそうな。
( 又兵衛)さんより
これといって何も残っていない。現在は、城跡に料亭「臨湖庵」がある。本能寺の変後、膳所藩の重臣、三松氏が出家し草庵「臨江庵」がその由来だそうだ。その庭園が臨江庵または瀬田城の庭園とウワサがたまにあるが、「臨湖庵」に確認したところ料亭が独自に作ったものらしい。石垣が残ると言われているが、どれが昔のものか謎だ。
( 又兵衛)さんより
大津城、坂本城、瀬田城とともに「琵琶湖の浮城」と呼ばれているらしい。ちなみに日本三大湖城は、松江城、膳所城、高島城。
( 光秀)さんより