監修・撮影:岡 泰行(城郭カメラマン)

瀬田城の歴史と見どころ

瀬田城(せたじょう)は、琵琶湖の南端近く、瀬田川の西岸に築かれた城だ。瀬田の唐橋を控えたこの地は、古くから東海道の要衝として知られ、交通と軍事の両面において戦略的価値がきわめて高かった。

築城は永享年間(1429〜1441)とされ、山岡資広がこの地に拠ったことに始まる。その後も山岡氏が代々城主を務め、近江守護・六角氏に仕えていたとされる。戦国期には、織田信長の近江侵攻により情勢が変化し、山岡景隆は信長に仕え、重要な役割を果たすようになる。

とりわけ、天正10年(1582)の本能寺の変に際して、景隆が瀬田の唐橋を焼き落とし、明智光秀の進軍を妨げたという逸話はよく知られている。この行動は、光秀の京都帰還を阻む意図があったとされ、信長に対する忠節の象徴として語り継がれている。

江戸時代に入ると瀬田城は廃され、今日にいたるまで明確な遺構は確認されていない。だが、「唐橋を制する者は天下を制す」といわれるほどの要地に築かれた瀬田城は、軍事的・地政学的意味を色濃く宿していたといえる。静かに流れる瀬田川のほとりに、かつての緊張が今なお響いているかのようだ。

旧料亭「臨湖庵」
時は下り、昭和28年(1953)、瀬田城址の北側、瀬田川と東海道を見渡す地に、創業の料亭「旅亭臨湖庵」が佇んでいた(写真)。その敷地には、樹木や庭石を配した回遊式の和風庭園が設えられていた。料亭は、2008年前後に閉店。その土地にはマンション「グランスイート近江・臨湖庵」が2008年9月に建つ。旧料亭の名を継ぎ、瀬田川や唐橋を望む景観に溶け込む設計が選ばれた。

「グランスイート近江・臨湖庵」瀬田城復興石垣
城址に建つマンション「グランスイート近江・臨湖庵」に見られる瀬田城の復興土塀と石垣

現在、その県道沿いには「臨湖庵」と刻まれた石碑が遺り、瀬田城・臨江庵の草庵から受け継がれた歴史の記憶を、静かに伝えている。

参考文献:

  • 大津市歴史博物館Webサイト「山岡景隆と瀬田の唐橋」
  • 滋賀県観光情報Webサイト「瀬田城跡」
  • びわこビジターズビューロー「瀬田城跡」

瀬田城の撮影スポット

瀬田城跡の石碑は県道沿いにあるが、これは西向きだ。

瀬田城の写真集

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瀬田城周辺の史跡を訪ねて

瀬田城の周辺には、東海道の要衝としての歴史を物語る名所が点在している。唐橋に始まり、草津宿、大津城跡、膳所城跡、さらには坂本城まで。街道と水運が交差したこの地は、城と人の記憶を今も静かにとどめている。旅の足を少し延ばし、瀬田の周縁に広がる歴史の風景を訪ねたい。

瀬田の唐橋

瀬田の唐橋瀬田の唐橋は、瀬田川に架かる歴史ある橋であり、東海道をはじめとする主要街道が交わる要地に位置する。古代から中世・近世にかけて、軍事・交通の要衝として知られ、「唐橋を制する者は天下を制す」との言葉が生まれたのも、まさにこの橋の地政学的な重要性を物語っている。

橋の起源は飛鳥時代にさかのぼるとされ、奈良時代の『日本書紀』や『続日本紀』にもその名が見える。以来、幾度も架け替えや補修を重ねながら、数多の戦火と時代の移ろいを見守ってきた。

とりわけ知られるのは、天正10年(1582)の本能寺の変である。明智光秀が謀反を起こして京を制圧し、東国からの反撃に備えて進軍を急ぐ中、瀬田城主・山岡景隆はこの橋を焼き落とし、光秀軍の通過を阻んだと伝わる。橋をめぐる攻防は、戦国の結節点としての瀬田の地を象徴する出来事であったといえる。

現在の橋は、鉄筋コンクリート製ながら、擬宝珠や木造風の装飾を施して往時の風情を再現している。橋上からは比叡の山並みと瀬田川の流れが見渡せ、歴史の情景を肌で感じることができる。静かにたゆたう水面に、過ぎし時代の武士たちの影が今も揺れているようだ。

草津宿本陣

草津宿本陣東海道線で上り方面のJR草津駅近郊まで行けば、東海道で3つしか現存していない本陣のうちのひとつ「草津宿本陣」がある。その規模たるや圧巻。余談だが、草津宿本陣は、膳所城藩主別邸瓦ヶ浜御殿の一部だとする伝わっていた。享保3年(1718)の草津宿大火の後に、膳所城藩主別邸瓦ヶ浜御殿の一部を拝領し、再建したと伝わっていたが、平成元年度以降の保存修理によってその建物でないことが判明している。

付近の城

城では、京阪沿線沿いに、大津城跡膳所城跡がある。その膳所城の移築城門として、瀬田城のもっとも近くにあるのが、御霊神社(大津市鳥居川町)にある本丸黒門。御霊神社は京阪唐橋前駅の西側。膳所城のマップに移築城門はつぶさにプロットしているので瀬田城に行く際は合わせてご参照を。また、坂本城もセットで攻めておきたい。

瀬田城のアクセス・所在地

所在地

住所:滋賀県大津市瀬田2-13 [MAP] 県別一覧[滋賀県]

アクセス

鉄道利用

JR東海道本線、石山駅から京阪電鉄石坂線乗り換え、唐橋前駅下車、徒歩10分。または、JR石山駅から帝産湖南バス田上車庫行「橋本」下車、徒歩3分。

マイカー利用

名神瀬田西ICから北へ500m。瀬田の唐橋から県道29号線を下ると左手に石碑がある。

※本記事は城郭カメラマン岡 泰行(プロフィール)監修のもと編集部にて構成しました。

瀬田城に寄せて:訪れた人の声

これまでに届いた声:全4件

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    石碑は2ヶ所。臨湖庵前と琵琶湖に面した県道に。臨湖庵の門の前と門の裏に「臨湖庵」が立てたちょっとした瀬田城の説明板がある。

    ( 又兵衛)さんより

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    この城は、すぐ側の琵琶湖を横切る「瀬田の唐橋」を守るのが主な目的だったそうな。戦乱の度に焼失したり、天災によって崩壊を幾度となく繰り返したらしい。膳所藩時代でさえ10数回のかけ直しが行われているそうな。

    ( 又兵衛)さんより

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    これといって何も残っていない。現在は、城跡に料亭「臨湖庵」がある。本能寺の変後、膳所藩の重臣、三松氏が出家し草庵「臨江庵」がその由来だそうだ。その庭園が臨江庵または瀬田城の庭園とウワサがたまにあるが、「臨湖庵」に確認したところ料亭が独自に作ったものらしい。石垣が残ると言われているが、どれが昔のものか謎だ。

    ( 又兵衛)さんより

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    大津城坂本城瀬田城とともに「琵琶湖の浮城」と呼ばれているらしい。ちなみに日本三大湖城は、松江城膳所城高島城

    ( 光秀)さんより

城の情報

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