写真:岡 泰行

大溝城の歴史と見どころ

織田政権の湖上ネットワーク4城大溝城は、安土城を中心とし、長浜城坂本城とともに、琵琶湖を囲む織田政権4城ネットワークのひとつ。大溝城は初めて訪れると近江高島駅から大溝城の城跡までの道のりが分かりにくいため事前に、ルートをチェックしておくと良い。天守台を見た後は、唯一、現存する大溝藩の建築物、武家と町人の町を区切る大溝陣屋の惣門や、町割り水路など、大溝城とともにその城下町の散策を。

大溝城の書籍資料

  • 『織田信澄と大溝城』(モノクロB5二つ折り)
  • 平成27年12月に行われた『大溝城遺跡 発掘調査現地説明会資料』(カラーA3二つ折り)
  • 『大溝陣屋遺跡』(カラーA4両面)
  • 『近江高島・大溝の水辺さんぽ』(カラー三つ折りパンフレット)

大溝陣屋の惣門に行けば、いろいろと資料があるぞ。

大溝城の散策コース

大溝城までの道のり

大溝城三の丸跡石碑・天守台へ続く小道近江高島駅から、大溝城の城跡までの道が分かりにくいので事前に要チェック。駅の売店付近に、大溝城へのアクセスマップが貼られている。駅前の通りを東へ進み、最初の信号(近江高島駅口交差点)を右へ進んだところ右手に、三の丸跡を示す石碑があり、その脇から城跡への小道がある。写真はその入口(詳しくはGoogleマップ参照)。

大溝城の撮影方法

撮影すべきは、大溝城天守台と、外堀の乙女ヶ池、城下に残る大溝陣屋時代の総門の3点。天守台の石碑は南向き。

大溝城の写真集

城郭カメラマン撮影の写真で探る大溝城の魅力と見どころ「お城めぐりFAN LIBRARY」はこちらから。

大溝城の関連史跡

武家と町人の町を区切る大溝陣屋の惣門

大溝陣屋の惣門織田時代の大溝城の建築物ではないが、唯一、現存する大溝藩の建築物で、高島市指定文化財。伊賀上野から入封した分部光信は大溝城の西に陣屋や武家屋敷を作り、町人地との境に、正面玄関として惣門が作られた。いわゆる長屋門で、入母屋には分部氏の紋が使われた瓦がある。内部は資料などが閲覧できる町並み案内所となっており大溝の歴史が分かる。武家エリアの西側には、藩校脩身堂跡石碑がある(詳しい場所はGoogleマップ参照)。

大溝の町割り水路

大溝の町割り水路大溝陣屋の城下町には、通りの中央に水路を通した町割り水路が3カ所に残る。当時は国道161号線下にもあって(現在は暗渠に)計4本だったらしい。近年ではあまり残っていないが、大和郡山城の城下でもこういった水路が見られる。

大溝藩主分部家墓所

圓光禪寺圓光禪寺に霊廟があり、初代(光信は京都の大徳寺)、七代以外の歴代藩主の墓がある。圓光禪寺は、分武家が伊賀上野時代からの菩提寺で、元和5年(1619)、大溝へ国替えとなり、圓光禪寺が大溝にも建立された(詳しい場所はGoogleマップ参照)。

近藤重蔵、謫居跡

近藤重蔵、謫居跡近藤重蔵は、伊能忠敬とともに、地図を完成させるため蝦夷(北海道)や、エトロフ島まで踏破した探検家。江戸城内で御書物奉行を務めたが、息子が事件を起こし大溝藩で謫居することになる。その謫居跡の石碑が惣門近くの駐車場脇にある。墓は圓光禪寺の塔頭のひとつ、瑞雪禅院の裏山にある(高島市指定史跡)。

付近の有名城

付近の有名城といえば、明智光秀の坂本城

大溝城の史跡めぐりにこだわる最適なホテル

この辺りに宿泊できるところは無い。大溝城址のみだと必要な時間は15分程度のため、旅の通過点とすべし。

大溝城のアクセス・所在地

所在地

住所:滋賀県高島郡高島町勝野 [MAP] 県別一覧[滋賀県]

アクセス

鉄道利用

JR湖西線、近江高島駅下車、徒歩5分。高島市民病院(二の丸跡)の東側が本丸跡で天守台が残っている(徒歩ルートはGoogleマップ参照)。

マイカー利用

名神高速道路、京都東ICから国道161号線を北上、近江高島駅を目指す。約40分(43km)。駅西側の有料駐車場を利用する(近江高島駅前第1駐車場・31台)。

大溝城天守台、大溝陣屋の惣門や町割り水路などの散策は、駐車場が無いため駅前駐車場に駐めて、徒歩散策が良い。大溝藩主分部家墓所のある圓光禪寺は駐車場有り。

城ファンの気になるところ (7)

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    大溝城の詳細は明らかではないが、「織田城郭絵図面」によると本丸は堀で囲まれており、堀にそって侍町通りがめぐっている。
    その通り沿いには信澄の家臣と思われる21の姓が記されており、その中には近江の佐々木氏の同族の高島郡を治めていた”高島七頭”のうちの2人、朽木氏や永田氏の名もある。

    ( 半兵衛)

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    本丸跡から安土城と同じ軒丸瓦1類・軒丸瓦2類・丸瓦が出土。(高島町教育委員会 s58)

    ( 光秀)

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    壬申の乱(672)に落城した三尾城が背後の三尾山山中にあったという。(「日本書記」天武紀)

    ( 光秀)

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    近江高島駅から、駅前の通りを南下すると最初の三叉路の交差点の右側に、三の丸跡を示す石碑がある。

    ( 半兵衛)

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    この地は古くから北陸と京都を結ぶ最短距離であり、湖と山は平野くぎり街道を遮断していることから戦略上の要所であることがわかる。遺構は天守台石垣が残るのみである。

    ( 半兵衛)

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    2015年12月、発掘調査で大溝城に船着き場らしき石垣の遺構が見つかったらしい。船から直接本丸に上がれる構造だったのかもしれないとのこと。

    ( shirofan)

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    2018年3月、高島市教育委員会が江戸時代の絵図『大溝城下古図』をもとに発掘を行い、本丸の北側と南側で高さ約1mの石垣や瓦が見つかったそう。廃城時に石垣を壊した痕跡も確認された。工法から天正期の築城当時のものなのだとか。

    ( 城好きの匿名希望)

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