茨木城
写真:岡 泰行
茨木城の開城時間
茨木城の城域は宅地化されており散策自由。
茨木城のアクセス・駐車場
鉄道利用
阪急京都線、茨木市駅下車、北へ徒歩約8分(650m)で、茨木小学校に設けれた復元城門。
マイカー利用
名神高速道路、茨木ICから南東へ約7分(2.2km)。駐車場無し。付近でコインパーキングを探すべし。
茨木城の文献資料
茨木城の歴史と見どころ
茨木城が歴史の表舞台に登場するのは応仁の乱が起こってから。信長配下となった中川清秀や豊臣家に深く関わった片桐且元・貞隆兄弟が茨木城に入っていたことでも知られている。慶長20年(1615)、徳川幕府の一国一城令で摂津は高槻城のみとなり茨木城は廃城となる。茨木城跡で見るべき主なものも合わせて掲載。
茨木市立文化財資料館
現地では必ず訪れておきたい資料館。その縄張の復元案など茨木城を読み解く優れた展示がなされている(場所は上記Googleマップ参照)。また、茨木遺跡(茨木城の東堀)など発掘調査で見つかった欄間や障子、安土桃山時代の丸瓦、移築城門の部材が展示されている。
妙徳寺に移築されていた茨木城の城門は、今から12、3年ほど前(2007年もしくは2008年あたり)に、その部材を文化財資料館が譲り受けた。「虹梁形頭貫」という棟木でこれが文化財資料館の2階に展示されている。「妙徳」は中川清秀の娘の法名。余談ではあるが、妙徳寺の新造された山門は、2018年、最大震度6弱を記録した大阪北部地震で倒壊してしまう。2020年現在、妙徳寺に新たな山門は建立されていない。
パンフレット『いばらきの歴史を探ろう!』
茨木城と現在の地図の重ね合わせ図や、移築城門の紹介、見つかった遺物、付近の小さな城跡まで掲載。児童向けに制作された冊子で、とても見やすくまとまっていて、茨木城の中世から近世までその要所がすっと頭に入ってくる優れもの。城ファンなら茨木市立文化財資料館にて中世編と近世編をGETしておこう。また、茨木市のWebサイトでPDF公開されているぞ。
- 『いばらきの歴史を探ろう!』(PDF)(茨木市)
書籍『新修茨木市史』第2巻
茨木城の歴史観光スポット
茨木神社で搦手門と黒井清水
茨木神社には、茨木城の搦手門が移築されているので足を運びたい。境内北側には、「黒井の清水」と呼ばれる井戸があり、赤井の清水、青井の清水とともに、嶋下郡三名水といわれているそうだ。この黒井の清水は、豊臣秀吉の茶の湯にも使われた。また、茨木神社の西側に土塁らしき起伏が続くが、これはもともと茨木川が流れていた跡で、天井川だった。現在、上流で川の付け替え工事が行われ、水は流れておらず、元茨木川緑地として公園化されている。茨木城の西側を守った川(堀の役割)なので、見ておくと良いぞ。
大和小泉陣屋に移築された櫓門
慈光院(奈良県大和郡山市)にある茨木城の櫓門。片桐貞隆が本領である小泉陣屋に、茨木城の櫓門を移築、その後、二代藩主片桐貞昌(石州)が、父である貞隆の菩提寺「慈光院」を建立し、その櫓門を書院に合わせ茅葺きに変更して使用した。2020年秋に新たな茅に葺き替えられた(12〜15年スパンで葺き替え)。茨木小学校に復元された城門はこれをもとにデザインされている。
茨木城の口コミ 城ファンチェック (3)

1999.08.02 茶人 さんより
茶人としても知られる古田織部の妻は、中川清秀の妹と伝わっているらしい。
2001.03.18 乾 宏次 さんより
茨木城は、中川清秀や、豊臣家家老、片桐且元の居城でした。城跡は市街地となり、城跡碑があるのみです。でも城の搦手門が、旧城内に建つ茨木神社の東門として、残されています。又、奈良県大和郡山市小泉町の慈光院に、かや葺きの茨木城楼門が残されています。小泉町には、且元の弟片桐貞隆の居城がありました。京都方広寺の鐘銘事件で、豊臣家と徳川家の板ばさみとなった、片桐且元は茨木城から退城し、城は廃城となりました。
2020.11.30 丹波大納言 さんより
フランシスコ・ザビエルの肖像画が発見されたのは、ここ茨木とご存じでしたか? 茨木市千提寺周辺は「隠れキリシタンの里」として知られています。