北畠具教の首は、家臣が津市美杉町の多岐の菩提寺に葬ろうと宮川筋をさかのぼり馬を走らせたが、敵方の追撃が厳しく、松阪市飯高町の野々口に埋葬された。北畠具教は、剣豪塚原卜伝から秘伝一の太刀を伝授されるほどの腕前で、織田方の刺客に襲撃された際、太刀を手に19人の敵兵を斬り殺し100人に手傷を負わせたという。
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