名島城の歴史・見どころ

名島城(なじまじょう)は戦国時代天文年間(1532~1555)、立花山城主立花鑑載が支城として築いた城と伝えられる。博多湾に突き出す丘陵上に位置し、三方を海に囲まれた要害であった。

天正15年(1587)、豊臣秀吉の九州平定後、筑前一国などを与えられた小早川隆景が入国し、城は大きく改修された。九州統治と監察の拠点として整えられ、秀吉自身も縄張りや配置に関与したと伝わる。隆景はのちに秀吉の甥小早川秀秋を養嗣子として家督を譲り、慶長2年(1597)に没した。

秀秋は慶長5年(1600)まで名島城に在城したが、関ヶ原の戦い後に備前・美作(岡山城)へ移封された。同年12月、筑前の領主となった黒田長政が入城し、名島城は新領国支配の拠点となる。

しかし城下の発展に適さない地形であったため、長政は父黒田如水と相談し、新たに福岡城の築城を決断した。慶長6年(1601)から福崎の地で築城が始まり、移転に伴って名島城の石垣や建物は解体されて新城へ運ばれた。名島城はこうして短期間で役割を終え、近世城郭としての発展を見ぬまま慶長12年(1607)に廃城となった。

名島城の特徴と構造

名島城は博多湾に張り出した標高約70mの丘陵上に築かれた平山城で、三方を海に囲まれ、東側のみが陸続きとなる立地に特徴がある。

城域は東西約840m、南北約280~400m(主要郭配置は東西約300m×南北約100m)の地形を利用し、北に本丸、南に二の丸・三の丸を配し、その間を堀切で画した連郭式の構成をとる。さらに海水を引き込んだ堀割や空堀などが巡らされ、防御と水運の双方に配慮した構えであった。小早川氏在城時には城内に家臣屋敷が並び、山麓には城下町も形成されたと伝えられる。

名島城大手門跡
大手門跡。城下へ通じた出入口とされ丘陵端の要所に位置する。
名島城隅櫓跡
隅櫓跡。宅地化の中にわずかに残る地形が往時の防御施設をしのばせる。
名島城移築城門・福岡城内
名島門(名島城移築城門)。福岡城跡に移築され廃城後も城の歴史を伝える貴重な遺構だ。
崇福寺唐門・名島城移築城門
崇福寺唐門(名島城移築城門)。名島城解体時に移されたと伝わる華やかな桃山様式の門。

名島城の整備状況

現在の名島城跡は宅地化が進み往時の遺構は多く残らないが、本丸跡周辺では発掘調査により石垣の根石や建物跡が確認されている。

名島城解体の際に移築された建造物として、福岡城跡に残る名島門(福岡市指定文化財)、崇福寺に伝わる唐門(福岡県指定文化財)、宗生寺に移築された搦手門などが知られ、城の歴史を伝える貴重な遺構となっている。

また、名島神社周辺の本丸跡一帯は平成24年(2012)に名島城址公園として整備され、地域住民と福岡市の協力のもと史跡顕彰の場として活用されている。公園からは博多湾を一望できる景勝地としても親しまれており、発掘調査や保存活動も継続して進められている。

  • 『日本城郭大系18』(新人物往来社)
  • Webサイト「名島城跡」(福岡市文化財)
  • Webサイト「名島城址」(名島神社)

名島城の撮影スポット・絶景ポイント

名島城の写真集

城郭カメラマンが撮影した「お城めぐりFAN LIBRARY」には、名島城の魅力を映す写真が並ぶ。事前に目にしておけば現地での発見が鮮やかになり、旅の余韻もいっそう深まる。

名島城周辺の観光スポット・史跡めぐり

宗生寺(そうしょうじ)山門は、名島城の搦手門の移築です。境内には名島城主・小早川隆景の墓があります。そのほか、福岡城、立花山城、多々良古戦場、箱崎宮、崇福寺など(口 2000)。

名島城周辺グルメ・名物料理

ずばりここ!博多ラーメン「名島亭」福岡市東区名島2-41-7、九州電力福岡東営業所の向かいあたりです(美作 2010)。

名島城アクセス・駐車場・営業時間

所在地

住所:福岡県福岡市東区名島1丁目 [地図を見る]

県別一覧:[福岡県の城]

電話092-671-1087(名島神社)

アクセス

鉄道利用

西鉄宮地岳線、名島駅下車、徒歩20分。または、西鉄バス「城浜団地」から約10分。

マイカー利用

国道3号線名島交差点より北上、高架下にて左折、次の交差点にて右折後2分。

地図