潮待ちの港と栄えた鞆の浦。その港を見おろす位置に築かれたのが鞆城だ。村上水軍が築いたのが始まりと伝わるが定かでない。慶長5年(1600)、福島正則が城を改修し近世の城として生まれ変わった。一国一城令により天守は三原城へ移されたという。
関連ページ: 福山城
© 2026 Yasuyuki Oka. All rights reserved.
掲載写真をいかなる方法に於いても無断で改変・複製・転載する事を禁じます。
天守を探して、松山の町へ 松山まで来たのだから、松山城を撮ろう。そう思って城下を歩いてみると、これが案外、天守 …
松阪の夜は、一軒の食堂から 久しぶりに、松阪に宿をとりました。 この日は松坂城から城下へ歩き、武家屋敷や古い商 …
戦災を免れ、桃山文化を伝える妓楼建築と街の記憶 大阪市西成区の飛田新地の一角には、大正末から昭和3年(1928 …
大坂城から奈良へ渡った『蛙石』の数奇な歴史 「大坂城のお堀端にある蛙石に近づいたらアカン!」 そんな言い伝えが …
橿原神宮に残る織田家の御殿「文華殿」柳本陣屋ゆかりの建築を訪ねる 橿原神宮の境内に、かつて大和・柳本藩を治めた …
日野城(中野城・滋賀県蒲生郡)は、27年ほど前、会津若松城を訪ねる前に、蒲生氏郷ゆかりの城も見ておこうと思い、 …