/   お城 PICKUP   /  

大正13年(1924)に撮影された大阪・船場の街並み
父の遺品の中から、大正13年(1924)に撮影された大阪の写真が見つかりました。少し珍しいのでアップしておきます。

昨年、写真家の杉本洋一氏からの依頼で、新山清(1911-1969)の作品に日本の城が写っており、どこの城か調べたことがありました。ご子息の新山洋一さんからその写真を拝見し、大阪城であることは分かったのですが、その撮影場所が分かりませんでしたが、写真右上の「三越百貨店」屋上が撮影場所である可能性が高いことが分かりました。

この写真は、大阪市中央区の堺筋を中心に撮影されたものです。中央の矢印は「生駒商店(現 生駒時計店)」でして、明治3年(1870)創業、現在は、昭和5年(1930)に建てられた時計塔を持つ5階建の歴史的建造物が現役です。

南北に(写真左下から右上に)伸びる大きな道路は「堺筋」です。大阪の中心は、御堂筋という印象がありますが、それは昭和12年に御堂筋が拡幅されてからのことで、それまでは、堺筋が中心的な道路でした。さらに現在の堺筋より1本西側の道が堺筋でした。木レンガが敷かれ昭和のはじめ頃まで馬車が行き交いしていたそうです。

生駒時計店ビルの東西に(左上から右下に)伸びる道路は「平野町(ひらのまち)」で、現在のようにビルが立ち並ぶ前は、通り上から、大阪城が正面に見えたと言います。また、父の生前の話では、第二次大戦では主に、平野町より南に爆弾が落ちたそうで、それゆえ、以北には「旧小西家住宅」や「旧緒方洪庵住宅(適塾)」、そのほか現代の歴史的建造物が残っています。

堺筋から御堂筋まで、北は中之島から中央大通りまでの正方形のエリアは、秀吉が制定した大坂の商業の中心地で、いわゆる大阪ド真ん中「船場島之内」エリアでした。その東端が写っている訳です。写真右下には東横堀川がちらりと写っていますが、外堀の役目を果たしていた川でした。

父も祖父から受け継ぎ、空襲でも焼けなかった写真と推測できますが、この写真の用途は分かっていません。