芦屋市役所 生活環境部コミュニティ課様、芦屋市教育委員会 文化財課様のご好意により、中世城砦である鷹尾城の貴重な情報を頂きましたので、ご紹介させていただきます。
芦屋市内で唯一遺構が残存している城は、中世城砦である鷹尾城のみ。築城者は、摂津国豊島地方の在地領主(国侍)の瓦林対馬守政頼。城を築いた歴史的理由は、国侍として発展するための基盤づくり、伊丹氏による伊丹城、池田氏による池田城の構築と同様の契機があった。芦屋の地は古代・中世を通じて交通の要衝であり、肥沃な灘筋制圧の足が
かりの地でもあった。
赤松勢による鷹尾城猛攻の段階、城主瓦林政頼は永世8年(1511)、城を捨てているので、この頃には確実に城が存在していたものと考えられる。その後、鷹尾城の東1里の小清水地域に越水城を構築、鷹尾城の方は与力地侍の鈴木与次郎が守ったとされる。
瓦林・伊丹氏は細川高国方、池田氏は細川澄元方に属し、国侍も細川家内紛に乗じて、攻防したが、鷹尾城は高国方地侍の拠点と化した。永世8年5月1日の戦は有名である。政頼は敵対行動に出た本庄5ヶ村に対し、鷹尾城外堀構築の際には、用水権をうばうことになるので、木樋掛を申し出ている。この外堀は、最近の研究では高座川として付けかえられた人工河川とみられ、芦屋川用水の西方用益については、東川の廃絶を原因として、行われるようになったと推定される。これに対し、本庄衆は、灘五郷の衆を集結させ、鷹尾城攻略に出たと思われる。
さて、鷹尾城には石垣などの明瞭な石塁は残存しないが、中世城砦としてはきわめて珍しい「竪堀」遺構が残存している。また、一部に土塁遺構も残っており、周辺では陶器類や中世土器類が散布する。
[芦屋市教育委員会 文化財課 Tel.0797-31-9066 (99.07.22)]