高岡城は、前田利長が慶長14年(1609)に築いた隠居城です。曲輪や水濠を中心とする縄張が良好に残り、現在は国史跡・高岡古城公園として整備されています。園内では水濠や土塁などの遺構と四季の景観を楽しめます。このページでは高岡城の歴史や見どころ、撮影スポット、周辺情報などを豊富な写真とともに紹介する。
写真:岡 泰行(城郭カメラマン)
高岡城の歴史・見どころ
高岡城の歴史
高岡城は、加賀前田家二代・前田利長が慶長14年(1609)に築いた隠居城だ。利長は慶長10年(1605)に家督を譲って富山城へ移っていたが、慶長14年(1609)3月の大火で富山城が焼失したため、一時魚津へ移り、関野と呼ばれていた地に新たな城を築いた。高岡城の縄張は、キリシタン大名として知られ、築城にも通じた高山右近が行ったと伝わる。利長は「詩経」の一節からこの地を「高岡」と名付け、同年9月に入城したとされる。
利長は慶長19年(1614)5月20日に没した。『三州志』によれば、同年の大坂冬の陣では稲垣与右衛門、翌元和元年(1615)の大坂夏の陣では岡嶋備中(一吉)が城を守り、前田利常の凱旋後に城内の殿閣が廃されたという。高岡市では、利長の死後間もなく、元和元年(1615)の一国一城令によって廃城になったとしている。
しかし、廃城後も堀や土塁など城郭の基本構造は残された。三代・前田利常は高岡の再興を進め、鋳造産業を奨励するとともに、布・魚・塩などの物資の集散地とし、城下町から商工業の町へと転換を図った。城跡は江戸時代を通じて高岡町奉行の管理下に置かれ、加賀藩の米倉や火薬庫なども設けられた。『日本城郭大系』によれば、街道の付け替えに際して城跡が見通せることを避けるため、定塚町を古定塚町から現在地へ移したとも伝わり、廃城後も城郭の姿を保つことに配慮が払われていたことがうかがえる。
明治3年(1870)には民間への払い下げと開拓が計画され、樹木伐採の落札者まで決まっていた。しかし、服部嘉十郎らが城跡の保存を求めて公園指定を県に請願し、その尽力によって明治8年(1875)に「高岡公園」として残された。こうして城郭遺構は破壊を免れ、築城から約400年を経た現在も郭や水堀、土塁など近世初頭の縄張を良好にとどめている。平成27年(2015)3月10日には、その歴史的価値が認められ、国史跡に指定された。
高岡城の特徴と構造
高岡城は、高岡市中心部の平地に築かれた約600m四方の平城。本丸の周囲に馬出郭を配する、防御性の高い特徴的な縄張を持つ。江戸時代に高岡町奉行を務めた小堀金五右衛門の作製図によれば、主郭となる本丸を中心に他の四郭を配置し、大手口は南西部に設けられていた。
本丸西側の水堀は一重だが、ほかの方面には二重の堀をめぐらせていた。西側には沼や湿地が広がり、それ自体が防御を補っていたとされる。塁壁は全体として屈折が少なく、水堀を大きく利用した縄張が特徴となっている。現在も公園面積約21万m²の約3分の1を水濠が占め、堀や土塁、郭の形をよく残す。
廃城後も堀が大規模に埋められず、郭の形が約400年間にわたって保存されてきたことは全国的にも珍しい。発掘調査では本丸御殿に関わる礎石や石組み遺構も確認されており、近世初頭の築城技術と城郭構造を現地でたどることのできる貴重な城跡となっている。
高岡城の整備状況
城跡は明治8年(1875)に「高岡公園」となり、現在は高岡古城公園として整備されている。約21万m²の園内には郭や土塁、水堀などの城郭遺構が良好に保存され、平成27年(2015)3月10日には国史跡に指定された。
公園面積の約3分の1を占める水濠では、平成3年(1991)から水濠浄化工事が行われた。現在は高岡城の縄張と遺構を伝える歴史公園であるとともに、桜や紅葉など四季の景観を楽しめる都市公園として親しまれている。
参考文献:
- 『日本城郭大系7』(新人物往来社)
- Webサイト「高岡城跡」(高岡市)
高岡城をより深く学ぶ展示・資料館・学習スポット
高岡市立博物館で高岡城を学ぶ
高岡古城公園内にある高岡市立博物館では、高岡城の築城や縄張、前田利長と城下町の歴史について学ぶことができる。高岡城は慶長14年(1609)、富山城を火災で失った前田利長によって築かれた城で、博物館では築城に関する利長の書状や城絵図、発掘調査の成果などから、その歴史を紹介している。
特に注目したいのが、高岡城を特徴づける「連続馬出」の縄張。本丸、二の丸、鍛冶丸、明丸、三の丸などの郭を土橋で結び、広大な水堀と組み合わせた構造について理解を深めることができる。また、発掘調査では本丸から礎石が検出され、幅50m以上の規模を持つ御殿が存在したことも確認されている。
現在の高岡城には天守や櫓などの建物は残っていないが、郭と水堀は築城当時の形をよくとどめている。博物館で縄張や発掘成果を知ってから城内を歩けば、何気なく見えていた水堀や土橋、郭の配置も、高岡城を構成する重要な遺構として見えてくる。城跡散策とあわせて立ち寄りたい施設。
高岡城の撮影スポット・絶景ポイント
高岡城の写真(城写真ARCHIVE)
城郭カメラマン 岡 泰行が30年にわたり撮影・記録してきた「城写真ARCHIVE」では、高岡城の魅力を写した写真を公開している。訪問前の見どころ探しや、旅の余韻を振り返る際にも役立つ。
高岡城周辺の観光スポット・史跡めぐり
長尾為景塚
長尾為景は、天分14年4月、増山城攻めで討ち死にしたといわれ、その墓と伝わる塚が砺波市頼成新にある。小字名を長尾塚。また、為景の父、長尾能景は永正3年9月、一向一揆と越中守護代神保氏が対決した「芹谷合戦」で討死。為景塚の東方180mの永田家屋敷にある塚が、能景塚と伝えられている(詳しい場所は上記Googleマップ参照)。
山城なら守山城、増山城が近いが、有名城でいうと、安田城、富山城へどうぞ。
そのほか、国宝・瑞龍寺(前田利長の菩提寺)、利長墓所など。
高岡城アクセス・駐車場・営業時間
所在地
住所:富山県高岡市古城1-1 [地図を見る]
県別一覧:[富山県の城]
電話:0766-20-1563(高岡城公園管理事務所)
アクセス
鉄道利用
あいの風とやま鉄道「高岡駅」から徒歩約15分。JR氷見線「越中中川駅」から徒歩約4分。高岡駅からバスを利用する場合は「古城公園」または「中川」バス停下車、徒歩約1分。
マイカー利用
能越自動車道「高岡IC」から約15分、北陸自動車道「小杉IC」から約20分。高岡古城公園の小竹薮駐車場、北口駐車場などを利用できる。駐車場は無料(約140台)。
地図
掲載写真・記事は、現地調査・撮影・記録をもとに作成しています。
高岡城:城ファンの知見と記録
高岡城を訪ねた人たちが残してきた記録です。現地での発見や知見が寄せられ、城歩きの文化の中で育まれてきた経験がここに蓄積されています(全5件)。
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銅像は、三基あるので要チェック。大手口のところに高山右近銅像、本丸奥にある前田利長銅像、また、JR高岡駅北口ロータリーにも前田利長の銅像がある。
記録:shirofan 2014
三の丸には「民部の井戸」と呼ばれる、築城当時から続く井戸が残る。
記録:shirofan 2014
ずばりその見どころは、本丸にかかる土橋の石垣。ちょうど本丸に渡った左手から堀底へ降りる階段があり、刻印石などよく見られる。
記録:shirofan 2014
NHK大河ドラマ「利家とまつ」の長男・前田利長の隠居城です。慶長14年(1609)に築かれました。利長は入城後5年余りで死去、そして一国一城令で廃城となってしまいましたが、曲輪と水濠は当時のまま残されています。現在は「高岡古城公園」として憩いの場として市民から愛されています。四季折々の豊かな自然は街中の公園とは感じさせません。桜に紅葉、また雪景色など四季を通して美しいですよ。
記録:仁ヶ竹亮介 2003
高山右近による築城当時からの縄張(曲輪、水濠、一部の石垣)が遺されています。古城内には高岡市立博物館があります。
記録:仁ヶ竹亮介 2003