幕末の海軍操練所跡とは
神戸市中央区新港町に位置する海軍操練所跡は、旧生田川が運んだ土砂の堆積によって形成された砂嘴上に営まれた幕末の海軍施設跡だ。勝海舟の進言により設けられ、坂本龍馬もここで航海術などを学んだと伝えられる。その後は開港とともに神戸港第一波止場へと役割を変え、港湾都市神戸の発展の出発点となった場所といえる。

現在、地上には当時の痕跡はほとんど残らないが、近年の発掘調査によってその実像が次第に明らかになってきた。写真は、幕末期の防波堤を利用してその上に谷積の石垣が組まれた神戸第一波止場の北側防波堤。写真奥には灯台跡の礎石がある(2026年3月21日先行公開の様子)。この海軍操練所跡について詳しくは下記神戸市のサイトのご参照を。
徳川大坂城の刻印石が出土
令和5年(2023)からはじまった発掘調査では、明治期に改修された防波堤や敷石が検出され、その石材の一部に刻印があることが判明した。刻印は徳川大坂城築城の際、工事に参加した大名が石の所有などを示すために刻んだものと考えられている。
神戸市によると刻印石は3石確認された。どこの大名か不明なもの、若狭小浜藩 京極忠高や美作津山藩 森忠政のものと推測される刻印が発見され、Aタイプの矢穴列痕を残す石材も見つかった。これらの石材は六甲山系、あるいは瀬戸内海の島々から運ばれたものと推定されている。令和8年(2026)3月の先行公開では、防波堤遺構とともに刻印石を見ることができ、築港の歴史が重層的に積み重なってきた様子を実感できる機会となっていた。

神戸第一波止場の北側防波堤に見られる刻印。この刻印は明瞭だが何を示すものかは判明していない。

天端の内側の敷石に見られる刻印。「□に二」という刻印で、神戸市では若狭小浜藩 京極忠高のものではないかと推測している。

発掘調査でAタイプの矢穴列痕がある石材も見つかった。大坂城残念石である可能性が高い。
歴史遺構の保存と公開に向けて
調査では幕末の操練所に伴う防波堤の上に、明治期の防波堤が築かれた痕跡も確認されており、古い構造物を活用しながら港の機能が拡張されていった過程が明らかになっている。こうした歴史遺構を伝える展示施設は、神戸市によって令和9年(2027)春頃の完成が予定されている。
合わせて巡りたい
旧海軍操練所跡碑
勝海舟の建言により、江戸幕府が神戸に設置した海事教育機関の跡を記す碑。坂本龍馬や陸奥宗光ら幕末の志士たちが最新の航海術や造船術を学び、近代日本の海軍および海運の先駆けとなった歴史拠点だ。
網屋吉兵衛顕彰碑
江戸期、私財を投じて神戸に船の修理施設「船たで場」を築いた網屋吉兵衛の功績を記す碑。彼の献身は勝海舟の海軍操練所開設や神戸港開港の礎となり、将軍家茂へ港の重要性を説いた先見性は高く評価されている。
神戸海軍操練所・陸奥宗光顕彰碑
勝海舟が設立した神戸海軍操練所の跡地に立つ碑。若き日の陸奥宗光もここで学び、後の外務大臣として条約改正を成し遂げた。この地は近代日本の海軍および外交を担う多才な人材を輩出した、神戸港開港前夜の重要拠点。
神戸市立博物館
名建築である旧横浜正金銀行神戸支店の建物を活用した博物館。1階の「神戸の歴史展示室」は無料で開放されており、神戸港の開港から国際港湾都市へと発展した歩みを、精巧な模型や映像を用いて年代別に紹介している。






