写真・監修:岡 泰行/城郭カメラマン
川越城の歴史と見どころ
川越城(かわごえじょう)は、武蔵野台地の東北端に位置し、荒川や入間川に囲まれた台地上に築かれた。長禄元年(1457)、上杉持朝の命で太田道真・道灌父子が築城し、以後上杉氏六代、後北条氏四代が拠った。とりわけ天文15年(1546)の河越合戦では、北条綱成ら8千が上杉憲政と古河公方足利晴氏の連合軍8万を破り、関東戦国史に名を刻んだ。
天正18年(1590)に徳川家康が入部すると川越藩が置かれ、江戸北辺の守りと物資供給地として重視された。藩主には酒井忠利や松平信綱など老中を務めた有力大名が多く、信綱は町割を行い、川越街道や舟運を整備した。
松平大和守家が17万石を領した時代には「小江戸」と呼ばれる繁栄を迎え、新河岸川を通じた江戸への流通が商業を発展させた。氷川神社の祭礼や藩学「講学所」の創設など文化も栄えたが、幕末には異国船来航により沿岸警備に出兵するなど多端を極め、明治4年の廃藩置県で、7代約100年の藩政は終焉を迎えた。その後も川越は埼玉随一の商業都市として発展し、明治26年(1893)の大火後には土蔵造りの町並みが形成され、今日に続く歴史的景観を残している。
川越城の構造と特徴
川越城は室町時代中期の長禄元年(1457)に扇谷上杉持朝の命で太田道真・道灌父子が築いた城だ。方形郭を堀で巡らせた構造をもち、本丸・二の丸などを擁する城域は江戸期に大きく拡張され、近世城郭としての姿を整えた。本丸御殿(玄関・大広間・家老詰所)は嘉永元年(1848)造営で、国内に2例のみ現存する城郭御殿だ。ほかに土塁や堀跡なども残り、城跡の一部は初雁公園として整備され、本丸御殿が公開されている。
参考文献:『川越の歴史』(1998川越市教育委員会)
川越城の学びに役立つ本と資料
ハンドブック『川越の歴史』(川越市教育委員会)が良い。また、川越市立博物館では、川越市に関する歴史資料を販売している。そこから徒歩10分の川越市立図書館でも資料の閲覧ができる。そのほか、国立歴史民俗博物館所蔵の「江戸図屏風」など。
川越城の周辺史跡を訪ねて
見るべき川越城スポットは、以下の6カ所
- 本丸御殿
- 三芳野神社付近の土塁
- 霧吹きの井戸
- 富士見櫓跡
- 中ノ門堀跡と空堀
- 西大手門跡に建つ太田道灌銅像
川越の歴史散策なら以下の3スポットを追加で
- 蔵造りの町並み
- 時の鐘
- 川越夜戦跡石碑(東明寺)
- 永島家住宅(旧武家屋敷・内部は土曜のみ)
(いずれも上記Googleマップ参照)
川越城の周辺おすすめ名物料理
「田中屋」お菓子屋兼民俗資料館。菓子屋横丁に。
[ume (1999.06.11)]
「古雅」割烹。本川越駅前。懐石料理定食がうまい。
[優佳s (2000.02.01)]
川越城観光のおすすめホテル
佐久間旅館は川越市内でも比較的大きくてサービスの良い旅館である。
[市瀬俊一 (1997.11.12)]
ちょっと豪華に川越プリンスホテル。西武新宿線、本川越駅すぐ。シングル12,000円、ツイン20,000円から。安いところでは川越第一ホテル6,000円から。
[ゆかs (2000.02.15)]
JR川越駅周辺にラブホテルが数軒。
[ume (1999.06.11)]
川越城のアクセス・所在地
所在地
住所:埼玉県川越市郭町2丁目13番地1 [MAP] 県別一覧[埼玉県]
TEL:049-222-5399(川越市立博物館)
本丸御殿は、午前9時から午後5時(入館午後4時30分まで)、毎週月曜日(休日の場合は翌日)と第4金曜日(休日は除く)、年末年始休館。
アクセス
鉄道利用
東武東上線、川越市駅下車、徒歩10分。または、西武新宿線、本川越駅下車、バスで10分。または、JR川越線、川越駅下車、バス。西武特急小江戸号で新宿から49分。
関東方面からだと快速急行川越号の方が安くて良いかも。ちなみに本川越の駅からのバスはかなり少ないのでタクシー利用も良い。
マイカー利用
関越自動車道、川越ICから、北東へ約12分(8.4km)。川越城本丸御殿前に無料駐車場有り(205台)。
1996年よりWebサイト「お城めぐりFAN」を運営し、日本の城郭をめぐる旅をライフワークとする。長年にわたる豊富な経験と、城郭写真家としての専門的な視点から、当サイトの記事を監修。その写真と知見は、数々の書籍やメディアでも高く評価されている。
川越城:城ファンたちの記憶
実際に川越城を訪れた城ファンの皆さまが綴る、印象に残った景色、人との出会い、歴史メモ、旅のハプニングなど、心に残る旅の記憶を共有しています(全8件)。

川越城のことではないですが、「喜多院」はTVドラマ(浜 木絹子が出演してます)の撮影場所になるほど有名です(地元談)。
五百羅漢が院内にあります。それぞれちがった顔を持っています。自分に似た顔を探してみるのも、楽しさがあるのでは? お歳寄りから、若者まで、みんなに愛される場所だと思います。是非一度足を止めて、眺めてみたらいかがでしょうか?
( まりな)
川越城が築かれたのは康正3年(1457)、太田道灌によるといわれています。天文6年(1537)、後北条氏にうばわれました。のち松平氏の統治下におかれました。また、川越夜戦の舞台になったことが有名でしょうか。17世紀中葉に松平信綱により修築され、近世城郭としての姿を整えた。また松平信綱による修築以前の有様は、国立歴史民俗博物館所蔵の「江戸図屏風」により確認できます。
( ゆかs・ume)
城域内は市街化が進み、本丸御殿また富士見櫓台以外に目立つ遺構は残存していない。しかし本丸御殿の近隣を注意して歩くと、本丸を囲む土塁や堀が道路の起伏などから確認できる。とくに本丸を囲む土塁はかなりの程度が踏査で確認できる。
( ume)
本丸御殿は、地元では「武徳殿」といった方が通りがよいそうだ。明治から比較的最近まで、武道館だったそうである。本丸御殿となりの「家老屋敷」は、10年前までは川越から離れた上福岡市内の個人のお宅だった。
( 市瀬俊一)
川越城には天守閣がない。その代わり「富士見櫓」があり、天守閣の代わりを果した。其の址は今でも本丸南方に残っている。また、本丸御殿の東にある「三芳野神社」は、童謡「通りゃんせ」の発祥地であるといわれている。歌の通り、参道が長く、天神様を祭っていて、城内に祭られているため、昔は一般のお参りは大変だったそうだ。
( 市瀬俊一)
別名「霧隠城」ともいう。城内に、「霧吹きの井戸」という井戸があり緊急時にその蓋を開くと、城を霧で隠したという伝説から。なお、この井戸は今は市立博物館の前庭にあるが、元は本丸御殿前の球場の脇にあった。移設の際、蓋を開いたが、霧は出なかったようである。
( 市瀬俊一)
入館料は大人100円。三館共通(川越市立博物館・川越市蔵作り資料館・川越城本丸御殿)で購入すると300円です。川越城本丸御殿に資料あり。
( Tuka)
この城は城跡という感じである。城郭は存在しないが川越城本丸御殿がある。街全体が古都という感じで道が狭い。あの金沢を彷彿させる。余談ですが本丸御殿は、高知城とここの二ヶ所だけ。
( Tuka)