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宇都宮城の歴史と見どころ

宇都宮城(うつのみやじょう)は、下野国一宮・宇都宮明神(現 二荒山神社)の社家としてこの地に下向した宇都宮氏の居館として始まった。祖とされる宗円は藤原道兼の孫・兼房の子と伝え、中央貴族の血を引く家系である。鎌倉時代には宇都宮惣検校として宗家の地位を確立し、館は田川西岸の台地上に営まれた。東を田川が流れ、その西を奥州街道が通じ、宿場や小田橋駅など交通の要衝に位置していた。 南北朝期から室町・戦国期にかけ、掘割の拡張や土塁の増築が進み、館は防御性を高めた城郭へと発展していった。

戦国期には宇都宮氏の本城として栄え、城下も形成された。 慶長2年(1597)、宇都宮国綱が豊臣秀吉の命により改易されると、以後は徳川政権下で譜代大名の居城となった。浅野長政・蒲生秀行の支配を経て、本多・奥平・松平・阿部・戸田氏らが入封し、いずれも奥平氏や本多氏の時代には15万石前後の要地を守った。

特に元和5〜8年(1619〜22)の本多正純の在城期に大規模な改修が行われ、三日月堀や大手馬出、外郭の拡張が実施された。これを、土砂を背負い籠(たがら)で運んだことから「たがら普請」といい、多数の農民が動員されたという。完成後の宇都宮城は、本丸・二の丸・三の丸・外郭の四郭構造で、堀を四重にめぐらせ、櫓八棟を備える堅固な城となった。

明治維新後、廃城・分割売却によって破壊が進み、市街地に姿を変えたが、近年になり復元整備が進められている。現在、宇都宮市は「宇都宮城址公園」として本丸の一部を発掘調査に基づき清明台と富士見櫓、土塁、堀の一部を復元し、歴史公園として整備している。

園内には歴史資料館「清明館」が設けられ、展示施設や城下町模型を通して、市民憩いの場として往時の姿を伝えている。 また、城跡南側では城下町遺構の発掘・保存も継続されており、都市景観と歴史の融合をめざす再整備が進められている。

宇都宮城の特徴と構造

宇都宮城は、宇都宮市中心部の台地上に築かれた平城で、本丸127m×127m・二の丸210m×210m・外郭約900m×850mから成る。四重の堀に囲まれた城郭は、櫓八棟を配し、主要門には桝形と土居を備えた堅牢な構造だった。

大手門には丸馬出(三日月堀)を設け、太鼓門や不明門を経て本丸に至る複雑な導線を構成している。城下は奥州・日光街道の分岐点に広がり、将軍の日光社参に際しての宿泊地としても機能した。現在は本丸土塁と櫓が復元され、当時の構造を偲ぶことができる。

前橋城、宇都宮城、川越城忍城は、関東4平城とされている。

参考文献:

  • 『日本城郭大系4』(新人物往来社)
  • 「宇都宮城址公園」宇都宮市Webサイト

宇都宮城の周辺史跡を訪ねて

二荒山神社。JR宇都宮駅から関東バスで5分。神社の歴史は古く、紀元は約1600年前。宇都宮の始祖、豊城入彦命を祀っている。神社が「下野一の宮」と呼ばれていたことが宇都宮の語源ともいわれ、宇都宮の歴史は、この神社とともに歩んできた。社宝は鉄の狛犬と兜で、どちらも国の重要文化財に指定されている。または、松が峰教会、大谷石建造物としては日本最大級のロマネスク様式、徒歩5分。
[STONE (1999.11.02)]
[大野幹夫 (2007.06.25)]

宇都宮城の周辺おすすめ名物料理

宇都宮といえば餃子!「来きらっせ(きらっせ)」餃子の複合店。城から北へ徒歩10分、二荒山神社前ラパーク地下。日替わりで6店舗の餃子が、3人で6皿とって味を比較しアジア宇野も楽しいがうまい。また、二荒山神社のそばに、餃子専門店「みんみん」の本店があり人気だとか。
[STONE (1999.11.02)]
[大野幹夫 (2007.06.25)]

宇都宮城観光のおすすめホテル

町中にいろいろある。節約派には「健康サウナ南大門」がおすすめ。ただし、週末はかなり混む。その他、ホテルはたくさんある。目的や予算に応じて自由に選べるぞ。城のすぐ近所には無いから、荷物を置くなら駅前のホテルが良いかも。
[御本丸公園 (1999.09.28)]
[大野幹夫 (2007.06.25)]

宇都宮城の観光情報・アクセス

所在地

住所:栃木県宇都宮市本丸町 [MAP] 県別一覧[栃木県]

電話028-632-2989(宇都宮市都市整備部公園管理課)

アクセス

鉄道利用

JR東北新幹線、東北本線、日光線、宇都宮駅下車、バス5分「市役所(平日のみ)」降車、徒歩7分。または「県庁前」降車、徒歩15分。100円バス「黄ぶな(きぶな)」に乗るとすぐ前で停まる。または、東武宇都宮駅下車、徒歩10分。

マイカー利用

東北自動車道、鹿沼ICから宇都宮方面へ約12km、旧4号線を横切り市役所の標識左折すぐ。市役所に無料駐車場有り。

宇都宮城:城ファンたちの記憶

実際に宇都宮城を訪れた城ファンの皆さまが綴る、印象に残った景色、人との出会い、歴史メモ、旅のハプニングなど、心に残る旅の記憶を共有しています(全9件)。

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    土塁の外側からだけは立派。でも一度中に入るとものすごいがっかりします。例えて言うと貧坊ちゃまの服。とりあえずガラス張りのエレベーターだけは絶対に駄目でしょ・・・中途半端な再現は止めたほうがいいという最大の答えがここにある。

    城好きの匿名希望)

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    2011年に宇都宮城の蓮池跡の発掘調査で出土した蓮が、460年ぶりに開花したそうだ。

    観光好き)

  • avatar

    宇都宮城は平城でもともと天守閣はなかった。本丸中心に城の一部が復元が進み・富士見櫓、清明大櫓、土塀などが完成、2007年3月25日にオープニングイベントが開催された。城の見所は少ないが、城の真北の町の中心地にそびえる二荒山神社まで足を伸ばすと面白い。

    大野幹夫)

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    発掘調査結果や資料に基づき、宇都宮城の一部が復元された。2つの櫓と付随する土塀と土塁と堀の復元。

    shirofan)

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    城跡からさらに北に車で日光街道を下ると「宇都宮動物園」があります。そこには何と!宇都宮城の模擬天守閣が存在します。動く吊り天井もあり、マニアの方にオススメです。(笑)

    かたい)

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    天慶3年(940)、藤原秀郷が下野押領使として館を構えたのが始まりと言われている。本格的な城郭は、康平6年(1063)、初代城主藤原宗円によって築かれる。

    STONE)

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    1999年9月現在、宇都宮市教育委員会で、御本丸公園の発掘調査をしています。市役所の近くに「大いちょう」という、ビルの高さくらいの巨木がそびえています。これは、かつての城の三の丸だった土塁(のなごり)の上に立っています。

    御本丸公園)

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    土塁が少々と公園ぐらいしか残ってませんが、終戦直後までは、堀が残っていたそうです。戦災復興の時に、市内の各地で異臭を放っていたゴミやがれきの捨て場にされてしまい、そのため現在の何とも情けない姿になってしまったようです。しかもそれは、当時の市役所主導で行われたらしいのです。宇都宮市はそのころの新聞に、「日本一早い復興」なんて書かれるくらい、急ピッチで戦災復興を進めていたのですが、その陰には、現在では信じられないような文化財の破壊があったそうです。終戦後の混乱もあり、仕方ない、といえばそれまでですが。

    御本丸公園)

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    歴史上「宇都宮つり天井」の城として徳川将軍暗殺のたくらみがあったとしてお取り潰しにあったので、城本体はもうありません。城あとの石垣あたりが御本丸公園としてのこっているのみです。目抜き通りの馬場通りに宇都宮つり天井に使われたという石がおいてありました(小生がすんでいた30年前の話です)。

    ロベルト)

城の情報

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