大河内城は応永22年(1415)に北畠満雅が築き、伊勢国司北畠氏の本拠となった城だ。坂内川と矢津川に挟まれた丘陵突端に築かれ、堀切と台状地が連なる堅固な構えを持つ。現在も本丸・二の丸などの遺構が残り、地形を活かした縄張を体感できる。このページでは大河内城の歴史と構造、見どころを紹介する。
写真:岡 泰行(城郭カメラマン)
大河内城の歴史・見どころ
大河内城(おおかわちじょう)は、応永年間に伊勢国司北畠満雅が築いた城で、弟の顕雅が入城して以後、その子孫が代々この地を本拠とした。『伊勢国司記略』によれば、北畠氏はこの城を拠点に「大河内御所」と称し、南伊勢支配の中心として機能させていた。阪内川と矢津川が交わる地に築かれたこの城は、自然地形を活かした堅固な防御性を備え、戦国期においても重要な拠点であった。
やがて戦国の動乱が深まると、北畠氏は織田信長の侵攻に直面する。永禄12年(1569)8月、信長は南伊勢へ進出し、北畠具教は本拠を大河内城へ移してこれに備えた。信長は城の東方の山に本陣を構え、周辺の集落を焼き払ったのち、木下藤吉郎・氏家卜全ら諸将を配置して包囲を固め、持久戦へと持ち込んだ。9月8日には搦手からの攻撃が試みられたが、雨により鉄砲の使用が困難となり、屈強の侍20余人が討死している。
翌9日には滝川一益の軍勢が国司館や農地を焼き払い、兵糧攻めの態勢を強化した。籠城は50日にもおよび、城内では餓死者が出るなど深刻な状況に陥る。こうしたなか、北畠具教は家督を信長の次男である茶筅丸(のちの信雄)に譲ることで和議が成立し、永禄12年(1569)10月4日、城は滝川一益・津田掃部に明け渡された。具教は大河内城を退去し「笠木坂ない」へと落ち、北畠氏の独立的な支配はここに終焉を迎えた。
その後、大河内城は北畠信雄の居城となったが、天正3年(1575)に信雄が度会郡の田丸城へ移ると、その役割を終えて廃城となった。約半世紀にわたり伊勢国司北畠氏の本拠として機能し、織田政権との攻防の舞台ともなった大河内城は、戦国期南伊勢の政治と軍事を象徴する存在といえる。
大河内城の特徴と構造
大河内城は、標高約110m余りの丘陵突端部に築かれた平山城で、規模はおよそ300m四方に及ぶ。東に阪内川、北に矢津川が流れ、南と西には深い谷が巡る地形で、自然の地勢そのものが防御線として機能している。
縄張は本丸を中心に構成され、北に大手口、南に搦手口を配し、西に西の丸、東に二の丸や御納戸、馬場などが配置される。中心部には本丸跡とされる約60×30mの台状地があり、堀切を隔てて二の丸と呼ばれる台地が続く。さらに東側には低地の平坦面が広がり、馬場跡と考えられている。
丘陵突端部の要所には複数の堀切と台状地が設けられ、防御を段階的に強化している点が特徴だ。また、周辺には脇谷城・立野城・岡ノ谷城といった関連する山城が配置され、谷筋を押さえる位置関係から、大河内城を中心とした防衛網を形成していたとみられている。




大河内城の整備状況
大河内城跡は昭和12年(1937)に県指定史跡となり、現在は本丸跡や二の丸跡、堀切、台状地などの遺構が良好に残されている。丘陵上には往時の地形が色濃く残り、城の規模や構造を現地で体感することができる。
近年では松阪市によって史跡としての保存と活用が図られ、大河内地区市民センター付近には駐車場や案内板が整備されている。登城口からは丘陵上へと続く道が整備され、来訪者が安全に遺構を巡ることができる環境が整えられている。
参考文献:
- 『日本城郭大系10』(新人物往来社)
- Webサイト「大河内城」(松阪市)
大河内城の撮影スポット・絶景ポイント
大河内城の写真集
城郭カメラマンが撮影した「お城めぐりFAN LIBRARY」には、大河内城の魅力を映す写真が並ぶ。事前に目にしておけば現地での発見が鮮やかになり、旅の余韻もいっそう深まる。
大河内城周辺の観光スポット・史跡めぐり
大河内城アクセス・駐車場・営業時間
所在地
住所:三重県松阪市大河内町 [地図を見る]
県別一覧:[三重県の城]
電話:0598-23-7771(松阪駅観光情報センター)
アクセス
鉄道利用
JR紀勢本線・近鉄山田線「松阪駅」から三重交通バス「道の駅飯高駅」「スメール」方面もしくは「柚原」行き「広坂バス停」降車、徒歩6分で搦手口。
マイカー利用
東名阪自動車道、松阪ICから南へ約12分(7.6km)。「大河内地区市民センター」を目指す。近辺に駐車場と案内板がある。
地図
大河内城:城ファンの知見と記録
大河内城を訪ねた人たちが残してきた記録です。現地での発見や知見が寄せられ、城歩きの文化の中で育まれてきた経験がここに蓄積されています(全2件)。
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公民館で大河内城のパンフをゲット。北城稲荷跡にて下馬。小道を入って行くとすぐに二の丸跡に着く。そこからお納戸跡のブッシュに飛び込んでも行けることを実証してしまいましたが、右手にちゃんとした道がありました。堀切の東側にまむし谷があり、堀底に降りるとき冬眠から覚めていないことを願っていましたが、この時期にヘビや熊はもう冬眠から覚めているんでしょうね。
記録:ナベ 2003
大河内にある公民館の前に大河内城の説明版があり、さらに公民館で簡単な資料がいただけます。二の丸、本丸とも神社となっていますが、本丸後ろには見事な堀が、雨がかなり降っていたので、あまり散策できませんでしたが。二の丸の裏手の馬場跡は雑木林となっています。
記録:長江@武蔵国 2002