勝連城の歴史・見どころ

勝連城(かつれんぐすく)は、沖縄本島中部、東海岸へ突き出した勝連半島の丘陵上に築かれたグスクだ。発掘調査の成果から、成立は十一〜十二世紀頃と考えられており、十三世紀頃には城塞としての体裁を整え始めたとみられている。標高約98mの一の郭からは、中城湾や知念半島、伊計島・浜比嘉島・久高島などを望むことができ、海上交通を見渡す立地にあった。

勝連城からは、中国陶磁器が大量に出土している。宋・元・明代の青磁や染付に加え、朝鮮系陶磁器、大和系瓦なども確認されており、勝連城が海外交易と深く結びついていたことを示している。さらに、オウムの骨や中国古銭なども見つかっており、広範な交易圏との関係もうかがえる。なかでも第四期とされる層では、瓦葺建物や元末〜明初の染付が大量に出土し、阿麻和利時代の最盛期を示す資料として知られる。

勝連城の名を全国的に知らしめた人物が、十五世紀中頃の城主・阿麻和利(あまわり)だ。阿麻和利は『おもろさうし』でも称えられた按司で、「勝連は大和の鎌倉にたとえられる」とうたわれるほど、その繁栄は際立っていた。口碑では、阿麻和利は北谷間切屋良の農民の子と伝えられ、機知によって勝連按司・茂知附按司を討ち、城主となったという逸話が残る。

阿麻和利は善政を行い、人々から支持を集めたと伝わる。一方、首里王府の正史では、護佐丸を滅ぼし、さらに首里城攻略を企てた野心家として描かれている。天順2年(1458)、阿麻和利は護佐丸討伐後に勢力を拡大したが、最終的には首里軍との戦いに敗れた。『球陽』には、王女を背負って首里へ逃れた大城賢勇の逸話や、首里軍による勝連攻めの様子が記されている。

阿麻和利敗北後も、勝連城は十五世紀末〜十六世紀頃まで継続して利用されたことが、二の郭周辺から出土した明代後半の陶磁器から明らかとなっている。しかし、その後は次第に城としての役割を終え、廃城となった。

昭和35年(1960)以降には本格的な発掘調査が行われ、一の郭では九層に及ぶ堆積層が確認された。グスク系土器や須恵器、中国陶磁器、古銭、鉄器などが出土し、勝連城の成立から繁栄までの過程が段階的に明らかとなっている。現在では、阿麻和利の伝承とともに、琉球の海上交易と繁栄を今に伝える代表的なグスクとして知られている。

勝連城の特徴と構造

勝連城は、勝連半島の丘陵上に築かれた連郭式のグスクだ。北西から南東へ一直線状に延びる琉球石灰岩の台地を利用し、一の郭・二の郭・三の郭・四の郭、さらに東郭を配している。全長は約140m、標高は最高部の一の郭で約98m、四の郭で約63mとなる。

特徴的なのは、北西と南東の両端が高く、中央部が低く落ち込む独特の地形だ。この姿から、地元では「唐船(とうせん)」にたとえられてきた。各郭は階段状に連なり、自然地形を巧みに取り込んだ構成となっている。

三の郭には四脚門跡が残り、発掘によって礎石配置が確認された。勝連城で唯一の木造門とされ、『おもろさうし』に詠まれた「太陽に向かって門を開ける」という情景との関係も指摘されている。また、南風原御門跡から三の郭へ至る石畳道も確認されており、往時の動線を今もたどることができる。

二の郭では、大規模な殿舎跡が発見されている。建物は桁行七間、梁間六間のベタ柱建物で、整然とした柱配置が特徴だ。三の郭はその前庭的空間として機能したと考えられている。さらに四の郭では五か所の井戸跡が確認されており、多くの人々が生活していた様子もうかがえる。

現在見られる城壁は、大正期以降の破壊を受けながらも、曲線を描く美しい石積みを残している。特に高低差を活かして重なる郭と石垣の連続は、沖縄のグスクの中でも印象的な景観といえる。

勝連城の全景
四の郭から見た三の郭。勝連城を訪れ最初に見る城の佇まいだ。
勝連城三の郭城門跡
四の郭から石畳道を上りつめたところに、内郭の門(四脚門・薬医門)があった。
勝連城三の郭城門のほぞ穴
三の郭城門跡には石垣に、四脚門の柱を入れていた、ほぞ穴が見られる。
勝連城二の郭全景
二の郭基壇上の舎殿跡礎石と広場。
勝連城二の郭基壇と舎殿跡
二の郭では正面約17m×奥行14.5mの舎殿跡が発見された。首里城正殿のように柱の多い構造だという。四隅に石灰岩による石積みが発見されたが、機能は判明していない。
勝連城一の郭と断崖
二の郭から一の郭とその断崖を見る。
勝連城一の郭と石垣
一の郭への登城から見る石垣。
勝連城一の郭階段
一の郭階段は、階段幅が上に行くにつれ狭くなる構造。
勝連城四の郭
整備された四の郭のカーブを描く城壁。

勝連城の整備状況

勝連城跡では、昭和52年(1977)から史跡環境整備事業が進められており、石積みの修復や園路整備、発掘調査が継続的に行われている。昭和35年(1960)の発掘開始以降、現在に至るまで調査は続いており、城壁構造や建物跡、石畳道などが段階的に明らかとなった。

近年は、世界遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の構成資産として保存整備が進められ、周辺には「あまわりパーク」も整備されている。園内では勝連城の歴史や阿麻和利に関する展示が行われ、ガイダンス施設として機能している。また、遊歩道や見学ルートも整備されており、各郭を歩きながら城の構造を体感できる。石垣修復も継続して行われており、現在も保存と調査が並行して進められている。

参考文献:

  • 『日本城郭大系1』(新人物往来社)
  • 『グスク探訪ガイド 沖縄・奄美の歴史文化遺産〈城〉』城郭資料(有限会社ボーダーインク2002)
  • Webサイト「勝連城跡」(あまわりパーク管理事務所)

勝連城周辺の観光スポット・史跡めぐり

あまわりパーク

あまわりパークは、勝連城跡の麓に整備された歴史文化施設で、世界遺産・勝連城をより深く知るための拠点となっている。園内には、阿麻和利や琉球王国の歴史を紹介する展示室が設けられ、発掘調査で出土した資料や映像展示などを通して、勝連城の成り立ちや交易の歴史を学ぶことができる。

勝連城アクセス・駐車場・営業時間

所在地

住所:沖縄県うるま市勝連南風原 [地図を見る]

県別一覧:[沖縄県の城]

電話098-978-2033(あまわりパーク管理事務所)

アクセス

那覇バスターミナルから27バス100分、「西原」降車、徒歩10分。行く際には要注意、バスは1日1本ほどなので、できればタクシーで往復を。

マイカー利用

沖縄自動車道、沖縄北城ICから、東へ26分(9.6km)、有料駐車場(20台)有り。

地図