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勝賀城の歴史と見どころ
2023年7月、勝賀城跡保存会のWebサイトが解説された。勝賀城跡保存会は、1981年に発足した中世讃岐の豪族香西氏の勝賀城跡や藤尾城など史跡保存する会。山城の登山道の整備や情報発信を行っている。
勝賀城のアクセス・所在地
【監修者プロフィール】
岡 泰行 | 城郭カメラマン [プロフィール]
1996年よりWebサイト「お城めぐりFAN」を運営し、日本の城郭をめぐる旅をライフワークとする。長年にわたる豊富な経験と、城郭写真家としての専門的な視点から、当サイトの記事を監修。その写真と知見は、数々の書籍やメディアでも高く評価されている。
勝賀城:城ファンたちの記憶
実際に勝賀城を訪れた城ファンの皆さまが綴る、印象に残った景色、人との出会い、歴史メモ、旅のハプニングなど、心に残る旅の記憶を共有しています(全3件)。
香西氏の本城。勝賀山の麓まで行き、登城口の案内が御座りましたので鉄馬にて上り始めて御座りまするが、山麓のみかん畑の為に作られた細い道に御座りました。そして遂に道が途絶え、上を見ると山上ははるか彼方。時計を見ると既に11時半。結局此処までで攻城を断念致しまして御座りまする。
( まつかぜ)
2005年11月現在、良好の保存状態だと言えます。城跡は頂上部に東西に渡って長細い土塁で覆われ、本丸跡・二の丸跡・三の丸跡を確認できます。虎口は本丸跡から二ヶ所あり、一つは喰い違いとなり二の丸に続き、虎口上の土塁は歩行するに十分な広さで、櫓が設けられていたと想像できます。もう一方は本丸から三の丸に通じるもので、これは大手門に相当とされています。登山口はやや難解で、麓は多くのミカン畑に囲まれていますが、鬼無駅側、佐料方面から登るのがベストでしょう。1980年高松市指定史跡。1981年勝賀城跡保存会設立。
( Kazu)
勝賀城といい中世山城(標高364.1m)の典型でまわりには沢山の支城があります。登山口が2、3個所ありますが、険しくてほとんど進入不可能かなと思えるぐらいです(それなりの装備をしていけば別だが)。したがって、以前何回か調査の手は入ったようですが、ほとんど手付かずで遺構が残っているものと思います。ということで私自身も途中までしか登ったことがありません。だれか挑戦してみてください。
( 青海の王)