写真:岡 泰行
住所:愛媛県四国中央市川之江町1087-4 [MAP] 県別一覧[愛媛県]
JR予讃線、川之江駅下車、西へ徒歩17分。
松山自動車道、三島川之江ICから、北へ約13分(5.3km)。城山公園駐車場を利用する。
JRで高松から今治に向かう途中、川之江駅で突如として天守閣が現れたので飛び降りた。昭和61年に城址公園整備事業の一環として復興されたものだった。門、櫓、塀も復興されている。但し、史実とは関係ないようだ。受付けのおばさんは親切で、重い荷物を預かってくれた。
( 石川造酒正)さんより
南北朝動乱の頃(約650年前)南朝方、河野氏の砦として、土肥義昌が延元二年(1337)鷲尾山(城山)に川之江城を築いた。細川氏、長曾我部氏の領有後、天正十三年(1585)豊臣秀吉の四国平定に破れ、小早川、福島、池田、小川と目まぐるしく領主が替り、加藤嘉明の時、最終的に廃城になった。戦国の世も終わった寛永十三年(1636)—柳直家が川之江藩28,600石の領主になり、城山に城を築こうとしたが、寛永十九年(1642)病没。領地は没収されて幕領となり、明治に至った。
川之江城の復興天守のある東側には、当時の石垣が残っているから要チェック。
( shirofan)さんより
川之江にいくと、なにやら独特の臭いを感じる。これは、紙の工場が多いためで、アメリカ・カナダなどからパルプや木を輸入し、紙を作っている。川之江町には「紙のまち資料館」もある。
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( 石川造酒正)さんより
南北朝動乱の頃(約650年前)南朝方、河野氏の砦として、土肥義昌が延元二年(1337)鷲尾山(城山)に川之江城を築いた。細川氏、長曾我部氏の領有後、天正十三年(1585)豊臣秀吉の四国平定に破れ、小早川、福島、池田、小川と目まぐるしく領主が替り、加藤嘉明の時、最終的に廃城になった。戦国の世も終わった寛永十三年(1636)—柳直家が川之江藩28,600石の領主になり、城山に城を築こうとしたが、寛永十九年(1642)病没。領地は没収されて幕領となり、明治に至った。
( 石川造酒正)さんより
川之江城の復興天守のある東側には、当時の石垣が残っているから要チェック。
( shirofan)さんより
川之江にいくと、なにやら独特の臭いを感じる。これは、紙の工場が多いためで、アメリカ・カナダなどからパルプや木を輸入し、紙を作っている。川之江町には「紙のまち資料館」もある。
( shirofan)さんより