合戦東軍西軍どちら派 三成派(1021票)
家康派(528票)
戦国武将人気ランキング 1位 大谷吉継(167票)
2位 島津義弘(105票)
3位 真田幸村(101票)
4位 島左近(90票)
5位 小早川秀秋(82票)
別所 長冶 さんからのご投稿(2011.10.30)

三成派 関西人だから

毛利輝元

真田丸 さんからのご投稿(2010.08.18)

三成派 ただ単に家康(タヌキ)が嫌いだから。

毛利輝元 なんかとても減封されて可愛そうだから。

児玉就英 さんからのご投稿(2009.09.06)

三成派 家康は、大嫌いーーーー

毛利輝元 先祖の児玉就英の殿様だからー

小豆 さんからのご投稿(2008.11.19)

三成派 彼の性格のせいで西軍が負けたとか言われてますが、彼は多分感情表現がただ苦手なだけなんですよ。
家康もいいですが、最後まで諦めなかった三成に一票!

毛利輝元 吉川を何とか説得して西軍に味方してほしかったですねぇ…。

シャア専用 さんからのご投稿(2008.06.10)

家康派 なかなかの策士だからだな・・
ザクとは違うのだよ!!

毛利輝元 徳川を滅ぼしたから
ヘルメットがなければ即死だった・・

河内守貴宏 さんからのご投稿(2008.04.29)

三成派 三成が勝った場合の歴史を見てみたい。
ただそれだけ

毛利輝元 毛利の本隊率いて関ヶ原に現われたら面白そう。しかも中盤で。

ゼロ さんからのご投稿(2007.08.04)

家康派 家康は我慢し続けていたから

毛利輝元 もう少しやる気を出せば・・・

はげ さんからのご投稿(2007.07.08)

三成派 淀様の味方

毛利輝元 毛利水軍

俺様 さんからのご投稿(2007.04.21)

三成派 豊臣家からの大恩を家康は仇で返した。

毛利輝元 毛利家が好きだから。輝元が大阪城の全兵力を率いて出陣していれば西軍は勝てたと思う。

大和で義に生きてます さんからのご投稿(2006.11.25)

三成派 三成ほどの忠義者は現在いるか?ただ豊臣のため忠義を尽くした。東軍についた奴、利に群がるハイエナめ!あの世で三成に土下座しろ!

毛利輝元 優柔不断にもほどあるやろ・・・

安芸の国の素浪人 さんからのご投稿(2006.10.03)

家康派 辛抱の人だから(ガキのころは秀吉好きで豊臣家を滅ぼしたので嫌いだったが、歳とともに秀吉の実態を知り逆に家康が好きになった。また、家康公には申し訳ないが、辛抱人なところが自分に似てる感じだからかな)

毛利輝元 この馬鹿たれが大阪城から出ていたら歴史が変わっていただろうから。
どうやら、父方の祖母の先祖が仕えていたようなので

ごっち さんからのご投稿(2006.03.13)

家康派 なんだかんだ言っても、「300年」ってスゴくね?

毛利輝元 三成じゃなくて輝元公が表に出ていれば...と、広島県民のワシは妄想。

犬 さんからのご投稿(2005.11.13)

三成派 家康が、嫌いだから。

毛利輝元 戦に参加していないから。

つとむ さんからのご投稿(2005.10.01)

三成派 勝ってればもしかしたら広島が首都になってたかも知れないから

毛利輝元 毛利は広島の誇りである

敦子 さんからのご投稿(2003.06.27)

家康派 家康は、頭もイイから。そして、ほととぎすの俳句で「鳴かぬなら 鳴くまでまとう ほととぎす」とあるように、我慢強いから。後、三成はなぜか好きになれないし・・・。

毛利輝元 なんとなく。

武蔵大納言 さんからのご投稿(2003.03.26)

家康派 戦国に正義も何も無い。そんなものを気にしていたら、滅びるのは当然だ。

毛利輝元 関ヶ原の最大のキーマン

クニー さんからのご投稿(2003.03.19)

三成派 徳川家康に正義は無い。(やり方が汚すぎる。)

毛利輝元 彼と豊臣秀頼を関が原に連れて来れなかったのが最大の敗因。

西条喜行強鷹 さんからのご投稿(2003.02.12)

三成派 豊臣氏が好きだから

毛利輝元

どらねこ さんからのご投稿(2002.12.29)

家康派 我が地元垂井町側に陣をはる家康殿じゃ。しかし毛利がわしの学校に陣を敷いている・・我が地元の竹中氏も東軍じゃ〜

毛利輝元 自分の学校に陣を敷いているから、行動に謎が多いから。

人情の佐吉! さんからのご投稿(2002.12.22)

三成派 三成って、よく冷たぁーい人間みたいに描かれがちだが、ほんとは、とてもあったかい人だと思う。100歩ゆずって、冷淡だったり横柄だったりキツイ性格だったとしても、それはあくまで自身と同じような立場の武士・政治にたずさわるごく一部の為政者に対してのみの態度。日本に暮らす大多数の民衆に対しては、優しい政治をほどこさねばと、日夜、三成は心を砕いていたであろう。 戦国武将でありながら「政治家は公僕」という、おのれに厳しい姿勢をつらぬき、あるいはひょっとすると「民主主義」という概念にまで到達しかかっていたのでは?(武将でありながら!)とさえ思えるほど三成は時代をはるか先取りした、我が国屈指の偉人である。(先取りしすぎて他の多くの武将たちがついて来れなかっただけだ。) 今のすべての政治家たちは、三成を師とすべし!

毛利輝元 大阪城にとどまらずに、やはり、美濃まで出て来て欲しかった。  おのれ自身の運をさらに開く為にも・・・・。 輝元は萩に移された後、きっと、関ヶ原に向かわなかった事を非常に後悔しただろう。  先に述べた三成の件だが、「主君からもらった給料は公(おおやけ)のためなら惜しみなく使うべきである。 カネを貯め込み過ぎるのは、給料どろぼうである。」と三成が常々述べている点や、関ヶ原後に攻略された佐和山城の内部が、とても質素で、大名の城の中とは思えないほど粗末であったことからも、三成がひたすら滅私奉公の人で、私腹を肥やそうという邪心などなかったことが明らかである。 やはり、「民主主義」の観念までは持ってなかったにしても、少なくとも「為政者は公僕」という観念は持っていたと容易に想像できる。

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