富岡城
熊本県天草郡苓北町富岡字本丸
 

 
写真:岡 泰行
 
写真:林田 公範
 
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  • 本丸をはじめ二の丸など発掘調査の成果を踏まえての石垣、櫓の復元工事が行われており、2005年2月現在、ふもとから登城することができない。4月23・24日にオープニングイベントが予定されており、その後一般公開される予定。
    [半兵衛 (05.02.14)]

  • 城跡の麓にあり、防御を高めるために造られた百間土手と呼ばれる付近から城山の頂きを見上げると立派な石垣が見受けられ壮観。この百間土手で仕切られている池が内堀にあたる。
    [林田公範 E-mail:hayashida@shirofan.com (99.11.24)]

  • 肥後天草でありながら肥前唐津の寺沢氏の領地だったそうであるが、天草統治のために築いたこの富岡城は唐津城と周りの景観や縄張りが似ているように思えるのは気のせいか?
    [林田公範 E-mail:hayashida@shirofan.com (99.11.24)]

  • 高浜村の庄屋、上田家は、真田の根津氏が大阪の陣のあと、この地に流れ着き地元の上田を名字としたそうな。
    [右近 (02.11.26)]

  • 天草では「島原の乱」と言わず「天草・島原の乱」と言うそうな。
    [右近 (02.11.26)]

  • 天草各地には「千人塚」と呼ばれる乱の供養塔があるが「富岡吉利支丹供養碑」は、富岡城の麓にある。寛永14年(1637)の天草・島原の乱で討死した一揆軍の首三千余りが葬られ、正保4年(1647)に富岡の代官、鈴木重成の手によって供養碑が建てられ霊を慰めたそうな。余談だがその供養塔は、原城の供養塔と一対になっているとか。梵字で片方は「マン」もう一方は「タン」となっているそうな。
    [右近・夏 (02.11.26)]

  • 歴史:慶長6年2月に天草は肥前唐津城主寺沢広高の領地となり、天草統治の拠点として富岡の地に築城し代官を置き支配した。寛永14年(1637)10月25日、幕府を震憾させた天草島原の乱勃発し、乱の鎮圧にあたった富岡城番代の三宅籐兵衛は討死し、富岡城も一揆勢から攻撃を受けた。
    [林田公範 E-mail:hayashida@shirofan.com (99.11.24)]

  • 交通[鉄道] JR鹿児島本線、熊本駅下車の熊本交通センターからバス150分「本渡バスセンター」で産交バスに乗り換え、富岡港行バス約50分終点「富岡港」降車、徒歩20分。また、本渡バスセンターまでは、島原、熊本、長崎からのフェリー利用、本渡港から徒歩15分で本渡バスセンター。本渡港へは熊本港からフェリーで1時間、長崎の茂木港からも出ている。または、島鉄フェリー鬼池港より車で15分。
    [自動車] 無料駐車場(50台)有り。ほぼ山頂まで車で上がることができる。
    [林田公範 E-mail:hayashida@shirofan.com (99.11.24)]

  • 歴史スポット小西配下の軍勢と加藤清正らが戦った古戦場址に面白くも怖い仏木坂古戦場跡(本渡市までの広域農道上にある)。もっとも近い城では志岐城。また、富岡城の麓には、城の構造が見られる鎮道寺(勝海舟の落書きあり。落書きを見るには予約が必要)、鈴木重成像、富岡吉利支丹供養碑がある。
    [林田公範 E-mail:hayashida@shirofan.com (99.11.24)]

  • 富岡城のことをもっと詳しく知りたい人はこちら→[富岡城(熊本県苓北町)]

 
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