写真:林田公範・岡 泰行
志岐城の周辺史跡を訪ねて
志岐城のアクセス・所在地
【監修者プロフィール】
岡 泰行 | 城郭カメラマン [プロフィール]
1996年よりWebサイト「お城めぐりFAN」を運営し、日本の城郭をめぐる旅をライフワークとする。長年にわたる豊富な経験と、城郭写真家としての専門的な視点から、当サイトの記事を監修。その写真と知見は、数々の書籍やメディアでも高く評価されている。
1996年よりWebサイト「お城めぐりFAN」を運営し、日本の城郭をめぐる旅をライフワークとする。長年にわたる豊富な経験と、城郭写真家としての専門的な視点から、当サイトの記事を監修。その写真と知見は、数々の書籍やメディアでも高く評価されている。
志岐城:城ファンたちの記憶
実際に志岐城を訪れた城ファンの皆さまが綴る、印象に残った景色、人との出会い、歴史メモ、旅のハプニングなど、心に残る旅の記憶を共有しています(全3件)。

昨年、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が、世界文化遺産に登録されました。天草の﨑津集落がその構成資産の一つとなっており、多くの方が天草に訪れています。
永禄9年(1566)、志岐麟泉が天草で最初にキリスト教を受け入れ、その後、志岐氏時代及び小西行長時代を通じて、キリシタン文化が花開きました。
現在、志岐城の麓には「トルレス神父の記念広場」が整備され、発掘調査で出土した陶磁器の破片や調査結果などは、富岡城二の丸にある歴史資料館で展示されています。
*トルレス神父
フランシスコ・ザビエルとともに来日し、ザビエルが日本を去った後は、2代目布教長となった。志岐で2回の宣教師会議を開催し、元亀元年(1570)志岐で昇天(洗礼を授けた者3万人、創立した教会50か所といわれる)。
( 嶺上開花)
菊池氏一族の志岐光弘がこの地方の地頭となり築城したといわれている。小西行長の宇土城普請に際して志岐麟泉ら天草5人衆は、小西氏、加藤氏らに攻められ麟泉は薩摩出水に退き城は廃城となる。
( 林田公範)
城山山頂部の本丸付近まで狭い車道があり、行き止まりになっているあたりが二の丸、本丸は天草五人衆の一人でここの城主であった志岐麟泉を祀る神社がある。曲輪のほか僅かに土塁、礎石の痕跡が確認される。
( 林田公範)