写真:泉 幸輔・岡 泰行
本渡城の歴史と見どころ
天草の歴史をくまなく知るにはこれ。本渡市教育委員会発行の「天草の歴史」天草切支丹館で1,800円で購入できる。
天草と切支丹の歴史をもっと詳しく知りたい人は、下記URLを参照すべし。
本渡城の周辺史跡を訪ねて
肥後益城の赤井城主だった、木山弾正が本渡城客将としてこの城にいた。天正17年(1589)に仏木坂で清正と一騎討ちして討たれたそうな。弾正の首は志岐城下に、遺骸は本渡城の二の丸(現、明徳寺の墓地)に葬られている。この墓と仏木坂古戦場跡をセットでどうぞ。仏木坂古戦場跡は車で富岡城方面への広域農道上で約20分。坂の途中に碑が建つ。
本渡城のアクセス・所在地
【監修者プロフィール】
岡 泰行 | 城郭カメラマン [プロフィール]
1996年よりWebサイト「お城めぐりFAN」を運営し、日本の城郭をめぐる旅をライフワークとする。長年にわたる豊富な経験と、城郭写真家としての専門的な視点から、当サイトの記事を監修。その写真と知見は、数々の書籍やメディアでも高く評価されている。
1996年よりWebサイト「お城めぐりFAN」を運営し、日本の城郭をめぐる旅をライフワークとする。長年にわたる豊富な経験と、城郭写真家としての専門的な視点から、当サイトの記事を監修。その写真と知見は、数々の書籍やメディアでも高く評価されている。
本渡城:城ファンたちの記憶
実際に本渡城を訪れた城ファンの皆さまが綴る、印象に残った景色、人との出会い、歴史メモ、旅のハプニングなど、心に残る旅の記憶を共有しています(全2件)。

明徳寺は、乱後、天草を治めた鈴木重成が建てたもの。一度倒壊したが文化5年(1808)の再建の山門、参道の入口には「異人地蔵」と呼ばれている外人風の地蔵がある。また、この参道、石の階段に十字の彫り物がされている。踏み絵と同じく十字架を踏みながら明徳寺に登るかたちになっている。今では風雨と人の往来で石はかなり丸みを帯び、十字架の刻印が見付けにくいが、探してみてはいかが?
( 長崎観光おすすめ隊)
本丸跡に天草切支丹館。出丸跡に殉教戦千人塚、二の丸跡に明徳寺が建つ。現在は公園化されており、いわゆる城の面影はその削平地から想像するしか無いが、その天草切支丹館は、切支丹関連の資料館では他に類を見ないほど見応えのあるもの。本渡城の絵図も展示されている。
( 光秀)