/
本渡城は、天草氏の拠点として中世に築かれ、天正17年(1589)の天草合戦で落城した城である。天草下島中央の丘陵先端に位置し、尾根筋に曲輪が連なる山城である。現在も本丸や堀切などの遺構が残り、起伏に富んだ地形とともに城の姿を伝えている。このページでは、本渡城の歴史と構造、見どころを写真とともに紹介する。
写真:泉 幸輔・岡 泰行
本渡城の歴史・見どころ
本渡城(ほんどじょう)は、天草下島中央部の本渡平野に面した丘陵先端に築かれた中世城郭で、天草氏の勢力と深く関わる拠点であった。本渡の地名は貞永2年(1233)の史料に見え、この頃すでに天草種有が地頭として支配していたことが知られる。中世を通じてこの地域は天草氏と志岐氏の境目にあたり、正和2年(1313)、建武4年(1337)、応永6年(1399)など、たびたび支配権が移動している。こうした緊張関係の中で、城郭としての本渡城が整えられていったとみられる。
戦国期に入ると、天草五人衆の一角として天草氏は勢力を拡大し、島内の覇権をめぐる争いを繰り返した。天文・永禄期には天草尚種が周辺諸氏と対立・和同を繰り返し、のちに鎮尚・久種の代には島津氏との関係を強めた。享禄から天文年間(1528〜1555)頃には天草弾正行盛が在城したとされ、永禄8年(1565)には栖本・志岐・有馬・出水による攻撃の記録も残る。本渡城は、こうした抗争の焦点となる拠点であったといえる。
さらに天正年間(1573〜1592)には、天草氏は島津氏との関係を強めつつ勢力を維持していたが、豊臣政権の九州統一により状況は大きく変わる。天正15年(1587)に天草五人衆は所領を安堵されたものの、その後の宇土城普請命令を拒否したことが発端となり、天正17年(1589)、天正天草合戦が勃発した。
この合戦において本渡城は主戦場となり、天草伊豆守種元が籠城して抗戦した。城内にはキリシタンも多く籠もり、イエズス会の記録にもその様子が詳しく記されている。戦いは激烈を極めたが、最終的に城は落城し、種元をはじめ多くの兵が討たれた。天草氏の勢力はここで事実上終焉を迎える。
本渡城の戦いは、在地勢力の最後の抵抗であると同時に、キリシタン史の側面からも重要な意味を持つ。地方の一城に刻まれた出来事は、戦国の終幕を象徴する一場面でもあった。
本渡城の特徴と構造
本渡城は、天草下島中央部の平野に突き出す丘陵端に築かれた山城で、最高所は標高約77mに達する。城域は尾根筋に沿って約2.5kmに及び、本丸(権現山)・二の丸・出丸などの曲輪が連続する構成となる。
主郭にあたる本丸は山頂部に位置し、13m×7.5mほどの削平地である。周囲には段状の曲輪が展開し、斜面は急峻に削られて防御性を高めている。尾根上には「城内馬場(馬責め場)」と呼ばれる細長い平坦地が続き、通路状の防御ラインを形成している点が特徴的だ。
また、尾根の分岐部には堀切が設けられ、敵の進入を遮断する構造が確認されている。特に「矢繰場」と呼ばれる丘陵部への尾根筋には、浅めの堀切が現認できる。一方で、広い範囲に曲輪が展開するものの、全体としては自然地形を巧みに利用した縄張りで、人工的な改変は限定的である。こうした構造は、同時期の九州の山城と共通する特徴を示している。
本渡城の整備状況
本渡城は天正17年(1589)の落城後、城郭としての機能を失い、近世には利用されることなく自然の山林へと戻った。近代以降は一部が開発され、昭和30〜40年代の道路整備や施設建設に伴い地形の改変も行われているが、主要な尾根筋には曲輪や切岸などの遺構が残されている。
近年は天草市による調査が進められ『天草市文化財調査報告書 本渡城跡』に基づく発掘により、16世紀の焼土面や土師器・貿易陶磁などが確認された。城跡の一部は公園として整備され、「千人塚」や「天草キリシタン館」など関連施設とともに歴史を伝えている。現地を歩けば、起伏に富んだ地形の中に中世城郭の痕跡を読み取ることができる。
参考文献:
- 『日本城郭大系18』(新人物往来社)
- 『天草市文化財調査報告書 本渡城跡』(2010天草市教育委員会)
本渡城の撮影スポット・絶景ポイント
本渡城の写真集
城郭カメラマンが撮影した「お城めぐりFAN LIBRARY」には、本渡城の魅力を映す写真が並ぶ。事前に目にしておけば現地での発見が鮮やかになり、旅の余韻もいっそう深まる。
本渡城周辺の観光スポット・史跡めぐり
肥後益城の赤井城主だった、木山弾正が本渡城客将としてこの城にいた。天正17年(1589)に仏木坂で清正と一騎討ちして討たれたそうな。弾正の首は志岐城下に、遺骸は本渡城の二の丸(現、明徳寺の墓地)に葬られている。この墓と仏木坂古戦場跡をセットでどうぞ。仏木坂古戦場跡は車で富岡城方面への広域農道上で約20分。坂の途中に碑が建つ。
本渡城アクセス・駐車場・営業時間
所在地
住所:熊本県天草市本渡町
県別一覧:[熊本県]
アクセス
鉄道利用
JR鹿児島本線、熊本駅下車、熊本交通センターからバス150分「本渡バスセンター」降車、タクシー10分。または、島原鉄道、口之津駅下車、口之津港からフェリー30分鬼池港下船、車30分で本渡城(殉教公園)。 または、熊本港からフェリー75分、本渡港下船、車10分。飛行機利用だと、福岡空港から35分、熊本空港からは20分、天草空港から車15分。
マイカー利用
九州自動車道、松橋ICから国道266号、国道324号、殉教公園を目指す。
本渡城をより深く学ぶ展示・資料館・学習スポット
天草の歴史をくまなく知るにはこれ。本渡市教育委員会発行の「天草の歴史」天草切支丹館で1,800円で購入できる。
本渡城:城ファンの知見と記録
本渡城を訪ねた人たちが残してきた記録です。現地での発見や知見が寄せられ、城歩きの文化の中で育まれてきた経験がここに蓄積されています(全2件)。







明徳寺は、乱後、天草を治めた鈴木重成が建てたもの。一度倒壊したが文化5年(1808)の再建の山門、参道の入口には「異人地蔵」と呼ばれている外人風の地蔵がある。また、この参道、石の階段に十字の彫り物がされている。踏み絵と同じく十字架を踏みながら明徳寺に登るかたちになっている。今では風雨と人の往来で石はかなり丸みを帯び、十字架の刻印が見付けにくいが、探してみてはいかが?
本丸跡に天草切支丹館。出丸跡に殉教戦千人塚、二の丸跡に明徳寺が建つ。現在は公園化されており、いわゆる城の面影はその削平地から想像するしか無いが、その天草切支丹館は、切支丹関連の資料館では他に類を見ないほど見応えのあるもの。本渡城の絵図も展示されている。