写真:岡 泰行

原城の歴史と見どころ

原城の別名は、読みを表す

原城は、別名を「志自岐原城」または「春城」という。「原」は九州では「ハル」や「バル」と読むことが多く、志自岐原城は「しじきばるじょう」と読む。「志自岐」とは繁木のことで、文字通り木が繁っていたことを意味している。

また、「原」は野原の意味ではなく当字と言われ、春の城ともいう。当時の読みを知るのに宣教師の記録などから「はるのじやう」と発音されていたらしい。こうなると、原城や春城と書いて「はるのじょう」となる。

原城の整備計画とは

平成23年、『史跡原城跡整備基本計画』が発表され、今後、約20年をかけて段階的に整備される。南島原市のWebサイトで100ページにも及ぶ内容がPDFにて公開されている。そのほか、『原城跡 ガイドマップ – 長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産』(長崎県世界遺産登録推進課)もPDFにて閲覧できるぞ。

原城の関連史跡

本丸からは日野江城が目と鼻の先に望めます。島原城も近い。

有馬キリシタン遺産記念館、平成26年にオープン

「有馬キリシタン遺産記念館(旧原城文化センター)」へどうぞ。発掘で出土した人骨のレプリカや大砲の弾などが展示されている(南島原市南有馬町乙1395)。

原城のおすすめ旅グルメ

「喜作」肥前名護屋から取り寄せのイカとフグがうまい。島原の郷土料理「具雑煮」定食(1,300円)も。具雑煮は原城での篭城食と言われ、本来は雑草など食べられるものはなんでも入っていたらしい。これも出汁がきいておいしい。 [林田公範(1999.11.04)]

原城のアクセス・所在地

所在地

住所:長崎県南島原市南有馬町乙 [MAP] 県別一覧[長崎県]

アクセス

鉄道利用

JR諫早駅から、島原バス「口之津」行、約1時間30分、終点乗り換え、島原駅前行、約15分、原城前下車、徒歩10分。

マイカー利用

無料駐車場有り。乗用車20台。

城ファンの気になるところ (6)

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    建築物としての遺稿らしいものはありませんが、城跡は公園(空き地と言ってもよい)と畠しかなく、城としての形がたいへんよく残っています。

    ( よーすけ)

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    城跡のところどころに城の図と、島原の乱の陣立ての図があるので自分の立っている場所がどんなところかわかります。

    ( よーすけ)

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    原城にある「ほねかみ地蔵」は「骨を噛み締める」の意で、相手の痛みを知るとか救済の意味があるなどと、地蔵の横に書かれています。でも本当は「骨髪」でしょう。島原の乱のあと、死体は長い間放置されたままだったといいます。髪がこびりついた白骨などがあちこちにあったのでしょう。そう解釈するほうが自然だし、凄みがあると、司馬遼太郎さんの「街道を行く」にも載っています。

    ( 誠士)

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    本丸の各所から石垣が発掘により出現しているが、どの石垣も上部またはコーナー部分が崩され、再利用されないよう破城の扱いを受けたことが分かる。

    ( 半兵衛)

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    島原の乱は、宮本武蔵にとって最後の合戦だった。剣を振るう間もなく籠城側が原城から落とされた石が足にあたり、武蔵は動けなくなってしまったそうな。武蔵の息子、宮本伊織は、手柄をあげ明石藩小笠原家の家老に上りつめた。

    ( 宮本武蔵)

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    世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産として登録を受けてから、にわかに脚光を浴びている原城跡。
    現在、本丸までのマイカー乗り入れはできなくなっており、大手口近く(原城温泉真砂のある辺り)からシャトルバスが運行されている。とはいえ、大した距離でもないので、ゆっくりあたりの風景を見ながら思いを馳せて歩くのがオススメだ。

    事前にスマホやipadなどにアプリをダウンロードしておけば、本丸の要所要所で一揆当時や築城時のVRを楽しめるといった趣向もある。本丸の観光案内所にて端末の貸し出しも行っているので、それを利用するのも良い。

    ( 林田公範)

城の情報

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