写真・監修:岡 泰行/城郭カメラマン
福原城(佐用城)の周辺史跡を訪ねて
福原城(佐用城)の周辺おすすめ名物料理
北へ7km、利神城の麓、道の駅「宿場町ひらふく」までどうぞ。ご当地ものは「自然薯」「獅子肉」「丹波黒枝豆」など。「獅子肉」は獅子肉コロッケなるものが道の駅で150円で売っているぞ。また、毎年10月第2週あたりになると「丹波黒枝豆」の収穫時期。肉厚で味わい深い丹波黒は、道ばたで販売していることがある。
福原城(佐用城)のアクセス・所在地
【監修者プロフィール】
岡 泰行 | 城郭カメラマン [プロフィール]
1996年よりWebサイト「お城めぐりFAN」を運営し、日本の城郭をめぐる旅をライフワークとする。長年にわたる豊富な経験と、城郭写真家としての専門的な視点から、当サイトの記事を監修。その写真と知見は、数々の書籍やメディアでも高く評価されている。
1996年よりWebサイト「お城めぐりFAN」を運営し、日本の城郭をめぐる旅をライフワークとする。長年にわたる豊富な経験と、城郭写真家としての専門的な視点から、当サイトの記事を監修。その写真と知見は、数々の書籍やメディアでも高く評価されている。
福原城(佐用城):城ファンたちの記憶
実際に福原城(佐用城)を訪れた城ファンの皆さまが綴る、印象に残った景色、人との出会い、歴史メモ、旅のハプニングなど、心に残る旅の記憶を共有しています(全3件)。

福原城(佐用城)跡は、周囲の田んぼに切岸らしき跡と、堀切と思われる道路が残っている。小規模な平山城なので、攻略時間は15分といったところ。
( shirofan)
竹中半兵衛と小寺官兵衛が、秀吉の命により攻め落城。福原城跡には、福原城主を祀った福原霊社がある。福原氏は赤松三十六衆のうちのひとり。
( shirofan)
中世に築かれた代表的な「平山城」で、南面に川、後背に山の「城堅固」の立地で、空堀、防塁、馬落としなどよくその原型をとどめている。
元弘3年(1331)4月28日、淀の久我畷(くがなわて)の戦いにおいて鎌倉方の総大将名越尾張守高家(なこえおわりのかみたかいえ)をただ一箭に討ち取った佐用兵庫介範家(さようひょうごのすけのりいえ)の築城と伝えられ、その後、赤松三十六家衆のうちの福原氏(ふくはらし)がこの城を継いだので、福原城とも言われている。
戦国時代末期、東西の勢力拮抗の狭間で、西の上月城、南の高倉城、東の利神城とともに赤松一統の城郭群を形成していたが、天正5年(1577)11月、上方勢の羽柴秀吉との攻防により落城しその役割を終えた。
後世、土地の人々によって、時の城主福原藤馬允則尚(ふくはらとうまのじょうのりなお)の首級を祀るため城跡に一社が造営され、「福原霊社(俗に頭(こうべ)様)」として今に広く崇敬されている。
( 黒田官兵衛)