足利氏館は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて足利義兼が築いた居館で、のちに足利氏の本拠として栄えた。鑁阿寺の境内に残る館跡は、堀と土塁で囲まれた方形の単郭平地館で、平安末期の武士館の姿をよく伝える。現在も堀や土塁が良好に残り、四季の景観も美しい。このページでは足利氏館の歴史や構造、見どころを豊富な写真とともに紹介する。
写真:岡 泰行(城郭カメラマン)
足利氏館の歴史と見どころ
足利氏館(あしかがしやかた)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて、足利義兼が築いた館である。義兼は源義家の曾孫にあたる足利義康の三男で、源頼朝の挙兵に応じて平家追討や奥州征伐に功を挙げ、頼朝から厚い信任を得た有力御家人であった。義兼はこの地に居館を構え、その館内に持仏堂を建立したのが鑁阿寺(ばんなじ)の始まりとされる。やがて寺は足利氏の氏寺として尊崇を集め、のちの室町幕府開設後も一族発祥の地として厚く保護された。館の周囲は土塁と水堀によって囲まれ、往時の姿をよく残している。足利学校や古代東山道に近く、学問と信仰、武家文化の交わる地として栄えた。
足利氏館の特徴と構造
館跡は足利市の中心、鑁阿寺の境内にあり、東・北・西の三方を山に囲まれ、南に渡良瀬川を臨む防御性の高い地形に立地している。東辺214.8m、西辺220.2m、南辺207.5m、北辺180.2mの方形で、約二町四方(約200m)規模をもつ。
堀と土塁で囲まれ、東西南北に門が設けられた単郭平地館である。後世の改変が少なく、平安末期の土豪的武士館の原型を今に伝える貴重な遺構として国の史跡に指定されている。
参考文献:
- 『日本城郭大系第4』(新人物往来社)
足利氏館の撮影スポットと絶景
春は桜、秋は銀杏の紅葉が綺麗。鑁阿寺(足利氏館)を代表する山門は南向き。
足利氏館の写真集
城郭カメラマンが撮影した「お城めぐりFAN LIBRARY」には、足利氏館の魅力を映す写真が並ぶ。事前に目にしておけば現地での発見が鮮やかになり、旅の余韻もいっそう深まる。足利氏館とあわせて訪ねたい史跡
南に徒歩すぐの日本最古の総合大学といわれる足利学校、西側の住宅街に佇む足利陣屋エリア(石碑と井戸が残る)の散策など。
また、東に徒歩5分旭町交差点近くにある足利陣屋の移築城門(火災で武者窓を失っている)、北の山麓にある法楽寺には、足利戸田家の墓所がある。
足利氏館周辺の名物料理
山門から続く石畳の道の沿道にはそば、日本料理の店が並びます。「馬車道」は揚げ物とみそ汁が美味しいです(NSカトー 10.02.04)。
足利氏館の観光情報とアクセス
所在地
住所:栃木県足利市家富町2220 [MAP] 県別一覧[栃木県]
電話:0284-20-2222(足利市役所)
- 公式サイト:「足利氏宅跡」(足利市)
アクセス
鉄道利用
JR両毛線「足利駅」下車、徒歩7分。または、東武鉄道伊勢崎線「足利市駅」下車、徒歩10分。
マイカー利用
東北自動車道「佐野藤岡IC」から国道50号線を西へ、293号線を北上。観光駐車場(太平記館)を利用すると良い。
足利氏館観光に便利なホテル
足利氏館:城ファンの知見と記録
足利氏館を訪ねた人たちが残してきた記録です。現地での発見や知見が寄せられ、城歩きの文化の中で育まれてきた経験がここに蓄積されています(全3件)。
足利氏館での発見を記録に残しませんか?
岡 泰行 | 城郭カメラマン [プロフィール]
1996年より日本各地の城郭を訪ね歩き、取材と撮影を続けている。「先人たちの知恵とおしゃれ心」をテーマに、四半世紀にわたり城のたたずまいと土地の風土を記録してきた。撮影を通して城郭に宿る美意識を見つめ、遺構や城下町の風景に残る歴史の息づかいを伝えている。作品は書籍、テレビ、新聞など多くのメディアで紹介され、城の美しさと文化を広く発信している。







足利尊氏に繋がる足利家の居館跡。鎌倉時代中期、秦氏時代には坂東武者500騎を居館に集めた、との故事も残る。
鑁阿寺では2月3日に武者行列を伴った節分行事「鎧年越節分」を毎年行っています。
現在は、足利家の菩提寺、鑁阿寺(ばんなじ)。ほぼ正方形で土塁が残る。居館自体の復元はありません。