千葉城は、千葉氏の居城として伝えられ、近年はその館が亥鼻台麓の平地にあったとする説が有力視されている。亥鼻台上の猪鼻城跡には土塁や空堀が残り、戦国時代の城跡と推測されている。現在は亥鼻公園として整備され、千葉市立郷土博物館が建つ。このページでは千葉城の歴史や特徴、遺構を紹介する。
写真:Adobe
千葉城の歴史・見どころ
千葉城の歴史
千葉城は、亥鼻城・猪鼻城とも呼ばれ、中世の千葉を本拠とした千葉氏の居城として伝えられてきた城で、亥鼻台上の猪鼻城跡がその城跡として知られてきた。ただし、近年の研究では、千葉氏が住んだ館は亥鼻台上ではなく、麓の平地にあったとする説が有力視されている。一方、亥鼻台上の猪鼻城跡には土塁や空堀が残り、その特徴から戦国時代の城跡と推測されている。
千葉氏は桓武平氏の流れをくみ、平良文の子孫が房総へ勢力を広げていった。平忠常は上総・下総に勢力を振るい、長元元年(1028)に反乱を起こした。朝廷の追討に抵抗を続けたものの、長元4年(1031)に源頼信へ降伏し、都へ連れて行かれる途中で没した。子孫は処罰を免れ、忠常の子常将や孫の常長が荒廃した地域の再開発を進めた。忠常のひ孫にあたる常兼は上総国大椎を拠点とし、大椎権介を称した。
大治元年(1126)、常兼の子・常重は大椎から千葉へ移住し、千葉介常重と称した。『日本城郭大系』では、常重が同年に亥鼻台へ築城し、以後、千葉氏の本拠となったという従来説を紹介している。常重は保延元年(1135)に家督を嫡子の常胤へ譲った。
常胤は相馬御厨などの所領をめぐる争いを経験したのち、治承4年(1180)、房総へ逃れてきた源頼朝にいち早く味方する意向を示し、鎌倉に本拠を構えることを進言した。源平合戦や奥州合戦にも参戦し、その功績によって千葉氏は鎌倉幕府屈指の御家人へ成長した。常胤の六人の子はそれぞれ所領を受け継ぎ、千葉六党と呼ばれる一族を形成した。
室町時代に入ると、千葉一族は鎌倉公方足利氏と関東管領上杉氏の争いに巻き込まれ、内部でも対立が深まった。康正元年(1455)、公方派の馬加康胤と原胤房が、上杉派の千葉介胤直の居城とされた千葉城を攻撃し、城は落城した。胤直一族は多古方面へ逃れたが、康胤らの追撃を受けて滅亡した。千葉氏本宗を継承した馬加康胤の子孫は千葉城を放棄し、文明年間に印旛郡大佐倉へ本佐倉城を築いて本拠を移した。
千葉城の特徴と構造
現在の猪鼻城跡は、千葉市街に突出する亥鼻台に位置する。北には都川が流れ、西側は急崖、南側には谷津が入り込む地形となる。ただし、市街化によって旧状は大きく損なわれ、城域の具体的な範囲や縄張りは明確になっていない。
亥鼻公園周辺には土塁や空堀が残る。亥鼻公園や千葉市立郷土博物館周辺は、かつて内城の範囲と考えられていた。公園内には高さ約2mの土塁が不整方形にめぐる約4000㎡の区域があり、本丸跡と呼ばれてきた。北側には土塁の開口部があるが、当初から虎口として設けられたかは明らかになっていない。台地北端の神明社付近は物見台と伝わり、本丸との間には堀切があったと考えられている。
本丸西側には幅約15mの帯状区画がみられ、腰曲輪の可能性が指摘されている。また、千葉大学医学部附属病院一帯も、かつて外城の範囲と考えられていた。北側の急崖には腰曲輪とみられる部分や、空堀の痕跡らしい地形が認められている。現在の千葉市は、亥鼻台上に残る土塁や空堀の特徴から、猪鼻城跡を戦国時代の城跡と推測している。
千葉城の整備状況
従来千葉氏の居城跡と考えられてきた亥鼻台上の猪鼻城跡は、七天王塚とともに昭和34年(1959)に「猪鼻城跡(含七天王塚)」として千葉市の史跡に指定されている。城跡一帯は亥鼻公園として整備され、土塁や空堀が残るほか、本丸跡と呼ばれてきた区域には天守を模した千葉市立郷土博物館が建つ。この建物は復元天守ではなく、千葉氏や千葉市の歴史を紹介する施設として利用されている。
参考文献:
- 『日本城郭大系6』(新人物往来社)
- Webサイト「千葉氏の歴史」「猪鼻城跡(含七天王塚)(市指定文化財)」(千葉市)
千葉城をより深く学ぶ展示・資料館・学習スポット
千葉市立郷土博物館
亥鼻公園内に建つ、千葉氏や千葉市の歴史を学べる博物館。千葉開府900年を迎える令和8年(2026)に向けて常設展示を全面的に改修し、令和7年(2025)11月8日にリニューアルオープンした。原始・古代から中世、近世、近現代まで3万年をこえる千葉市の歴史を通史で紹介し、中世展示では千葉氏について学ぶことができる。
千葉城周辺の観光スポット・史跡めぐり
千葉神社
千葉氏が一族の守護神として崇めた妙見尊を祀る、千葉氏ゆかりの神社。社伝では、千葉常重が大治元年(1126)に大椎から千葉へ居館を移した際、先祖より伝わる妙見尊をこの地に運び、妙見社を建立したと伝わる。千葉氏と妙見信仰の深いつながりを伝える史跡として、千葉城とあわせて訪れたい。
千葉城アクセス・駐車場・営業時間
所在地
住所:千葉県千葉市中央区亥鼻1-6-1 [地図を見る]
県別一覧:[千葉県の城]
電話:043-222-8231(千葉市立郷土博物館)
- 千葉市立郷土博物館(公式ページ)(千葉市)
開館情報
千葉市立郷土博物館は9:00〜17:00(入館は16:30まで)。入館無料。休館日は月曜日(月曜日が祝日の場合は翌平日)、年末年始(12月29日〜1月3日)。
アクセス
鉄道利用
JR外房線・内房線「本千葉駅」下車、徒歩15分。千葉都市モノレール「県庁前駅」下車、徒歩13分。またはJR・京成「千葉駅」から京成バス千葉大学病院行きまたは南矢作行き「郷土博物館・千葉県文化会館」下車、徒歩3分。
マイカー利用
京葉道路「貝塚IC」から国道51号経由。または京葉道路「松が丘IC」から西へ15分(3.6km)。亥鼻公園・千葉市立郷土博物館駐車場有り(無料・25台)。
地図
掲載写真・記事は、現地調査・撮影・記録をもとに作成しています。
千葉城:城ファンの知見と記録
千葉城を訪ねた人たちが残してきた記録です。現地での発見や知見が寄せられ、城歩きの文化の中で育まれてきた経験がここに蓄積されています(全3件)。
千葉城でのひとときを、そっと記録に残す







昭和42年に千葉市が歴史的根拠のないデタラメな天守を建ててしまいました。実際には石垣も天守もなかったようです。
本当の姿は、草なぎ剛主演の映画「BALLAD」に出てくるお城を想像してもらえれば良いかと思います。
模擬天守の内部は郷土博物館で千葉氏に関する資料を中心に展示してあります。かつてはプラネタリウムもありましたが今はありません。
城らしい遺構と言えば、模擬天守周辺にある土塁の残骸くらいでしょうか。しかし、その土塁も千葉氏の時代に作られたものなのかどうか怪しいそうです。
記録:肉まん太郎 2016
大治元年(1126)、千葉常重が亥鼻山に築城したのが始まりで、居館、櫓などを配置した中世城郭だったそうです。又、戦国時代に勢力は衰え、北条と手を結んだけれども、秀吉の小田原攻めで北条滅亡とともに、同じ道を歩んだそうです。
記録:レイリア(ぱらたん) 1998
千葉城(亥鼻城)は本当は無かったお城なので郷土博物館という名前になっていると確か聞きました。千葉氏がこの辺りに館を構えていたのは確かなのですが天守閣はもちろん城垣も無かったとか。従って天守閣はよその有名なお城のパクリです。最上階は展望台になっていて望遠鏡が備え付けられているのですが、千葉大附属病院の方だけは真っ暗になって見えなくなるようになっていたのをよく覚えています(20年以上前の話ですが)。
記録:懸命 筺 1998