芹川(善利川)は、1603年(慶長8年)に井伊直継により城下町と南の守りを重視し琵琶湖に向かって西進するかたちに付け替えられた。堤防を強化する意味あいでケヤキが植えられ、樹齢400年のケヤキの並木道となっている。
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