二条城の全景

二条城の歴史

ユネスコの世界文化遺産にも登録されている「元離宮二条城」。築城したのは、徳川家康である。1601(慶長6)年、家康は京都の宿所とするべく西国の大名たちに築城を命じた。いわゆる天下普請の城のひとつに挙げられる。家康時代の城は今の二の丸にあたり、単郭式だが、西北隅には5層の天守があった。

1603(慶長8)年、征夷大将軍に補任されたという宣下の勅使を伏見城に迎えた家康は約1か月後、上洛して二条城に入る。そこから行列を連ね、天皇への拝賀の礼として宮中に参内した。1611(慶長16)年には、家康と豊臣秀頼の対面もここで行われている。秀頼の警護役として、加藤清正と浅野幸長が付き従っている。このとき、想像以上に賢い秀頼に家康が不安を抱き、大坂の陣へとつながったという説もある。

大坂の陣を経た1626(寛永3)年、すでに将軍を引退し大御所となった徳川秀忠と三代将軍の家光父子は、二条城に後水尾天皇を迎えた(寛永行幸)。これに合わせて、城の拡張が行われている。城域は西に大きく張り出し、そちらが新しい本丸となった。このとき、1623(元和9)年に破却された伏見城からも天守などの建物が移築されたと言われている。

二条城天守台
二条城の創建時の天守(寛永行幸以前)は位置も異なり、豊臣秀長の大和郡山城の天守の天守を移築したとも言われている。この天守は寛永行幸の増築の際に、淀城に再び移築された。

1634(寛永11)年、家光は再び上洛し二条城に入るが、その後は幕末まで将軍の上洛がなくなり、二条在番役が留守を守った。この間、天守や本丸御殿が火事により焼失している。1863(文久3)年、14代将軍家茂が上洛し二条城に入った。家茂は1865(慶応元)年、第二次長州攻めの指揮をとるため二条城を経て大坂城へ入り、そこで亡くなっている。

1866(慶応2)年末、徳川慶喜が二条城で将軍宣下を受け、「最後の征夷大将軍」となった。翌年には大広間に幕閣や京都にいた諸藩の重臣を集め、まつりごとを朝廷に返還する旨、告げている(大政奉還)。260年以上続いた江戸幕府は、ここに終焉を迎えた。

1884(明治17)年には宮内省の管轄となり、二条離宮と呼ばれるようになった。1896(明治29)年には本丸に旧桂宮邸が移築されている。1915(大正4)年、大正天皇即位の儀式と饗宴が行われた(大正大礼)。その際、現在ある南門が造られている。1939(昭和14)年には京都市に下賜され、翌年から「恩賜元離宮二条城」として一般公開が始まった。1994(平成6)年には、「古都京都の文化財」のひとつとして、国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)の世界文化遺産に登録された。

ほかにもある二条城

室町幕府を開いた足利尊氏は、二条高倉に御所を置きそこで政務を執った。3代義満の時代に「花の御所」が造営され、政権の中心はそちらに移ったが、13代将軍の義輝は御所の南西、いわゆる「二条御所武衛陣(斯波氏の居館跡)」を本拠とした。後に織田信長が15代将軍、義昭のためにこの地に室町邸(京の御城)を築いている。

室町幕府滅亡後の1579(天正7)年、信長は二条室町に二条城を築き、誠仁親王に献上している。この時の石垣の一部が、現二条城内(移築)と京都御所で見られる。豊臣秀吉も1586(天正14)年、現在の二条城の北に聚楽第を造った。このように、このあたりは、いわゆる天下人の京における拠点となっていたのだ。

二条城の見どころ

二の丸御殿

1626(寛永3)年に執り行われた後水尾天皇の行幸にあたり造営されたもので、城郭御殿としてほぼ完全な姿で現存するのは唯一のもの。様式は書院造で、内部には狩野派の障壁画をはじめ、さまざまな装飾も残っている。大広間は、大政奉還の舞台として有名。1952(昭和27)年、国宝に指定された。
二条城二の丸御殿

本丸

徳川家光が、家康時代の二条城を西に大きく拡張して現在の本丸を整備した。天守台には5層の天守が上がっていたが、1750(寛延3)年に落雷で焼失した。元あった本丸御殿も、1788年(天明8)年の火事で失われている。現在の御殿は1894年(明治27)年、旧桂宮邸から移築されたもの。見どころは、天守台、本丸櫓門と西門枡形虎口だ。
二条城本丸櫓門

東南隅櫓、西南隅櫓

二条城本丸にあった建物は、多くが伏見城から運んできた部材を使用したと言われている。天守のほかに、8基の櫓が上がっていたとされるが、残されたのは、本丸を囲う郭の両角にある、2基のみだ。
二条城東南隅櫓

東大手門

渡櫓式の二階門で、二階部分は3つの部屋と武者走があり、石落としも設置されていた。寛永の行幸の際には、天皇を見下ろすのを避けるため、一重に置き換えられたと言う。現在、外郭にある城門は、北大手門(重要文化財)、西門(重要文化財)、南門とあるが、南門のみ、大正時代に新たに造られた門で、創建時のものではない。
二条城東大手門

唐門

二の丸御殿の入り口。唐破風を持ち、彫刻や飾り金具などさまざまな装飾が施された絢爛の佇まい。
二条城唐門

(文:mario 写真:岡 泰行)

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